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折り梅 [改訂版]認知症

「もう何度言ったら分かるの!?」

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 みなさんは、認知症の人の介護にかかわる時、「もう何度言ったら分かるの!?」と堂々巡りになったことはありませんか?認知症は誰でも、そしていつか自分もなり得る病です。しょうがないと私たちは頭では分かっています。しかし、実際に認知症の人を目の前にして、気持ちでは優しくなれない時があるかもしれません。そんな時、私たちはその人をどう見たらよいのでしょうか?そして、どう接したらよいのでしょうか?

 この認知症の人へのかかわり方について、介護者の目線で、身近にそして分かりやすく考えていくために、今回、映画「折り梅」を紹介します。現在、本作品は販売中止となっていますが、ツタヤの大型店舗などでのレンタルは可能です。また、インターネットによる宅配レンタルもご利用いただけます(http://tsutaya.com/)この映画の原作「忘れても、しあわせ」(小菅もと子、日本評論社、1998)は、もともと介護をしていた主婦の実話をもとにした著書であることもあり、それぞれのシーンが私たちの家庭での日常風景そのものです。そこから、認知症の人を介護する家族の大変さや割り切れなさだけでなく、同時に受け入れる喜びも、ありのままに私たちに伝わってきます。

 また、映画の前半と後半で、認知症になったおばあちゃんへの家族のかかわり方が大きく変わっています。ストーリーを追いながらその違いを見つけ、認知症の人へのより良いかかわり方をいっしょに考えていきましょう。


初期症状―最初は気付かれにくい

 主人公・巴(ともえ)の義母は、夫に早くに先立たれ、団地で独り暮らしをしていました。同じ団地で仲が良くて世話を焼いている人がいて、寂しくはありませんでした。しかし、その人が施設に入ってしまい、義母は一人ぼっちで寂しくなってしまいます。そんな時、巴とその夫は、自分たちの家族と同居しようと勧めます。巴の家族は、夫、中学生の娘、小学生の息子の4人住まいです。パートタイマーとして働く巴は、義母に家事を手伝ってもらい生活を楽にしようという思惑もあったのでした。

 ところが、同居して3か月ほど経つと、義母の様子がおかしくなっていきます。毎回、「これ使って」と言い、まだ使っているシーツを次々と縫って雑巾にしていきます。また、「やってやるよ」と意気込んでゴミ捨てに行ったのはよいのですが、ゴミ置き場が分からず、向かいの隣人の玄関にゴミを置き、隣人には嫌がらせと誤解され、巴は苦情を言われます。

義母は、家族の役に立ちたいという気持ちが強かっただけに、空回りするもどかしさや、巴に強く当たられた腹立たしさから、ご飯を床にぶちまけてしまいます。巴は、てっきり、嫌がらせをされているのだと思い、義母を完全に厄介者扱いするようになるのでした。

認知症のなりかけの時期(初期)は、本人がしっかりしている部分が残っており、認知症だと気付かれにくいことがあります。もともとの性格が際立っていき、ひがみっぽくなったり、意地が悪くなったり、ケチになったり、物をためこむようになったり、怒りっぽくなったり、逆に沈みがちになったりするなどの症状があります(性格の先鋭化)。しかし、家族にはもともとこんな性格なんだと決めつけられるだけのことがあります見極めのポイントとして、もともとその人がどんな人だったのか、極端に変わってきたかどうかに目を向ける必要があります。

 


発症のきっかけ―生活環境の変化

困っていた巴は、パート先の同僚に教えられます。「あれ(認知症)は急に環境が変わった時に始まるんだってよ」と。何事も1人でこなす住み慣れた団地暮らしから、息子宅に同居するという生活に一変したことで、義母は今までできていたことができなくなり、今まで分かっていたことが分からなくなっていくのでした。認知症は初期であれば、もともとの環境に適応し続け、症状が目立たずにやっていける場合があります。ところが、環境が大きく変わってしまうと、環境の変化に合わせられず、認知症の進行を早めてしまいます。

特に、介護施設への入所や病院に入院する場合は、大きな環境変化であるため、かかわる私たちは、認知症を発症しないか注意深く見守る必要があります。そして、家族には、認知症が発症したり進行してしまう恐れがあることを十分に説明する必要があります。

 


