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・統合失調症
・過敏性
・侵入性
・妄想性
・創造性
・合理性
・産業革命
・人工知能
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みなさんは、ムンクの「叫び」を見たことはありますか? その絵を見ているだけでゾクゾクしませんでしたか? 以前に、オークションで100億円近い値が付いたことでも話題になりました。やはりそれくらいの価値があるほど、私たちの心を揺さぶる何かがあるのでしょうか?

今回は、有名な絵画のムンクの「叫び」を取り上げます。いつもとは違い、シネマではなく、絵画から学ぶメンタルヘルスをお送りします。テーマは、ずばり統合失調症です。実は、ムンクは統合失調症を発症していたという説が有力で、この絵はそのムンクの自画像です。実際に、この絵には統合失調症にまつわる3つの特徴が垣間見られます。その特徴を脳科学的そして進化精神医学的に掘り下げ、統合失調症の本質に迫っていきましょう。

★表1 統合失調症の診断基準(DSM-5)

際立ち-過敏性

ムンクの日記によると、「日が沈んだ時、突然空が血のように赤く染まり」「フィヨルドと町並みが青黒く彩られた」とあります。実際の絵の色使いは、赤、青、黒を主として、その取り合わせがとても際立っていて、まぶしいです。

1つ目の特徴は、周りの世界が際立っていると感じる、つまり過敏性です。これを統合失調症の症状として見ると、見えるもの全てを鋭敏に見てしまい、感覚が研ぎ澄まされている状態です(気付き亢進)。そこから、不安感や緊迫感が煽られています(緊迫困惑気分)。さらに、何かとんでもないことが起きそうな不気味な雰囲気を醸し出していきます(妄想気分)。

それでは、なぜ際立つのでしょうか? ここから脳科学的に考えてみましょう。際立つとは覚醒度が上がることです。この覚醒度が上がるのは、いつもと違う状況(新奇場面)が刺激となり、脳内ではドパミンという神経伝達物質が分泌される時です。さらに、その覚醒度を保つために、同じく神経伝達物質であるグルタミン酸が分泌されます。その後に、覚醒が度を超えないようにするために、視床という脳領域で入力情報の感度を下げるフィードバックが働きます(視床フィルター)。つまり、覚醒度を燃え上がる火に例えると、脳が暖炉、新奇場面が薪、ドパミンは点火装置、グルタミン酸は給油装置、そして視床は薪の入る数を調節する暖炉の扉と言えます。

ここで、これらの点火装置や給油装置が過剰に作動したり、扉が閉まらなくなったらどうなるでしょう? 勝手に燃え上がってしまいます。いつもと同じ状況なのにいつもと違う状況に様変わりしてしまい、際立っていると感じてしまいます。これが、統合失調症の原因と考えられています。過剰作動を起こす原因としては、もともとの遺伝負因、胎児期や乳児期の感染症(神経発達障害仮説)、思春期以降の心理社会的ストレスなどによる相互作用が考えられています。

ちなみに、ドパミンが急性的に過剰分泌された場合、興奮状態になった神経細胞は、損傷を避けるために、一時的に神経伝達を遮断するメカニズムがあります(脱感作)。例えるなら、暖炉が壊れないように点火装置のブレーカーが一時的に落ちてしまうことです。これは、統合失調症で興奮状態から突如動かなくって、刺激に反応しなくなる症状です(緊張病)。一方、ドパミンが慢性的に過剰分泌された場合は、興奮状態になった神経細胞は、損傷を避けられず、変性していき、脳が萎縮していきます(残遺症状)。例えるなら、暖炉が燃やし過ぎで消耗してしまうことです。これは、統合失調症で、感情的に鈍くなり(感情鈍麻)、特に何をすることもなく(無為)、ひきこもって暮らす(自閉)など、本来あるべき能力が失われていく一連の症状です(陰性症状)。

そもそもなぜ際立ちは「ある」のでしょうか? さらに進化精神医学的に考えてみましょう。10数億年前に太古の原始生物が誕生してから、エサが近くにあることが臭いや見た目で分かったら、ドパミンによって覚醒度を上げて、必死に近付くように進化しました。5億年前に魚類が誕生してから、天敵の気配などいつもと違う状況で、ドパミンによって覚醒度を上げて、早くに離れるように進化しました。

つまり、接近または回避を行動付けるために、いつもと違う状況に対しての際立ちは、生物の生存に必要だから「ある」のでしょう。

★図1 覚醒度のメカニズム

境目のなさ-侵入性

ムンクの日記によると、「血のような炎を吐く舌のような空が青黒いフィヨルドと町並みに覆い被さるようであった」とあります。実際の絵の構成は、輪郭が重なり合い大きくうねるような筆遣いで、中心に置かれる本人は周りに飲み込まれて溶けてしまいそうです。

2つ目の特徴は、自分と周りの世界の境目がなくなると感じる、つまり侵入性です。これを統合失調症の症状として見ると、自分と他人の境目(自我境界)がはっきりしなくなり、自分は自分であるという実感がなくなることです(自我障害)。体がスケスケなのと同じように、心もスケスケに感じてしまい、自分の考えが漏れていると思うようになります(自我漏洩体験)。周りの人の視線が自分に迫ってくるようにもなります(被注察感)。さらには、何か得体の知れない誰かに自分が操られている感覚に陥ります(作為体験)。

