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ビューティフルマインド-

ジョン・ナッシュ ―統合失調症のノーベル経済学賞受賞者

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 私たちは、統合失調症の人に接する時、つい身構えてしまうことはありませんか?「頭がおかしい」「何をするか分からない」という先入観にとらわれていることはありませんか? 確かに、かつて「精神分裂病」と言われ、治療が難しい時代には、暗い過去がありました。しかし、現在、薬物療法の大きな進歩により、状況は変わってきており、将来的な見通しは明るくなってきていると言えます。 今回は、私たちが統合失調症の人たちのことをもっとよく知るために、映画「ビューティフルマインド」を取り上げます。主人公の天才数学者ジョン・ナッシュは、統合失調症を発症しますが、家族や友人の支えによって回復し、そして、晩年には、かつての功績が認められ、ノーベル経済学賞(1994年)を受賞するという実話に基づいたストーリーです。統合失調症の世界が主人公の視点で描かれているため、この病気のつらさや支えられるありがたさが、見ている私たちに生々しく伝わってきます。そこから、私たちが統合失調症の人を目の前にして、どう寄り添っていくことができるか気付かされます。 さらには、統合失調症を詳しく知ることを通して、「なぜ統合失調症という病気が存在するのか?」という文化人類学的な謎解きに、みなさんといっしょに迫っていきたいと思います。


統合失調型パーソナリティ ―奇妙で神秘主義的な性格

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 時代は、第二次世界大戦直後。主人公のナッシュがプリンストン大学に入学した時から、ストーリーは始まります。野外パーティで、ナッシュは、独りでグラスを光にかざして、その分光を目の前の初対面のクラスメートのネクタイに重ね合わして、突拍子もなく「君のネクタイの趣味の悪さを数学的に説明できそうだ」と言い放ちます。関係性やパターンを見抜くという彼ならでは天才的なひらめきが描かれたワンシーンです。また、「全てを支配する真理、真に独創的なアイデアを見つけたい」という発言からは、彼の直感的で神秘主義的な一面が見えます。しかし、同時に、周りのクラスメートたちの目には、発言も行動もあまりにも独特すぎて、風変わりで奇妙に映っています。 その後もナッシュは、授業にほとんど出席せず、友達付き合いも悪く、恋人もつくらず、部屋にこもって独学を続けます。マイペースなだけに、非社交的で非社会的であることが伺えます。彼は自ら打ち明けます。「小学生の時に『脳みそは2倍だが、心は半分』と担任教師から言われた」と。彼は、自分が無感情で冷淡な一面があることをよく分かっており、孤立していることを好んでいます。周りも彼を数学の天才として一目置いています。 このような、奇妙で神秘主義的な性格(統合失調型パーソナリティ)は、統合失調症を発症する前のくすぶった状態の性格(病前性格)として見受けられることがよくあります。そして、この特徴は、同時に、ミステリアスな魅力を醸し出すこともあります。これが、後に妻となるアリシアのハートを射止めたとも言えそうです。つまり、ナッシュの性格には、以下(表1)のような二面性があると言えます。

1 統合失調型パーソナリティの二面性

困った面

良い面

「無感情」「冷淡さ」

「孤立」「非社交性」「非社会性」

奇妙

「独りよがり」

「エキセントリック」

「ミステリアス」

「孤高」「マイペース」

神秘主義

「独特」「独創性」

「創造性」「直感」「ひらめき」



幻覚妄想 ―真に迫る生々しい世界

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 ナッシュは、論文で功績をつくり、卒業後は、エリートとして政府機関の研究所で、暗号解読などの極秘任務に就きます。この頃から、徐々に、彼の周りでは、奇妙なことが起こり始めます。アリシアとのデートでも、怪しげな男たちに監視され、国際スパイ組織の接触があり、不特定の雑誌の記事に隠された暗号の解読の極秘任務を本業とは別に受けるようになります。その後、命を狙われ、カーチェイスの末に、銃撃戦があり、敵の車は川に沈んでしまうというエピソードもあります。極秘任務だけに、彼は妻のアリシアに打ち明けることができず、妻にとっては、彼の言動はますます奇妙で突飛になっていきます。見ている私たちは、主人公はとんでもない事件に巻き込まれたとハラハラし、アリシアに状況がうまく伝わらないもどかしさにヤキモキしてしまいます。しかし、やがて、精神科医と名乗る男の登場により、ナッシュが強制入院してから、事態は急展開します。実は、彼が体験していた様々な奇妙な出来事は、全て彼の幻覚や妄想の産物だったのでした。幻覚とは、見えないものが見えて(幻視)、聞こえないものが聞こえること(幻聴)です。妄想とは、理屈に合わないこと(不合理)をかたくなに思い込むことです。実際に、膨大な雑誌の文字と隠されたわずかな暗号を関係付けることはあまりに不合理です(関係妄想)。また、ロシアのスパイ組織の陰謀により、理屈に合わない身の危険を感じることです(被害妄想)。ちなみに、実際の統合失調症の症状として幻聴はよくみられますが、幻視はあまりみられません。この映画で幻視の症状が描かれているのは、やはり、ナッシュの視点に立って、彼が感じている真に迫る生々しい世界を私たちに伝えたいという映画製作者の意図があったからではないかと思います。だからこそ、見ている私たちも彼といっしょに、「事件」に巻き込まれる恐怖を味わうことができました。


