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トカトントン条件反射

ユーモラスで奥深い作品

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 太宰治の短編小説であるトカトントンは、タイトルからして軽やかでユーモア溢れています。しかし、同時に、主人公の内面を読み解いていくと、実は奥の深い作品であることにも気付かされます。 ストーリーは、除隊後のある田舎のしがない郵便局員の若者が、ある作家に宛てた悩み相談の手紙の形をとって進みます。


支配観念―軍国主義という熱狂

 時は敗戦直後。兵舎の広場でラジオから玉音放送が流れ、厳粛で悲壮感が漂う雰囲気の中、軍人から集団自決の覚悟が口にされます。戦争の熱狂がまだ冷めやらぬ中で、その場にいた入隊中のその若者は、「からだが自然に地の底へ沈んで行く」という感覚に囚われ、「死ぬのが本当だ という決意を固めていました。追い込まれた絶望や潔さから来る一つの答えです。 その直後、遠くの方からかすかに金槌で釘を打つ音が鳴り響いてきました。「トカトントン と。厳かなムードを吹き飛ばす能天気で間抜けな音です。すると、その瞬間です。主人公の世界は反転し、色褪せます。そして、白々しくバカらしい気分になってしまったのです。まるで沸騰していた頭に冷水を浴びせられたように、一気に冷めてしまい、もうどうでもよくなったのです。後に彼が告白する「ミリタリズム(軍国主義)の幻影」という熱狂が冷めて、そして目が覚めた瞬間でした。 当時の日本は、戦争に勝つことが全てという軍国主義による国家レベルの熱狂に支配されていました。このように、強い感情に結びついて頭の中を支配する考えは、支配観念と呼ばれます。例えば、熱愛中のカップルがお互いのことで頭がいっぱいになることや、熱狂的なスポーツファンがひいきチームの応援に明け暮れることなどです。支配観念の内容は、妄想というほどとっぴで不合理ではないのが特徴ですが、妄想との密接なつながりがあります。また、カルト宗教などでよく悪用される手口であるマインドコントロール(洗脳)に発展する可能性を秘めています。だからこそ、宗教勧誘の鉄則は、弱っている心にすかさず感情的に働きかけることになります。


幻聴―聞こえるはずのない音

 その後は、平穏な生活を送れるかと思いきや、気分が高揚したり緊迫したりして最高潮になるたびに、トカトントンという幻聴が聞こえてくるようなったのです。そして、その直後に一瞬で気持ちが萎えて醒めてしまい、我に返るという奇妙な症状に悩まされるようになります。書きしたためていた軍隊生活の追憶記の完成を真近にトカトントン。仕事に熱中してトカトントン。デートのクライマックスでトカトントン。社会運動に感極まりトカトントン。マラソンランナーに感動してトカトントン。やがては、死のうと思ってトカトントン。今まさにこの手紙を書いていてトカトントン。そして、主人公は作家に教えを請います。「この音は、なんなんでしょう 「この音からのがれるには、どうしたらいいのでしょう」と。


条件反射―心の反響作用

 まず、トカトントンの音の正体は何なのでしょうか?主人公がトカトントンの実際の音を初めて聞いたのは、敗戦を実感するという際立った体験をした瞬間でした。たまたま聞こえたものですが、インパクトが強烈で特異な瞬間と重なったことで、脳に記憶として鋭く刻まれてしまったのです。しかも、その時の心の動きは、まさに高まっていたテンションが落ちていく瞬間でした。そして、その後に、トカトントンの幻聴が繰り返して出てくるタイミングも、同じようなテンションがピークに達する瞬間です。このように、同じような心の動きをきっかけとして、幻聴などの症状が出てくる場合は、広い意味での条件反射のメカニズムが考えられます。 もともと条件反射とは「パブロフの犬」でおなじみです。犬に餌を与えると同時にベルを鳴らすこと(条件付け)を繰り返すと、ベルの音の刺激が唾液を出す脳の働きに刷り込まれていき、やがてベルが鳴っただけで唾液が出るという自律神経の反射が起きるという実験理論です。実際に、私たちの多くが、梅干しを見ただけで唾液が出ます。泣き歌と呼ばれる歌は、それを聞いただけで泣いてしまう人がいます。さらに、実際に、東日本大震災の被災者の中には、数か月経った後でも、被災した当時に嗅いだある花の匂いを再び嗅いでしまうと、その時の出来事を生々しく思い出して、気持ちが揺れる人もいます。 その逆も考えられ、感極まった時は泣き歌が頭の中を流れることがありますし、その被災者にとってその花の匂いがあまりにも強烈であれば、当時の出来事を思い出しただけでその花の匂いを嗅げてしまうという幻覚が起こりえます。言い換えれば、匂い(嗅覚性)のフラッシュバックです。フラッシュバックは条件反射の一種とも言えます。主人公の場合、高まったムードに条件付けされて、トカトントンの幻聴が心の反響として聞こえるようになっています。