それでは、なぜ境目がなくなるのでしょうか? ここから脳科学的に考えてみましょう。境目とは自分と周り(他人)を区別することで、前頭葉(前部傍帯状皮質)が司っています。これは、周りを認知している自分を認知する、つまり認知していることを認知することでもあります(メタ認知)。
ここで、先ほどの過敏性によって境目はどうなるでしょうか? 周りの世界を認知する感度が上がり過ぎてしまい、自分の想像(内的体験)への認知も周りの現実(外的体験)への認知と誤認知(偽陽性)してしまい、自分への認知と周りへの認知を区別する精度が落ちてしまいます。つまり、周りの世界を過剰に認識してしまうと、逆に正確には認識できなくなってしまい、境目がはっきりなくなってしまうということです。これは、検査の検出の感度と分類の精度(特異度)の相関関係です。例えるなら、教科書でテストに出そうな箇所に赤線を引く時、全てが出そうに思えて、全てに赤線を引いてしまうことです。すると、本当に出そうな箇所とそうでない箇所の区別ができなくなってしまいます。

境目がなくなることで、想像も現実の体験の一部として認識してしまいます。そこから、自分が世界に侵入されてしまう感覚に陥ります。例えば、自分の考えたことが声になって聞こえます(考想化声)。やがてそれは他人の声として聞こえてしまいます(幻聴)。そう考えると、先ほどの誰かに見られているという感覚(被注察感)や、誰かに操られているという感覚(作為体験)のその誰かとは、実は他でもない自分自身であるということが理解できるでしょう。

そもそも、なぜ境目は「ある」のでしょうか? さらに進化精神医学的に考えてみましょう。人類は、約700万年前にアフリカの森に誕生し、約300~400万年前に草原(サバンナ)に出てから、助け合い(協力)と競い合い(競争)の狭間で、相手の心を読む、つまり相手の視点に立つ心理を進化させてきました(心の理論)。この心理から、自分自身を離れて自分自身を見る視点を持つようになり、自分と周りの世界を区別できるようになりました。さらに、この視点を手に入れたことで、周りの世界をより良く知りたいという好奇心の心理(新奇希求性)も進化したと考えられます。だからこそ、私たちは、新しかったり珍しかったりする状況(新奇場面)でも過敏になるのでしょう。

つまり、境目という心の理論、さらには好奇心という新奇希求性は、人間の生存に必要だから「ある」のでしょう。逆に言えば、人間以外のほとんどの動物は、境目が最初からないわけなので、自分と周りはもともと一体であり、境目がなくなる危うさをそもそも感じることはないと言えるでしょう。

意味付け-妄想性

ムンクの日記によると、「2人の友人と歩道を歩いている時、やむことのない自然をつんざくような叫びを聞いた」とあります。実際の絵の状況は、実はムンクは叫んでいるわけではなく、叫びに恐れおののき、耳を塞いで、かろうじて突っ立っているだけなのでした。

3つ目は、周りの誰かまたは世界が叫んでいると意味付ける、つまり妄想性です。これを統合失調症の症状として見ると、自分の心の中(内的世界)の「叫び」を、現実世界の誰か(外的体験)の「叫び」として聞いたとしています(幻聴)。さらに、何となく不気味な気分(妄想気分)や、自分が自分ではなくなり自分の存在が危うく感じる体験(自我障害)から、世界が終わってしまうと感じてしまいます(世界没落体験)。もはや2人の友人も、黒服で得体の知れない存在に見えてしまい、監視しているか、尾行しているかとも思ってしまいます(被害妄想)。

それでは、なぜ意味付けるのでしょうか? ここから脳科学的に考えてみましょう。意味付けとは、それぞれの体験について、ある程度抽象的で大まかな言葉に置き換えること、つまり概念化です。これは、言葉の聞き取る能力を司る感覚性言語中枢(ウェルニケ野)と言葉を話す能力を司る運動性言語中枢(ブローカー野)が司っています。そうすることで、過去の体験と関連付けをして、記憶に残しやすくなります。

ここで、先ほどの過敏性よって意味付けはどうなるでしょうか? 意味付けがされ過ぎてしまいます。例えば、テーブルに携帯電話が置いてあったとしましょう。たまたま置いてあっただけなのに、「なぜあるの?」とその意味を考えるようになります。そして、意味が分からないことに違和感を覚えるようになり、何気ないことを何気なく思えなくなり、当たり前のことを当たり前に思えなくなります(自明性の喪失)。つまり、意味付けは、され過ぎると、逆に失われてしまうということです。全ての出来事に意味を求めてしまい、クタクタになってしまいます。その刺激を避けるために、統合失調症の人は、早い段階でひきこもりになることがよくあります。また、間違った意味を見いだしてしまうと、論理の飛躍が起こります。それが先ほどの世界没落体験や被害妄想です。さらに、意味付けが極端になり自覚がなくなれば、意味のつながりが失われて、話すことにまとまりがなくなります(滅裂思考)。