自傷他害行為 ―幻覚妄想が現実を乗っ取ってしまう

 ナッシュの入院後、画面の視点はナッシュからアリシアに移っていきます。精神科医は彼女に「彼は現実を見失っている」と説明し、ナッシュの精神状態が徐々に明らかになっていきます。アリシアは、ナッシュが幻覚妄想に陥っている証拠を探し出し、突き付けます。それは、すでにスパイ組織に行き渡っているはずの暗号解読入りの封筒の束です。ナッシュが思い込んでいた「秘密」のポストに未開封のままで貯まっていたのでした。しかし、彼はその現物を目の当たりにしても、現実を受け入れようとはしません。それどころか、幻覚妄想の中で腕に埋め込まれたダイオードのチップを探すため、爪で手首を掻き分けるという流血騒ぎを起こします。このシーンで、彼にどんなに説得しても無理であることを私たちも悟ります。これがまさに精神科医が言う「妄想が現実を乗っ取ってしまう」ということなのです。 退院して自宅療養している時期、こっそり薬を飲むのをやめたために、幻覚妄想が再び現れるシーンがあります。ナッシュは銃口を突き付けられたのに反応して、とっさに赤ん坊を抱いているアリシアを突き飛ばしてしまいますが、彼女はわけが分からず、身の危険を感じてしまい、精神科医に助けを呼ぶのでした。 このように、幻覚妄想に振り回されて自分を見失い(心神喪失)、自分を傷付けたり他人を害したりすること(自傷他害)のおそれがある場合は、速やかに保護のために警察通報する必要があります。


身体療法 ―インスリンショック療法から電気けいれん療法へ

 入院中に自傷行為に至ったナッシュの心の状態は、かなり切迫していることが分かります。もはや薬の治療(薬物療法)の効果を待っている猶予はなく、体への直接的な治療(身体療法)が行われます。それは、インスリンを体内に投与することで、人工的に低血糖によるけいれん発作を引き起こすものです(インスリンショック療法)。けいれんが起きることで、頭の中がリセットされ安定するという仕組みです。この治療により、彼は幻覚妄想による危機(急性期)を脱していきます。このインスリンショック療法は脳へのダメージのリスクが高いために、現在は治療方法として認められていません。現在行われている身体療法は、頭に電気を流してけいれん発作を引き起こす治療方法(電気けいれん療法)です。さらには、麻酔科医の立会いのもと筋弛緩薬を使用して体のけいれんを起こさせず、頭の中だけけいれんを起こさせる治療方法(無けいれん電気療法)も確立しています。頭に電気を流すと聞くと、みなさんはびっくりされるかもしれませんが、適切な電気の量を流すため副作用や後遺症はほとんどありません。かつて懲罰的に使用された歴史があったこともあり、一時期は治療法として忌み嫌われ廃れていましたが、現在は、見直されてきています。


薬物療法 ―予防薬としても大事

 退院後、自宅療養しているナッシュは、尋ねてきた元同僚に「薬を飲んでると頭がぼうっとして(数学の問題を解こうとしても)答えが見えない」と漏らし(集中力低下)、落ち込んで引きこもってしまいます。精神科医には、「(薬のせいで)夜に妻を愛せない」と嘆いてもいました(性機能障害)。一方で、妻も日常生活や夫婦生活がうまく行かないことでいら立ち、苦しんでいる様子が率直に描かれています。この彼らの葛藤があったからこそ、乗り越えた後の支え合う穏やかな生活のありがたみも自ずと私たちに伝わってきます。再発予防のために、薬は長期的に飲む必要がありますが、当時の薬は、効果はあるものの、副作用もいろいろありました。現在は、薬の飛躍的な進歩により、副作用も少なくなり、内服を続けることに抵抗感がなくなってきています。もはや予防薬として薬を飲み続けていれば、症状が落ち着いて生活に支障をきたすことなく、かなりの人が社会復帰しているという点では、糖尿病や高血圧などの治療とほとんど変わりはありません。治療可能な心の病というふうに見方が変わってきています。
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周りのかかわり ―説教から支持へ

