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僕の生きる道自己成長

テーマは死と成長―もしもあなたがあと1年で死を迎えるとしたら?

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 私たちは、人の平均寿命はだいたい80年で、事故や病気でその寿命が縮まる可能性もあるという現実を頭では分かっています。しかし、実際に、心の中ではそんなことは忘れて、「自分はいつまでも生きている」「明日は明日の風が吹く」と思い込んではいないでしょうか?  2003年に放映されたテレビドラマ「僕の生きる道」は、タブー視されがちな死について、真っ直ぐに向き合っています。余命1年を宣告された主人公の一生懸命さに、平和ボケして何となく生きている私たちは、頭を一発殴られた気分にさせられ、目が覚めます。死について考えることは、どう生きるかを考えることでもあります。そして、考えることが私たちの新たな心の成長につながっていきます。 今回は、このドラマを通して、みなさんと死について、生きることについて、そして生死を通して私たちがさらに成長することについて考えていきましょう。


悪い知らせの伝え方―間(ま)の大切さ

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 主人公の中村秀雄は、進学高校の生物教師です。教師としての目標もなく、老後の遠い先のことを考え、事なかれ主義で、自ら「28年間、無難な人生を過ごしてきた」と認めています。そんな彼に突然、定期健診の再検査の通知がきます。そして、再検査の結果、余命1年の胃がんと宣告されたのです。  主治医の態度が印象的です。間(ま)をとりながら、神妙な表情で静かに問いかけます。「検査結果について、大切な話があります」「できたら、検査結果はご家族の方と聞いていただきたいんです」と。その間も十分な沈黙の時間をとります。告知前の間(ま)は、心の準備をしてもらう警告の合図でもあります。 ドラマでは、直後には描かれてはいませんが、告知後は、時間をかけて、今後の話し合いをすることも大切です。これからの目標や秀雄らしい生き方について触れていくことです。


否認―自分ががんであることが信じられない

あと1年しか生きられないという現実を突き付けられた秀雄は、頭の中が真っ白になります。その日は、虚ろな目で、何とか仕事をこなしています。そして、一睡もできず、翌日から荒れていきます。朝から投げやりになって飲酒し、夜には遭遇したひったくりの少年たちに苛立ち、抵抗して、さらに暴行を受けます。翌々日、彼は主治医の診察室に押しかけ、怒りに満ちて強く訴えます。「僕がこんな目に遭うはずがない 「こんなの不公平だ」「絶対何かの間違いだ」と。これらは、ショック、怒り、否認というがん告知に対する通常の心の反応です。心が一時的に現実を受け止め切れず、信じられないのです。


認知行動療法―置かれた状況に対しての別の見方や考え方の援助

主治医は、秀雄の行き詰った心を受け止めて、そして解きほぐすように、静かにそして力強く言います。「確かなことが一つだけある」「それは、君が今、生きているということ」と。死ばかりを考える秀雄に、残りの人生をどう生きるかに目を向けるよう促す一言です。このように、本人が置かれた状況に対して別の見方や考え方の援助をするやり取りを認知行動療法と言います。 その夜、自分の小学校の卒業文集の「幸せな人間とは後悔のない人生を生きている人」という自分の文章を見て、泣き出します。彼は、後悔していたのです。「あの頃思い描いた人生を生きてこなかった」と。


