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結婚できない男アスペルガー症候群

広汎性発達障害

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 2006年に放映されたテレビドラマ「結婚できない男」は、異色の恋愛ドラマで多くの反響を呼び、一躍脚光を浴びました。世の中では結婚したくてもなかなかできない男女が増え「婚活」が社会現象となり、結婚難が騒がれている昨今の世相を反映しています。ストーリーでは、結婚できない理由が主人公の信介の「ユニークな性格」によるものだというふうに展開していきますが、実は、この「ユニークな性格」は広汎性発達障害の中のアスペルガー症候群の特性ではないかと、メンタルヘルスの現場では指摘されます。そして、このアスペルガー症候群は、現代の社会構造の変化によりあぶり出され増えてきているのではないか、だからこそこのドラマが注目を集めたのではないかと私は考えます。また、ヒロインの夏美は、ある種の強さを持った現代的な女性です。信介はその強さにいつの間にか惹かれていきます。そして、夏美が信介を理解することで、2人の関係は徐々に近づいていきます。アスペルガー症候群の人に対しての周囲の理解や関わり方次第で、その人の良さを引き出し、人間関係を円滑に営むことができるのではないかということがこのドラマのメッセージとして伝わってきました。


アスペルガー症候群

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 それでは、まず、具体的にストーリーの中で信介のアスペルガー症候群としての特性を押さえていきましょう。信介は、ルックス良く、仕事ができて、経済的に恵まれている39歳の独身男性です。高身長、高学歴、高収入で3高も満たしています。一見して女性を引き付けるものを持ってはいるのですが、出会った女性はすぐに彼の言動にうんざりし、彼の元を去っていきます。その理由は、彼が「偏屈」「頑固」「独善的」「皮肉屋」「理論家」「潔癖症」「凝り性」だからであるとドラマでは描かれています。確かに傍目にはその通りなのですが、メンタルヘルスの視点に立てば、これらはアスペルガー症候群の3つの特徴である社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害に当てはまります。画像

 例えば、オープニングで信介がパーティ会場で初対面の女性に接するシーンが印象的です。雨の中からパーティに不釣り合いなずぶ濡れの地味な上着を着て登場し、相手の話をあまり聞かず一方的に話を進め、思ったことをそのまま口走り、うんちくをこね始めます。一言で言うと、空気が読めていません。別のシーンで、マンションの隣人女性のみちるが金策に窮し水商売をやり始めた姿を見て、助けたい気持からお金を貸そうとするシーンで、信介は「困ってんの見たくないから」と言いつつ、受け取るのに躊躇しているみちるを見て「客も我慢している」「もっと若くて女子大生みたいのがいいのに」と言い放ってしまいます。画像

また、バスツアーに参加するシーンでは、バスガイドの話に割り込みバスガイドよりも詳しいうんちくを得意になって披露し、バスガイドを泣かせてしまいます。年下の女性とのデートの時に相手が水族館で「魚、大好き」と言うと、信介は「魚より肉が好きだな」と答えます。長年の仕事のパートーナー沢崎がヘッドハントされるシーンでは、引き留めようとして出た信介の言葉は「便利で都合のいいやつはお前しかいない」でした。人生ゲームに凝っていて1人で復刻版の人生ゲームをやる、細かい指示を出しお好み焼きをマニュアル通りに作る、模型のプラモデルの部品が1つ足りないだけでもう1セット購入する、花柄は視界に入るのも嫌などのたくさんのこだわりもあります。また、全体を通して、猫背でぎこちない歩き方をして、急に近付く、顔を近づけて話すなどの挙動不審な特徴もありました。指摘したらきりがありません。これらは全てアスペルガー症候群の特徴と言えます。これだけ忠実に特徴を描くことができたのは、きっとかなり類似する実在のモデルがいたのではないかと思います。そして、実は、私たちが思っている以上に信介のような人は世の中にはいるようです。そして、目立ってきているようです。実際に、信介を一言で言い表せる「KY(空気が読めない)」という言葉が流行語となっているように。