中核症状―核になる症状

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 義母が友人へ手紙を書き綴るシーンで、「私は毎日、何もすることがなくてどんどんバカになって」と書いているうちに、「バカ」という字が書けないと物忘れ(健忘、記憶障害)を自覚します。また、巴に「買い物の帰りに迷子になる」と指摘されていますが、今がいつでここがどこなのか見当がつかなくなっていきます(場所と時間の見当識障害)。さらに、パン屋に行けば、菓子パンを30個買うなど目的に合った行動ができなくなります(実行機能障害)。やがては、動物園に行った時、鏡に映った来園者をヒトであるとするジョークの場で、義母は「あのバアさん、私のことジロジロ見るんだよ」と言い、鏡に映った自分自身を理解できなくなるのでした(鏡現象、自己の見当識障害)

 これらの症状は、主に記憶や理解に関係しており、認知症の核となる症状(中核症状)です。

 


周辺症状―中核症状から広がっていく症状

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 認知症が進んでいくに従って、実は症状は何でも起こりえます。脳が縮んだり(全般性脳萎縮)、脳の血管が詰ったりすることで(梗塞巣)、脳の至るところで働きが悪くなっていくわけで、何が起きても不思議ではありません。ここからは、中核症状から広がっていく症状(周辺症状)を見ていきましょう。

まず、家族の団欒であるはずの食事の場面で、義母が大皿の食事を丸ごとがつがつと食べるシーンです。食欲などの欲求が抑えられないのです(脱抑制)。病院に連れられる中、巴には「私は病気じゃありません」と声を荒らげる一方、いざ診察の場面になると義母はいい子ぶります(取り繕い反応)。これはもともとの自尊心によるもので、これでは一見何の問題もないように思われてしまいがちです。医師は、記憶検査(認知症スクリーニング検査)、認知症により日常生活がうまくいっていないという家族の意見(臨床症状)、そして画像検査も踏まえて総合的に評価して、アルツハイマー型認知症の初期と診断します。施設写真
 やがて、義母は小学生の孫を捉まえて、「私のお金が盗られたんだよ、全部」「こんな恐ろしいことするの、巴さん()よ」と訴えます(物盗られ妄想)。また、「どうしてみんな私を貶めようとするのよ」「恩ある祖母を嫌うようにと(孫を)そそのかして」と嘆きます(いじめられ妄想)。その後、この症状はエスカレートしていき、やがては花瓶を地面に叩きつけたり、巴の髪を引っ張りご近所の目の前で引きずり回します(攻撃性)


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かかわりのコツ

(1)客観視

 介護の行き詰りの悲しみに沈んでいる巴は、小学生の息子に慰められ、教えられます。「気にするな。病気なんだから」と。

私たちは、身近な人であればあるほど、思い入れが強くなり、感情的になってしまいがちです。また、巴(家族)は、認知症専門の先生のアドバイスを聞いているうちに、家族が一致団結することで在宅がまだ続けられることを悟ります。

かかわりのコツとして、「病気だから仕方ない」という距離を取った理性的な視点で割り切り、介護の経験者や専門の医療関係者に相談して、認知症という病気を理解することが、心の負担を大きく減らします(客観視)

 

(2)介護の枠組みをつくる

義母が雨の中を徘徊したことをきっかけに、在宅介護の限界を感じ、巴と夫はついに義母をグループホームへ預けようとします。しかし、巴は覚悟を決めている義母が逆に愛おしくなり、「相手を変えようと思ったら自分が変わらなくては」と在宅を続ける決心をします。

そんな巴の姿を見ていた夫も変わっていきます。前半は、仕事人間で介護に関しては、「おまえ()がいいならいいよ」「任せるよ」と言い、トラブルが起きると「甘かったな」「きみが言うから」「パートなんか行ってる場合じゃないよ」とすべて責任を巴に押し付ける情けない夫でした。しかし、後半では家事を手伝い、介護の勉強会にも参加するなどとても協力的になっていきます。

介護という難題を乗り越えようとして、家族の絆、夫婦の絆がより強くなっていったのでした。かかわりのコツとして、家族の協力体制などの介護の枠組みをつくり、1人だけで抱え込まないようにすること、つまり私たちができることをやるということです。逆に言えば、限界を超えて無理をしているからこそ、いら立つわけです。

 また、ヘルパーさんの訪問や地域のデイケアへの参加で、義母はいろいろな人とかかわっていきます。デイケアでは、軽い運動のほか、絵画、習字、粘土の造形、カラオケ、俳句などの五感を通した活動をすることで認知症のリハビリテーションを行います。その間は、家族は介護の負担がなくなります。この訪問介護サービスや通所サービスの利用により、家族が息抜きすることもかかわりの大事なコツと言えます。

 