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 自宅療養をし続けているナッシュは、アリシアと精神科医に打ち明けます。「仕事ができない」「赤ん坊の世話もできない」「夜に妻を愛せない」「それでも生きる価値があるのか」と。ナッシュは、何もすることもなく(無為)、家に閉じこもってばかりいる状況(自閉)の情けなさに気付いていくのです。 ナッシュが薬を一時期こっそりやめて幻覚妄想が悪化したことで、アリシアは家を出ていこうと思い立った時がありましたが、最終的には、彼を支え続けることを決意し、接し方も変わっていきます。口うるさく説教する(高い感情表出)のではなく、彼の気持ちの揺れに粘り強く寄り添っていくのです(支持)。 すると、彼も変わっていきます。ナッシュは一大決意して、なんと思い切って母校の教官になっているかつてのライバルの所に行き、大学の出入りの許可をもらうのです。彼は元ライバルに言います。「アリシアと相談して、社会の一員として生活するのがいいんじゃないかって」「慣れ親しんだ場所で親しい人たちと付き合うことで病気を癒していきたいと。そして、この元ライバルの友情にも支えられて、彼は、毎日、大学の図書館に通い、研究を続け、学生とかかわり、慕ってくれる教え子ができるようになったのです。これは、現代にも通じる統合失調症の精神科リハビリテーションです。 ナッシュの性格は、もともと前向きでひたむきでしたが、妻や友人に支えられることにありがたみや喜びを素直に感じることができ、ユーモアも加わっていきます。この心のあり方こそが、タイトルでもある「ビューティフルマインド(すばらしい心)」と言えます。さらには、支えることに喜びを感じることができる妻や友人も、「ビューティフルマインド(すばらしい心)」の持ち主であると言えそうです。これらの周りのかかわりや本人の心のあり方は、病気が回復していくための大きな強み(ストレングス)となります。


レジリエンス ―心の回復力

 ナッシュは、日々の生活において、研究を続けること、学生たちなどの周りとかかわることをとても大事にしています。これこそが、彼が人生で望んでいること(アスピレーション)です。妻を始めとする周りは、この彼の姿勢を尊重し、支えています。実際、統合失調症の人が、具体的に、最終的にどんな仕事を望むのか、どんな人間関係(友人やパートナーなど)を望むのかは人それぞれです(生活特性)。だからこそ、私たちがこれらを本人といっしょに見極めていくことです。そして、本人が「自分にはやることがある」という役割や「自分を認めてくれる場所がある」という居場所を見いだしていくことです。そこには、日課や目標という心のメリハリが生まれ、日々の生活が生き生きとしていきます。そして、日課をこなして目標に向かうことが、病状の回復や安定に大きくつながっていくのです。この病状を回復させていく力(レジリエンス)の源は、病気に対する本人や周りの強み(ストレングス)や本人が人生で何を望んでいるかはっきりしていること(アスピレーション)です(表2)。ちなみに、現代の精神科リハビリテーションの核となるデイケアや作業所も、日課をこなす点、仲間とつながる点で大きな強み(ストレングス)であると言えます。

表 ナッシュのレジリエンス(心の回復力)の源

 

人生で望んでいること

(アスピレーション)

 強み(ストレングス)
 本人  周り
 

・研究を続ける

・学生とかかわる

 

・数学の能力

・前向きでひたむきな性格

・ユーモアがある

 