絶望―安楽死、自殺を望む心の叫び

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受験指導で、ある生徒に志望校をあきらめるよう言い切った秀雄は、心の中で思います。「僕もあきらめている」「人生最後の日がやってくるのを」「ただ待つしか道はない」と。そして、好き勝手にお金を浪費してみたものの空しいだけで、自分が棺にいる悪夢にうなされ、がんによる痛みも出てきます。耐えられなくなり、彼は主治医に「毎日が怖い」「何の痛みも感じないよう楽にしてください」と訴えます。当然ながら、安楽死は聞き入れられず、絶望した秀雄は、崖から飛び降り自殺を図ります。しかし、奇跡的に助かってしまうのです。そして、病院から母親への何気ない電話で、「僕が生まれた時、どう思った?」と質問して、母親の答えに、彼は号泣します。その答えとは、「この子のためなら、自分の命は捨てられる」だったのでした。 この瞬間から、秀雄は前向きな気持ちに心が切り替わります。主治医に「1年て、28年よりも長いですよね」と噛みしめるように確認します。「僕に自分で死ぬ権利なんかない」「僕は生きる」「人生最後の日まで」と決意し、残りの人生を悔いのないように生きたいとの前向きな思いが湧き起こってくるのでした。これが、がん告知の最終段階である適応です。がん告知後の心理状態は、キューブラー・ロスによる「死ぬ瞬間」で、否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容の5段階が有名ですが、実際には、段階的にプロセスを経るというよりは、いろいろな心理がごちゃ混ぜになっています。ちなみに、取り引きとは、「自分はまじめにやってきたのだから、きっと良い治療法が間に合うに違いない」と思い込み、手術や民間療法で何とか助かりたいとすがる心理ですが、秀雄には見られませんでした。


自己成長―余命1年であることを知ったからこその成長

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 秀雄は、授業の最初に、自らの「読まなかった本」のエピソードを取り上げます。余命1年の自分の運命と1年後に受験を迎える教え子の運命を重ね合わせ、「この本の持ち主は読む時間がなかったのではなく、読もうとしなかった」「(やるべきことを先送りせず)この1年、やれるだけのことをやろう」と呼びかけます。これは、教師として生徒のために一生懸命になろうという自分の決意表明でもありそうです。その後は、不器用ながら、秀雄なりに一生懸命に周りにかかわろうとします。このような一生懸命さは、空回りしながらも、生徒から教えられながらも、少しずつ生徒やみどりたち職員にも伝わっていきます。 例えば、「ありのままの気持ちを伝えよう」「それが僕にとって、今を生きるということだから」と気持ちを固め、今まで憧れだった同僚のみどり先生に自分の恋心を素直に伝えます。医者を目指していながら妊娠騒動で命を軽々しく思っているある生徒に、心の底からのメッセージを手紙で伝えます。「命の尊さを分かってほしい」「(患者の)心の痛みも分かってあげられる医者になってほしい」と。また、本気で歌手を目指すある生徒には、「必ず歌手になってください」「僕のためにも」と言い、叶わなかった自らの夢を暗に託します。その後、彼が言い出した合唱コンクールにクラスの生徒が全員揃って参加して、一体感が生まれます。こうして、彼は、がんで余命1年であることを知ったことで、さらなる人間的な心の成長(自己成長)を遂げていきます。


ナラティブアプローチ―自分自身に距離を置かせて気持ちの整理を促す

 秀雄が空回りして落ち込んでいた時、主治医のかける言葉がまた印象深いです。主治医は、預言者のように厳かに言います。「君が信念を貫いていれば、いつかきっと、君に味方してくれる人が現れるよ」「その人は、ある日突然やってくる。一番最初に現れたその人を絶対逃がしちゃダメだ」「その人は生涯を通じて君の味方になってくれる」と。暗示的ですが、とても心のよりどころとなる温かいかかわり方(支持的精神療法)をします。 また、「彼女(恋人のみどり)が僕の病気を知ったら、どうなるんでしょうか?」といつまでも打ち明けることに恐れをなしている秀雄に、主治医が問いかけます。「(病気を知って)君の人生はどう動きだした?」と。主語を「君」とせずに「人生」として、物語ふうな語り口(ナラティブアプローチ)をすることで、問題そのものを秀雄の感情から切り離して捉えさせ(外在化)、秀雄に気持ちの整理を促します。  さらに、秀雄がみどりとの結婚をためらっていた時に、主治医が秀雄に投げかけた引用が印象的です。「たとえ明日、世界が滅亡しようとも、今日、私はりんごの木を植える」と。これは、宗教改革の立役者ルターが言ったとされている名文句です。りんごの実という明日への希望を持って、今日を一生懸命に生きようというメッセージに受け止められます。と同時に、たとえ未来で全てが失われたとしても、今を一生懸命に生きていたという事実は失われないというメッセージにも受け止められます。大事なのは、自分を取り巻く世界がどうなるかではなく、世界が滅亡しようとも繁栄しようとも、自分自身がいつもどうありたいかということであることを、私たちに教えてくれます。


