本文へスキップ

妹の恋人Benny & Joon

統合失調症

画像

 統合失調症を描く映画やテレビドラマは、深刻で重い作品が多いようですが、「妹の恋人」は軽いタッチで現代風です。コミカルでラブロマンスもあり、安心して見ることのできる映画です。主役のサムは若かりし頃のジョニーデップが演じており、これは見逃がせません。
 ヒロインのジューンは、幼い頃に火事で両親を亡くして以来、そのショックで心を病んでしまい、統合失調症を発症してしまいます。家で気ままに好きな絵を描いて過ごしていますが、兄に雇われてやってくる家政婦が気に入らず難癖をつけてしまうので、家政婦は毎回すぐにやめてしまいます。遊びで兄と卓球をしていても、「ズルしたのは兄だ」と言い張り、挙句の果てにものを投げるなど聞き分けのない一面もあります。そして、腹いせに火遊びを部屋の中で悪びれもなくしてしまいます。また、外出する時にシュノーケルをかぶり片手に卓球のラケットを持ち交差点で騒ぎを起こし、事態を収拾させようとする警官に「私には外出する権利がある」と告げるなど、まとまりのない言動も見られます。これは、支離滅裂と呼べる病気の症状です。このように、もともとの気ままな性格に加えて病気の症状も重なると、自立して日常生活を送ることは難しくなっていきます。

 一方、兄ベニーはただ一人の家族であるそんな妹ジューンを自分のこと以上に大切に見守ってきました。町の自動車修理屋で働いていますが、仕事中もいつもジューンのことが気になり、しょっちゅう電話をしています。ジューンの世話に追われてしまうため、せっかく魅力的な女性からデートに誘われても断ってしまう始末です。このままだと自分の生活が潰れてしまうと思いつつも、妹の主治医から勧められるグループホームに入れるかどうかで頭を抱えます。そんな折、ポーカーゲームで負けた罰ゲームとして友人の従兄弟であるサムを居候させることになります。


学習障害

画像

 転がり込んできた居候のサムは、風変わりな出で立ちでほとんど無口ですが、パントマイムなどの大道芸に才能があり、彼のしぐさや芸は見る者を虜にしていきます。そして、そんなサムにジューンは好意を寄せていきます。サムはビデオ屋でちゃんと接客ができていますが、読み書きができないという点で学習障害が疑われます。
ジューンとサムは出会った瞬間からお互い惹かれあい、その素朴で純粋に相手を思う気持ちが、見ている私たちにも伝わってきます。もともと、精神障害者も根は私たちと同じです。しかし、いまだに、精神障害者=「頭がおかしい」=「何をするか分からない」という図式が昔から根強く残っているのも事実です。実際、テレビや映画の中で怪物のような犯罪者が描かれ、よく誤解を招いています。この映画の中で触れられている劇中映画「高校生連続殺人鬼」でも相手を切り刻み返り血を浴びて高笑いしている殺人鬼のシーンがあり、衝撃的です。これはあえて反面教師として教訓的に出した脚本家の意図があると思いますが、皮肉なものを感じます。精神障害者と犯罪者は全く別の次元で捉えてほしいです。まれに凶悪な犯罪者が精神障害者であったというニュースが流れると、それが誇張されていくのではないかと悲しい気持ちになります。

 この映画では、ジューンとサムは偶然的な出会いをしますが、実際には作業所、デイケア、障害者のイベント、病院・クリニックの外来などで障害者同士が出会い仲良くなることは多々あり、結婚することも少なからずあります。2人の惹き合う気持ちがクライマックスに達し、手で油絵を描くシーンや風船でメロディを奏でるシーンは他愛もないですが、BGMがぴったりで幻想的でロマンチックです。一方、兄ベニーとウェイトレスで友達のルーシーとの恋仲は、お互いの気持ちを薄々感じつつもその気持ちの表し方が儀式的で遠回し、時にひねり過ぎて回りくどく、そして自分の気持ちとは裏腹の態度を示し駆け引きをしようとします。ちょうどジューンとサムとの純で正直な関係とは対照的で、その違いが際立っていておもしろいです。


心理教育

画像

 ベニーは自分の人生を犠牲にしてまでジューンのことを大切に思うわけですが、この兄ベニーの妹ジューンへの関わり方は、強く愛しているだけに過干渉で批判的になりがちです。これは、「家族の感情表出(EE, expressed emotion)」と呼ばれ、ベニーのような家族を「高EE家族」と呼んでいます。ベニーは、介護疲れのストレスも溜まるなか唐突に妹とサムとの恋仲の関係を聞かされたことを引き金に、ジューンに「おまえはクレイジーだ」「施設行きだ」と言い放ってしまいます。そして、ジューンの緊張と不安はピークに達してしていきます。
 ジューンは兄ベニーにサムとの恋愛を否定され、サムと駆け落ちしようとバスに飛び乗るわけですが、あまりの緊張と不安でストレスが極限状態に達します。バスの中で病状は悪化し、周りの物音に対して過敏になり、幻聴も聞こえてきます。その辛さでパニックになり、言動がまとまらなくなります。結局、バスの中で暴れてしまい、救急隊に取り押さえられて閉鎖病院に運ばれてしまいます。以前の診察の時に主治医の先生が兄ベニーに説明する場面でも「彼女にはストレスと神経のイラつきが一番の敵なの」と言っているように、ストレスは病状に大きく影響します。