また、侵入性に意味付けをするとどうなるでしょうか? 侵入する対象として言語化します。それが、統合失調症の人がよく言う「得体の知れない巨大なもの」です。さらに、この表現は時代や文化によって変わります。例えば、日本なら、現代は「悪の秘密結社」「ヤクザ・暴力団」が多いですが、昔は「狐憑き」などが多かったでしょう。欧米なら、現代は「テロ集団」、昔なら「悪魔」が多いでしょう。

そもそも、なぜ意味付けは「ある」のでしょうか? さらに進化精神医学的に考えてみましょう。人類は、約10~20万年前に、喉の構造を進化させて、複雑な発声ができるようになり、言葉を話すようになりました。そして、人だけでなく、自然環境や様々な自然現象を名付けることによって、世界を区切り、関係付け、説明しようとしました。こうして、シンボルを使って抽象的思考をする概念化の心理が進化したと考えられます。概念化によって、道具、建築、美術、音楽、文学、宗教、政治などの文化が爆発的に発展していきました(文化のビッグバン)。これが、創造性です。こうして、人は、その文化を、神話や言い伝え、民謡などの様々な方法で子孫に伝えることができるようになりました。人は、約5000年前に文字を発明して、ようやく原因と結果をつなぐ論理的思考(システム化脳)の体系が可能になりました。それが、科学であり、合理性です。ということは、そもそも創造性には合理性があるわけではないと言えるでしょう。もっと言えば、創造性と妄想は、同じ概念化の心理として合理性がない点では、コインの表と裏ということです。まさに、ムンクの絵もその1つです。

つまり、意味付けという概念化は、人間の生存、さらには文化の継承に必要だから「ある」のでしょう。

★表2 ムンクの「叫び」の特徴

統合失調症はいつ生まれたの? -産業革命

これまでの際立ち(過敏性)、境目のなさ(侵入性)、意味付け(妄想性)という3つの特徴から、統合失調症は人類の心の進化の歴史と密接にかかわりがあることがあります。そして、統合失調症が世界中のどの国や地域でもほぼ一定の割合で発症することから、統合失調症の心理には普遍性がありそうです。それでは、統合失調症という病はいつ生まれたのでしょうか? 正確には言えば、病として目立つようになったのはいつでしょうか?

その答えは、18世紀の産業革命であると考えられています。それまで、幻聴は「神のお告げ」または「悪魔の囁き」であり、妄想は「神の思し召し」または「悪魔の仕業」であり、自我障害は「神との一体化」または「悪魔の憑依」と解釈されていました。そして、実際にこのような症状を持つ人は、シャーマン(巫女)や信心深い信者として社会的に一定のステータスがあり、文化の一部として、社会に溶け込んでいたでしょう。

ところが、産業革命によって、生産性や効率性などの合理主義や、貨幣経済や民主政治によってはっきり個人を区別する個人主義が広く世の中に広がっていきました。社会構造の変化です。すると、根拠のない不合理な言動を繰り返す幻覚妄想や、自分らしさ(アイデンティティ)が危うくなる自我障害はネガティブで困ったもの、つまり病として認識されるようになったのでした。実際に、現代でも、農村地域よりも工業化や都市化が進む地域ほど、そして発展途上国よりも先進国ほど、統合失調症は回復しにくいことが統計的に分かっています。つまり、発症率は変わらなくても、社会構造の違いによって、回復率は変わるということです。

★グラフ1 統合失調症の心理の進化

統合失調症はどこに行くの? -人口知能

創造性・妄想を生み出す概念化の心理が進化したのが10~20万年前に対して、産業革命により合理性に重きを置くように社会構造が変化したのはたかだか200年です。つまり、創造性・妄想の心理の進化の歴史の方が、合理性の心理よりも圧倒的に長いと言えます。つまり、私たちは合理的であろうとしていますが、人類の心の進化の歴史から考えると、そこまで合理的ではないということです。

さらに、これからはAI(人工知能)の時代です。近い将来には、合理的なことはほとんどAI化されるというさらに新しい社会構造への変化が予想されます。そうなると、私たちは、もはや合理的であることを追求する必要がなくなってしまいます。むしろ逆です。そもそも私たちに不合理な心理もあることを生かして、これからはその不合理さを楽しむ創造性が求められるでしょう。

そう考えると、私たちは、ムンクの「叫び」から統合失調症の世界観を疑似体験する危うさと魅力を知るだけでなく、そこから私たちの創造性をくすぐりかき立てる何かがあり、そこに大きな価値があることをよく理解することができます。そして、AI化された将来の社会構造で統合失調症の創造性に再び目が向けられる時、もはや統合失調症は病ではなく、個性や多様性の1つになっているのではないでしょうか?

参考文献

1)井村裕夫:進化医学、羊土社、2013
2)臨床精神医学、心の進化と精神医学、アークメディア、2011年6月号
3)岡田尊司:統合失調症、PHP新書、2010