フランクル心理学―『人生が自分に求めてきていること』

秀雄は、限りある生にありがたみを感じ、そこに意味を見出そうとしています。彼にとって「今を生きる」とは、教師として創造的に仕事をすること(創造価値)、みどりや生徒たちのために一生懸命になること(体験価値)、持って生まれた運命に前向きな態度をとり続けること(態度価値)なのでした。これは、まさに『人生が自分に求めてきていること(フランクル心理学)』に当てはまります。 この秀雄の成長は、「自分の考えをしっかり持っていて、それを行動に移せる人」というみどりの理想のタイプにハマったのでした。その後に、病気を知ったみどりが、秀雄との結婚に猛烈に反対する父親に対して言います。「生まれて初めて、自分の生きる理由を見つけたの」「私は今、中村先生(秀雄)と一緒にいるために生きているの」「結婚して、家族になって、彼を支えて、そして・・・彼を見送るために」「私は、自分自身の人生を生きたいの」と。みどりも、自分の人生の主体的な意味付けをしようと成長していきます。


投影―他人は自分を映し出す鏡

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同僚の数学教師の久保は、イケメンで話や教え方がうまく生徒から人気があり、合コンに行けば、モテモテです。国から研究を任されるエリートで、みどりの父親でもある理事長からも気に入られ、全く非の打ちどころがありません。キャラクター的に正反対な秀雄を際立たせます。  そんな久保が好意を寄せていたみどりが、よりによって秀雄の恋人になったことを知り、動揺します。職員室で秀雄に研究を羨ましがられても、「本当は俺のこと、バカにしてたりして」と言い放ち、秀雄をきょとんとさせます。これは、久保の心の中が、秀雄を鏡にして映し出されています(投影)。つまり、実際に秀雄は久保をバカにすることなどありませんが、久保の方がもともと優越感に浸っていたので、秀雄に負けて立場が逆転した時に、彼のその優越感が劣等感となって、溢れ出てしまったのでした。 その後に、久保は秀雄の病気を知ったことで、「みどり先生が自分のものになる」とすぐに損得勘定をしてしまった自分自身が許せなくなり、仲良しの同僚に打ち明けています。「おれはずっと人生、舐めてたんだよ」と。久保も、死と向き合っている秀雄という鏡を通して、自分自身を見つめ直し、成長していくことができたのでした。


カタルシス―押し殺していた気持ちを吐き出す

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秀雄は母に「甘えたりわがままを言う(父親のようには)」「迷惑なんかかけたりしないから」と言っていたように、ずっと自分の気持ちを押し殺して生きてきました。そんな秀雄の病気のことを知った時にみどりは、自分に何ができるか秀雄の主治医に訊ねます。主治医のアドバイスは、「話し相手になってあげてください」「彼がつらい時に、つらいって言える相手になってあげてください」でした。自分の運命を受け入れるには、秀雄独りだけではやはり太刀打ちできないことを主治医は分かっていました。そして、母も秀雄に手紙で伝えます。「誰かに甘えられたり、頼られたりすることで幸せになれることもあるんだからね」と。支えることも、支えられることも、等しく幸せであるというメッセージが伝わってきます。 そしてついに、秀雄はみどりと結婚します。その後、新婚旅行で行った温泉宿で、「死にたくないよぉ」と幼い子どものように声を出して泣きじゃくり、みどりに抱き寄せられます。押し殺していた気持ちをついに吐き出したのです(カタルシス)。「僕は世界で一番幸せなのだから」と感じているからこそ、心の奥に押し込んでいた本心が溢れ出てしまったのでした。無意識に張っていた緊張の糸が緩んでしまったのです。彼は死と背中合わせの戦場にいながら、みどりがそばにいることで安らぎを感じていたのでした。