(3)自尊心を保つ

①決して叱らない

前半で、義母は皿洗いがきれいにできないことで、巴に皿を取り上げられ、家事は何もさせてもらえず、「誰もいない時は出かけないで」と言われ、家に閉じ込められ、何もできなくなります。夫は、義母(夫にとっての実母)に「いい加減にしろ!何度繰り返したら気が済むんだ」と子どものように叱り付け、問い詰めています。その様子を中学生と小学生の孫2人が冷やかに見ています。家族にダメ出しをされるばかりの義母は「家族の中の孤独より一人の孤独の方がよっぽどマシだ」と言い放ち、衝動的に家を飛び出していました。そして、「あんたたちに迷惑がかかるばっかりじゃ生きてても仕方ないもんね」と漏らします。義母の自尊心が傷付いているのがよく分かります。

 認知症により、理屈などの理性的な記憶は衰えていきますが、実は、感情的な記憶はかなり保たれています(リボーの法則)。つまり、叱られた内容は忘れてしまいますが、叱られて悲しい思いをしたことと誰に叱られたかはしっかり覚えているのです。よって、子どもの教育のように叱って同じ過ちを繰り返させないようにしようという学習効果は期待できないです。そればかりか、自尊心が傷付けられたことがストレス因子となり、認知症の進行を加速させてしまうリスクがあります。つまり、かかわりのコツは、決して叱らないことです。

 

②できることをさせて褒めまくる施設写真

ヘルパーが洗濯を干す時に、「バスタオルを取ってください」と義母にわざわざ仕事をさせて、ひたすら褒めるシーンがあります。何かの仕事や頼みごとをあえてさせることで、本人が役に立っているという感覚になれて、自尊心が保たれていきます。本人に役割があることは、居場所があるということです。

認知症専門の医師が言います。「人は誰かに認められていると思えなければ生きていけません」「そばにいる人にありのままでいいんだと受け入れてもらうことが必要なんです」と。その通りに、義母は落ち着いて在宅で暮らしていけるようになります。そして、義母と巴には立場を超えた特別な絆が芽生えていきます。義母と巴が一緒の布団で寝るシーンがありますが、義母は巴に自分の生い立ちを明かし、全信頼を寄せていきます。翌朝に義母は巴の胸に手を置き、「おかやん(お母さん)」と寝言を言います。もはや両者は姑と嫁の関係を越えて、幼子と乳母の関係だと言えそうです。

かかわりのコツは、できることをさせて褒めまくることです。逆に言えば、できないことはさせないことです。本人の役割を限定しつつ、居場所を確保してあげることが重要です。

 

③傾聴しつつうまいウソをつく施設写真

 義母がついに巴を忘れてしまい、旧姓を名乗り、生家の住所を言い、帰らなければならないと告げるラストシーンは、さらに認知症が進んだことを物語っています。認知症が進むごとにだんだんと近い記憶から失われていきます。

例えば、年齢を聞けば、毎回徐々に、年齢を若く答えていきます(若返り現象)。さらには、歩行、食事、排泄などの日常動作のレベルも失われていきます(赤ちゃん返り)。この時の義母への巴の対応は、私たちが大いに学ぶべきところがあります。巴は「今日はどうぞ泊まっていってください」「お茶でもお入れしますから」と言っています。

かかわりのコツは、言っていることを否定せず、ひたすら耳を傾けつつ(傾聴)、本人の話に乗っかったうまいウソをつき、堂々巡りに陥るのを避けることです。お茶やお菓子などのアイテムはとても重要ですし、挨拶や声かけ、笑顔を絶やさない日々の取り組みも大切なことが分かります。

表:「かかわりのコツ」

 

客観視

距離を取った理性的な視点での割り切り

介護の経験者や専門の医療関係者に相談

介護の枠組みを作る

介護者が1人だけで抱え込まない協力体制

訪問介護サービスや通所サービスの利用

本人の自尊心を保つ

決して叱らない

できることをさせて褒めまくる

傾聴しつつ上手なウソをつく

 


介護のあり方を見つめる教材

家族で満開の梅の花を見に行くシーンは圧巻です。まさに精一杯生きている認知症の義母を、折れても老いても美しく咲く梅に重ね合わせています。「折り梅」というタイトルもうなずけます。

この映画を通して、私たちは登場する認知症の義母や介護する家族に共感し心温まるだけでなく、認知症の介護のあり方やかかわり方を、より深く見つめていくことができます。この映画はそんな良質な教材としての役割も担っているように思います。

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参考文献

「忘れても、幸せ」(日本評論社) 小菅もと子

認知症の正しい理解と包括的医療・ケアのポイント(協同医書出版社) 山口晴保