 幸いにも、サムの人を惹きつける個性に影響を受けベニーの視野は広くなっていたのと、サムの「あんたは何を怖がっているんだ?」との一言で、自分と妹との関係を見直すようになります。ベニーは自分が妹のことで頭がいっぱいになり過ぎていたことにようやく気付いたのでした。心の病を持つ人に対しての適度な距離感を意識することの大切さをこの映画から学び取れることができます。

 その後のベニーとサムが協力して閉鎖病棟に忍び込むシーンはコミカルで楽しいですし、ジューンの3階の病室の窓の外にサムが宙にぶら下がって飛んでいるシーンはメルヘンチックで感動的です。


グループホーム

画像

 前半の部分でジューンの主治医が兄ベニーに勧めていた「グループホーム」は、日本語の字幕が「施設」となっているので、私は少し違和感を持ってしまいました。施設という言葉の響きが「孤児院」「矯正施設」などのネガティブなイメージを連想してしまうからです。「グループホーム」は、場所にもよりますが、もっと自由で寮みたいなところです。世話人さんと呼ばれる寮長さんみたいな人がいます。病院生活と独り暮らしの間を取り持つクッション的な存在で中間施設の一つです。
主治医の先生自身がグループホームを勧める理由はいくつかありました。まず、そもそも家に閉じこもりっきりで、かかわるのは兄だけというのは人間関係がとても閉鎖的で社会性が乏しくなってしまう点です。さらに、兄のかかわり方にも問題があり病状に悪い影響を与えていた点です。さらに、グループホームで仲間ができるという点です。仲間との人間関係を築いていく中で社会性を養うことができるからです。最後に、そこで職業訓練を受ければ、パートの仕事に就ける可能性がある点です。ここまで来ると、精神障害者と言えども仕事をして自立して立派に社会適応できていると言えます。これは、本人のためにも当然いいことですし、また、自分の生活が潰れそうな兄にとっても妹の面倒を見続ける精神的、肉体的、経済的負担が減り、喜ばしいことです。

 最終的には、ジューンとサムは結ばれ、仲良く2人でアパート生活を始め、とても微笑ましいハッピーエンドで終わります。これはこれで人間関係を築き、社会生活を営んでいるという点で、素敵なことだと思います。果たしてこのままうまくいくかどうかは実際にやってみないと分かりませんが・・・主治医の先生の言うように「心配だけど試してみましょう」という気持ちは良く分かります。うまくいかないことがあったとしても、アパートの家主はベニーの恋人となったルーシーですし、ベニーも様子を見に伺うことをマメにすれば、すばらしいサポート体制になりそうです。


ライフイベント

画像

 ジューンの統合失調症の発症は、幼い頃に両親を火事で亡くしたことがきっかけとなっているようで、これはストーリーの途中でエピソードとして触れられています。その影響からか、ジューンは火遊びをやめようとしませんでした。実際に、統合失調症の発症メカニズムは様々な要素が考えられていますが、その中で、「脳の機能異常」と「心理社会的なストレス」が大きな割合を占めています。
「脳の機能異常」は遺伝負因、胎児期・出生時のトラブルなどの原因が上げられます。「心理社会的なストレス」は、そのまま心理的なストレスのことなのですが、よく「ライフイベント」と呼び、「人生の出来事」と言い換えることができます。例えば、受験、就職、学校や会社や家族(嫁姑関係)でのいじめなどです。その中で、統計的に最も発症の引き金となっているのが、この映画にもある親の死なのです。


家族療法

画像

 もともとの原題”Benny & Joon”は、そのまま兄のベニーと妹のジューンを並べたもので、なかなかアメリカの映画にありがちな淡白なタイトルだったのですが、邦題の「妹の恋人」は、聞いた瞬間にいろいろと想像力を描き立てられます。


 「妹の恋人」とはつまりサム(ジョニーデップ)のことで、確かに主役的に演出されているので、邦題でフォーカスをあえてサムに向けたことは納得がいきます。それをさらに、兄ベニーと妹ジューンの関係性で表している点はあっぱれだと思います。もともとの兄妹仲を描きつつ、そこに転がりこんできたサムを含めての3人の関係をうまく一言で言い表しています。紆余曲折ありましたが、結果オーライの「家族療法」とも言えそうです。