ディグニティセラピー―自分の人生を尊厳あるものに

秀雄は、余命1年と言われてから、ビデオ日記をつけていました。その理由は、「(今までの)僕が歩いてきた道には、足跡が付いていないような気がしたから」でした。しかし、その後、途中でビデオ日記をつけるのをやめてしまいます。その理由は、彼は、教師として生徒たちに自分の精一杯の思いを伝えて、自分の「足跡」を残すことができていると確信したからでした。彼は主治医に「合唱を通じて生徒に伝えたいことがある」と言い、生徒たちに「高校生である君たちが、今、歩いている道にしっかりと足跡をつけてほしい」と呼びかけています。  また、秀雄は、みどりとの結婚式の写真を全く撮らないようにしました。その理由を「今、この瞬間の出来事が、いつか過去になってしまうと思いたくなかった」「今この瞬間を生きるほうが大事」と言っています。これは、自分が写真に残らないことで、みどりが再婚しやすくなるようにとの秀雄の配慮でもありました。  人の尊厳は、究極のところ、人生にどういう意味を見出すかということです。そして、多くの人は自分の何かが誰かに受け継がれ、生き続けることを望んでいます。秀雄は、写真などの媒体ではなく、教え子たちにすでに自分のありのままの思いを伝えていくことで、自分の生きる意味を彼なりに見出すことができていました。多くの人は、なかなか秀雄のように伝えることができる恵まれた立場にいるわけではないです。最近では、家族や親しい友人へのメッセージとして、「最も誇りに思っていること」「大切な人に伝えたいこと」について本人の生前のインタビューを編集して文書に残す取り組み(ディグニティセラピー)も行われるようになってきています。


死生観―つながっていた人への温かみ

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 いよいよ命の期限が近付いている中、みどりは秀雄に訊ねます。「(死後)どうしても秀雄さんに会いたくなったら、どうすればいいんだろう」と。秀雄は、「プロポーズした大きな木のある所に来てください」「必ず僕は会いに行きますから」と約束します。これは、亡くなった人との心を通わせる場の設定です。その場は、遺された人の心のよりどころとなります。秀雄は死に臨んで、死生観が研ぎ澄まされていたのです。この逝った人が遺された人たちを見守り続けるという守護霊の発想は、自分のつながっていた人やコミュニティ(地域や職場なの自分が属する集団)への温かみに溢れており、遺された人たちに安らぎを与えます。集団主義の強い日本人の多くが共感する死生観です。自分が天国に召されるかどうかに重きを置く西欧の個人主義の死生観とは対照的です。


自我統合感―人生は自分なりにやり尽くした

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 そして、とうとう合唱コンクールの当日、「僕は最後まで生きたいんです」と言い、入院中の病院からの外出を願い出ます。しかし、主治医は心の中とは裏腹に、許可できないと言い張ります。秀雄は、「(コンクールを見届けないと)僕にとって生きたとは言えません」と言い、こっそり病院を抜け出し、みどりに支えられながら会場にぎりぎり駆けつけるのでした。 実際の臨床の現場では、ほぼ外出許可が出ると思われます。ターミナルケア(終末期医療)においては、命を縮めるリスクがあったとしても、現在ではQOL(人生の質)の方が重視されるからです。よくあるのが、「今生の思い出に海を見たい」という希望を叶えてあげることです。  会場で、教え子たちの歌声を聞き終えた秀雄は穏やかに言って息を引き取ります。「今では、後悔したはずの28年間が、とても愛おしく感じます」「ダメな人生だったんですけど、とても愛おしいです」と。彼は、みどりがいっしょにいてくれたかけがえのない、世界にひとつだけの人生を生き抜いたのでした。今を前向きに生きているからこそ、かつて悔んだ28年間の過去も愛おしくなります。彼は、人生は自分なりにやり尽くしたと感じていたのでした(自我統合感)。  実際に、このような感覚を研ぎ澄ます取り組みとして、回想法(ライフレビューインタビュー)があります。これは、高齢者や終末期がん患者に「人生で重要なこと」「印象深い思い出」「人生の分岐点」などを問うことで、現在の自分をより肯定的に受け入れるようになること(人生の再統合)で、デグニティセラピーに通じるものがあります。