防衛機制―心の安全弁

 次に、なぜ主人公はトカトントンの音を聞いて白けてしまったのでしょうか?もちろんその音が単純に滑稽だったということもあるとは思いますが、その後の彼の行動パターンを読み解いていくと、そもそも彼の性格そのものに関係がありそうです。 トカトントンの幻聴が聞こえるエピソードのいくつかの直前を振り返ってみましょう。例えば、仕事に熱中するエピソードは、もともと仕事熱心でもないのに「なんでもかでもめちゃくちゃに働きたくなって」と急に仕事に没頭しています。政治運動に感極まるエピソードでも、もともと政治には「絶望に似たものを感じて」無関心だったのにも関わらず、ある日の労働者のデモに「胸がいっぱいになり、涙が出」て「死んでも忘れまい」と突然に感動しています。もともとスポーツは「ばかばかしい」と思い、「参加しようと思った事はいちどもなかった」のに、あるマラソンランナーの必死のラストスパートに「実に異様な感激に襲われ」ています。つまり、そもそも彼のテンションが上がるきっかけがかなり唐突なのです。どうやら、彼の性格として、のめり込みやすく熱狂的な面、気分の浮き沈みが激しく感じやすい面が浮かび上がってきます。 そんな主人公が、そのまま熱中や熱狂が続けば、いずれいっぱいいっぱいになり、精神的に参ってしまうことが伺えます。実際に、彼は自殺を考えながらも、トカトントンの音に救われてもいます。彼にとってトカトントンの音は、実は、まさにその暴走しパンクしそうな心をリセットさせるリミッターの役割を果たしています。つまり、無意識の心理メカニムズ(防衛機制)としても解釈できそうです。言わば、心の安全弁です。


行動療法―信仰という行動の枠組み

 けっきょく、このトカトントンの音から逃れるにはどうしたら良いでしょうか?このストーリーの最後に、太宰自身らしきその作家からの返答が続きます。彼は聖書の一文を引用して説きます。「このイエスの言に、霹靂を感ずる事ができたら、君の幻聴はやむはずです」と。これは、イエスの教えに従うこと、つまり、キリスト教への信仰心により心の平安を保つことで心を安定させることができると言っているようです。信仰という行動の枠組みに身を置くというのは一種の行動療法でもあり、治療的にも一理あります。また、絶対的なイエスの前に身を伏せるという権威付けも一種の自己暗示療法でもあり、これも一理あります。


認知行動療法―心のあり方を冷静に見つめる

 ただ、メンタルヘルスの治療として、主人公が知りたい「この音からのがれる」現代的な治療は、この幻聴ができるメカニズムをまず自分自身が理解することではないかと思います。それは、熱狂的で感じやすい自分自身の性格であり、敗戦により軍国主義から民主主義への価値観がひっくり返った困惑であり、戦後の混乱して落ち着かない生活状況です。原因となりうるこれらを振り返り、見つめ直すことです。つまりは、自分の心の動きを俯瞰(ふかん)してモニターし、そのための安定した生活スタイルや対処方法(コーピングスキル)を具体的に見い出すことです。この治療は、認知行動療法と呼ばれています。例えば、規則正しい生活をモニターして記録すること、対人距離やその時の気持ちをモニターして気持ちの受け止め方を整理していくことなどです。主人公は、これらを続けていくことを通して、心のあり方を冷静に見つめることができたその時、トカトントンの音が消えてしまっていることに気付くのではないでしょうか?トカトントンの幻聴は危うい気持ちの揺らぎを知らせてくれる心の奥底からのメッセージでもあります。 この作品に共感する私たちも、主人公のような体験をした時、その根っこにある自分自身の心のあり方を見つめ直すきっかけを知ることができるのではないでしょうか?


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