・妻アリシアの支え

・友人の支え

・母校の受け入れ

・慕う教え子がいる




際立ち(サリエンス)仮説 ―ワクワク感やハラハラ感の正体

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 晩年、ナッシュは、かつての功績が認められてノーベル経済学賞を受賞します。その授賞式の壇上でのスピーチで彼は言います。「私はいつも方程式や論理の中に『答え(reason)』を求めてきました」「そして、ついに、人生で最大の発見をしました」「それは愛の方程式です」「今夜、私がここにいるのは君のおかげだ」「君がいてくれたからこそ僕がいるんだ」「君が僕の全ての『答え』だ」と。支えてくれた妻アリシアへの感謝のメッセージを込めた彼らしい言い回しです。とても感動的なラストシーンでした。 ナッシュの若い頃からの究極的な「答え」を求めようとする心構えは、ものごとパターン化して、関係付けを見いだそうとする人間本来の特性と言えます。そこには、気になって意味付けし、特別視する好奇心の心理(新奇希求性)があります。この人間本来の本能的な心理モデルから、統合失調症のメカニズムを説明する仮説があります。「際立ち(サリエンス)仮説です。人間はそもそも、いつもと違う状況(新奇)に遭遇すると、ドパミンという神経伝達物質が脳内で分泌され、感覚が研ぎ澄まされて覚醒します。それはまさに、私たちが新しく何かを経験したり珍しいものを見たりした時に感じるワクワク感や、普段にはない怪しいものを見たり身の危険が迫った時に感じるハラハラ感です。そして、この心理に衝き動かされ(動機付け)、特別であると意味付け(価値観)、その正体である「答えを突き止めることで、原因と結果の関係付け(因果関係)をします。そこから、世界をよりいっそう認識していくのです(学習)。ナッシュは、酒場で、女性グループと自分たち男性グループがいかにカップリングできるかという状況に好奇心を抱き、「最良の結果は、自分とグループの利益を同時に考えることである」という新しいパターン(因果関係)がひらめきました。これは、「自分の利益を考えることこそのみがグループ全体の利益につながる」という当時常識であった理論を根底から覆すものでした。彼は、酒場のこの状況に際立ち(サリエンス)を感じたからこそ「自分とグループの利益を同時に考える →「最良の結果」という因果関係を導いたのでした。ちなみに、この考え方は、日本で今をときめく人気アイドルグループの組織作りにも応用されています。また、別の例として、多くの登山家は、「なぜエベレストに登るのか?」と問われたら、「そこに山があるから」と答えるでしょう。それはまさに、エベレストが世界で最も高い山であり、その登山家にとってエベレストは特別に際立っており(サリエンス)、命を預ける価値があるからだと言えます。こうして、ドパミンによって衝き動かされた私たちの行動による学習の積み重ねが、現在の私たちの高度な文明であり、豊かな文化であると言えます。


サリエンスの異常 ―統合失調症のメカニズム

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 サリエンスのメカニズムは、私たち人類の繁栄になくてはならないものだったということが分かりました。それでは、もし先ほど登場したドパミンが誤作動して出すぎてしまうと(ドパミン過剰分泌)、どうなるでしょうか?新奇な状況とドパミン分泌はセットで連動しています。よって、もしもドパミンが勝手に分泌しすぎて溢れてしまうと、逆に、いつもと同じ状況がいつもと違う状況(新奇)に勝手に際立って感じてしまいます(サリエンスの異常)。何気なかった物音や人込みの雑踏がうるさく聞こえ、景色が鮮やかに眩しく見えるなど過敏に感じ、考え過ぎで深読みや裏読みをしてしまいます(神経過敏)。実際、ナッシュは、自分の家の前に黒い車が止まっただけでビクビクしています。そして、その車から子どもたちが出てきて、ホッとするシーンが分かりやすいです。さらにドーパミンの分泌が暴走してしまうと、頭の中で出てくる声(「内なる声」)や思い描くイメージが、敏感な知覚として幻覚になってしまいます。また、何かとんでもないことが起きてしまうと思い込み、関係があるかどうかの確かさが勝手に高まってしまい、あり得ない関係付け(関係妄想)やあり得ない嫌がらせや陰謀(被害妄想)に発展し、敏感な思考として妄想になっていくのです。


幻覚妄想と創造性 ―人類の進化の必然の産物

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ノーベル賞受賞の候補に上がっていると聞かされた時にナッシュは言います。「いまだにないものが見えてしまうから」「薬で頭のダイエットをしている」「そして、パターン(因果関係)の発見や自由な想像や夢に対しての『食欲』を抑えている」と。サリエンスのメカニズムを考えると、文化人類学的には、創造性を発揮するかあるいは幻覚妄想を発症するかは、言わば紙一重であるとも言えそうです。ナッシュは、創造性を発揮して功績を残した一方で、幻覚妄想は長らく続いてしまいました。そして、最終的には、薬物療法と妻アリシアを始めとする周りの支えで、回復することができました。統合失調症という病は、私たちの進化の中で生まれてしまった必然の産物とも言えます。そして、この病気のメカニズムである「際立ち(サリエンス)」は、私たちの文明や文化に恩恵をもたらしています。だからこそ、私たちも、この統合失調症の人たちを支えることによって、ビューティフルマインド(素晴らしい心)であり続けて、いっしょに乗り越えていく必然もあるのではないでしょうか?


参考文献

「ビューティフルマインド」(新潮社) シルヴィア・ナサー 塩川優(訳)
「天才と分裂病の進化論」(新潮社) デイヴィッド・ホロボン 金沢泰子(訳)
「統合失調症を生きる」(新興医学出版社) 長嶺敬彦
「生活臨床の基本」(日本評論社) 伊勢田尭