生きた証―思いをつなぎ続けるリレー

 秀雄が亡くなって5年後、学校に新任の生物教師がやってきました。それは、何とかつての秀雄の教え子だった吉田でした。彼は、かつて久保に「絶対に官僚にならなきゃいけないんです」と勉強一筋で張り詰めてしまい、秀雄のやり方を否定していました。久保から「へぇ。なりたいんじゃなくて、ならなきゃいけないんだ」と突っ込まれたこともありました。ちなみに、これは吉田に自分自身の心の声を聴くよう仕向けた問いかけ(ロジャースのクライエント中心療法)です。だからこそ、秀雄が内実、一番気に掛けていた生徒でもありました。秀雄が合唱をやろうと言い出したのも実は吉田がきっかけだったのでした。秀雄が指揮者をできなくなった後に、代わりの指揮に託したのも、吉田でした。そんな吉田が、初めての授業で生徒に伝えたのは、かつて秀雄が吉田たちに伝えたあの「読まなかった本」でした。こうして、彼は秀雄の思いを受け継いでいくのでした。そして、また新たな芽となって次の生徒たちの中で生き続け、そして、受け継がれていくことを予感させます。  人は、もちろん子どもを授かって自分の血が受け継がれていくこと強く望みます。しかし、同時に、もしかしたらそれ以上に、自分の思いが受け継がれることも望んでいるのではないでしょうか?人は、他の全ての動物とは違い、命を運ぶ単なる「器」ではなく、命と同時に思いをつなぎ続ける「リレー選手」なのです。その思いとは、人だからこそ持っている豊かな文化であり、進歩し続ける文明なのです。逆に、進化論的に言えば、思いをつなぐことを望まない遺伝子は、文化や文明を発展させることはないわけで、はるか昔に自然淘汰されてしまったのではないでしょうか。つまり、私たちがリレーする思いのバトンタッチは、科学的に言えば、遺伝子にプログラムされています。そして、文学的に言えば運命付けられており、宗教的に言えば神の思し召し通りということになります。そして、それが結果的に「足跡」としてその人の生きた証となり、つながれたバトンは遺された誰かのためになっていくのです。


シネマセラピー

秀雄にとっての「僕の生きる道」は「僕たちみんな人類の生きる道」の一部に確実になっていることに私たちは気付きます。そして、リレー選手として「僕の生きる道」を完走できた秀雄の喜びが最後に伝わってきます。 私たちが、秀雄の目を通して死を目の当たりにすることで、今生きているという当たり前なことを特別ことに感じることができれば、私たちも秀雄と同じように、より良い自己成長をしていくことができるのではないでしょうか?


参考文献

「僕の生きる道」(角川文庫) 橋部敦子
「精神腫瘍学クイックリファレンス」(創造出版) 
「自己成長の心理学」(コスモスイブラリー) 諸富祥彦
「ナラティブアプローチ (勁草書房) 野口裕二
「ナラティブセラピー」(金剛出版) アリス・モーガン
「ディグニティセラピー」(金剛出版) 小森康永
「死生学」(東京大学出版会) 小佐野重利
「コンセンサス癌治療」(へるす出版)  小川朝生、内富康介