こだわり

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 それでは、なぜ「結婚できない男」のような人たちが現代に浮き彫りになってきているのでしょうか?なぜ「KY」という言葉が流行語になるのでしょうか?そこには、時代のニーズにより、新しく求められる価値観と取り残されてしまった価値観を反映しているようです。かつて、士農工商の封建社会では、身分制度により仕事も結婚相手も生まれる前からほぼ決められていました。農業や工業などの製造業が主流で、このシステムにおいて求められる価値観は、「正直」「真面目」「勤勉」「律儀」です。分かりやすいイメージとしては、頑固で人付き合いは悪いけれど腕は良い職人です。この職人気質は、まさに建築家の信介に当てはまります。この価値観はアスペルガー症候群の特性と相性が良いのです。多少の「偏屈」は問題にされず目立たなかったのです。この特性を持った人々がその能力を発揮しその時代を活躍しました。しかし、その後、時代は大きく変わり、産業革命、情報革命を経て、サービス業中心の世の中になってきました。情報化し複雑化したコミュニケーション重視の新しい社会構造の中、かつてなくコミュニケーション能力、周りの「空気を読む」能力が求められる時代に変わってきたのです。アスペルガー症候群の人たちは本来の居場所、行き場である製造業の仕事からあぶれてしまい、サービス業に流れていきましたが、「空気を読む」ことはできず、ただその「偏屈さ」が目立つ結果となったのでした。実際に、建築の営業をするパートナーの沢崎が不在の時に、信介は彼女に代わり営業を全うすることはできませんでした。


共感性

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 同時にこの社会構造の変化は結婚にも影響を与えました。情報化され自由化された新しい恋愛結婚のシステムでは、選択肢、判断基準が増え個々人の違いが重視されるようになりました。そこで求められることは相手の気持ちを推し量ることで、心配り、気遣い、思いやりです。つまりは「空気を読む」力量です。ドラマの中で夏美が見合い結婚に嫌気が差し、恋愛結婚に憧れるのも納得がいきます。部下の英治やホスト風のライバル建築家の金田は、信介とは対照的にナンパで人当たりのいいキャラとして描かれており、信介の特性を際立たせています。逆に、ドラマではみちるを狙うストーカーが登場しましたが、相手の気持ちを全く考えない一方的な恋愛であるストーカー行為は、まさにその負の産物と言えます。また実際に、メンタルヘルスの外来で適応障害と診断された患者の中には、実はアスペルガー症候群の傾向があり、その特性により仕事の人間関係や恋愛関係がうまく行ってないことが原因である場合があります。


パターン認識

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 それでは、アスペルガー症候群の人やその周囲はどうすればいいんでしょうか?実は、その答えはドラマの中に散りばめられています。ドラマの回を重ねて見るうちに私たちはあることに気付きます。それは、まず、本人に悪気がない点です。この点はアスペルガー症候群を理解する上でとても大切なことです。ドラマで夏美が言います。「言い方とかムカつくけど、悪い人ではないと思う」「心で思っていることと表に出すことが違っている場合が多い」と。アスペルガー症候群の特性ゆえに独特の言い回しをしてしまい本心がうまく相手に伝わらないことが多いのです。時折、信介の一生懸命さやもどかしさが私たちにも伝わってきます。現に、頼まれれば、命懸けでベランダをつたい、慣れない犬の世話をし、迷子の犬探しに必死に協力し、出会って間もない女性の新しい恋人のフリをすることに承諾し、みちるのボディガードを務め、ストーカーを撃退します。もともとお金の貸し借りをしたことがなかったのに、困っているみちるに自らお金を貸そうともしました。秘密を漏らすなと言われたら絶対に漏らしません。これは信介の良さであり、アスペルガー症候群の特性として、先にも挙げた「正直」「真面目」「勤勉」「律儀」などの二面性を合わせ持っていることが理解できます。「俺は自分の気持ちに正直でいたいから」という信介の言葉がそれを裏付けています。信介の良き理解者である沢崎は、その特性を見抜きうまく手なずけ仕事をやらせていました。実直であるがゆえに乗せられやすい面も見えてきます。時には、「今の(信介の発言)を翻訳すると」などと沢崎はフォローも入れます。信介の方も、何が悪いか分からないけれどパターン認識をして彼なりに社会適応していこうとする姿勢も見受けられました。信介に皮肉を言われたと思った夏美は激怒し立ち去るシーンがありますが、訳分からず追いかけた信介は悪気なく尋ねます。「悪いんでしょ?」と。しかし、夏美が許してくれないので「すみません」ととりあえず謝っています。何が悪かったのかのフィードバックがなければ、同じ過ちを繰り返していきますが、ストーリーが進むにつれて、信介は夏美に「また、説教ですか?」と言いながらも、夏美の精神療法的な「説教」に耳を傾けていくようになっていきます。また、夏美は沢崎の指南を受けつつ、徐々に信介を理解していきます。ある時、結婚相手に理想ばかり追い求めるみちるに「男性に求めるものは?」と聞かれて、夏美は答えます。「その人が何を考えているかちゃんと理解できること」と。発想の転換です。求めるのは、相手にではなく自分であることを悟るのです。夏美の成長ぶりが伺えます。その後、夏美はあえて信介のテレビ出演でカットされた発言の話を引き出し聞いてあげるなどして、「説教」だけではない支持的なかかわりを通して信介に歩み寄ります。そして、最後には信介に告白します。「(今までの)私たちの会話ってキャチボールじゃなくてドッジボールばっかりだった気がします」「(これから)私はキャッチボールがしてみたいです、あなたと」と。その告白を受けて、後日、信介は夏美の診察室に訪れます。「キャッチボールしようと思って」と。関わる相手がキャッチボールできるうまい球をまず投げてあげることが大事であることも描かれています。また、信介が通うコンビニの女性店員でさえ、対応を変えてきます。いつもレジで「スプーン要りますか?」「ポイントカードありますか?」と聞くと、信介は間髪入れずに無愛想に「要りません」「ありません」と言うので、やがて「スプーン要りませんし、ポイントカードもありませんよね。」と聞くようになります。


認知行動療法

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 ラストシーンで、夏美を家に誘いたい信介は、誘いの言葉を素直に言い出せず、逆に夏美に「もしかしてうちに来いって言ってますか」と言い当てられてしまい、いつもの口癖で「あなたがどうしてもとおっしゃるなら」と言ってしまいます。うわての夏美は、「あなたがどうしてもって言うなら」と切り返します。すると、最後についに、いつもはあまのじゃくな信介が素直に答えます。「じゃあ来てください。どうしても」と。このシーンは、夏美のかかわりにより信介が少しずつ変わってきていることを伺わせます。と同時に、夏美の信介へのかかわりが大きく変わったことも描かれています。とてもほのぼのとするエンディングです。もちろん、トレンディドラマにありがちなハッピーエンドではなく、これからの2人の関係も波乱に満ちたものを予感させますが・・・実際に主人公に共感してしまう未婚男性の視聴者に大反響がありました。自分と重ね合わせてハッとした視聴者も多いようです。反面教師としても主人公の視点を通して、自分のあり方、生き方を客観的に見つめ直すことができたのではないかと思います。もちろん、周囲の人たちにとっても、アスペルガー症候群への理解が深まり、対応のコツが分かったのではないでしょうか。つまり、このドラマは、アスペルガー症候群の本人が信介を自分と重ね合わせ、同時に周囲の人が信介をその当人に重ね合わせ、どうしたらいいかを気付かせてくれるセラピーの役割を果たしているのではないかと思います。社会がこの「結婚できない男」であるアスペルガー症候群の特性をもっと認知し寛容になっていき、その個性的で良い面を高く買ってあげて、口下手でコミュニケーションが苦手な面は大目に見て微笑ましく見守ってあげることができたら、世の中はきっと彼らにとっても私たちにとっても、もっと居心地の良い場所になるのではないでしょうか。今、世の中に求められているのは、彼らを理解し、彼らと「キャッチボール」をして、お互いに少しずつ成長していけるような、より寛大なコミュニケーション社会なのではないでしょうか?