連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【4ページ目】2014年12月号 「サイレント・プア」-なぜひきこもるのか?

ひきこもりは社会のせい?

それでは、ひきこもりは本人と家族の問題でしょうか? それだけとも言えません。なぜなら、ひきこもりは、世の中で90年代から徐々に増え続けている現実があるからです。つまり社会問題として、普遍性があるということです。

最初のひきこもりが90年代に20歳代だとしたら、その幼少期は70年代になります。親を、構い過ぎ(過干渉)、認めない(承認の欠如)、心配し過ぎ(過保護)の3つの心理に駆り立てるようになった70年代以降の社会の変化とは何でしょうか? 大きく3つ挙げられます。

①親(特に母親)が暇になった―親の時間的余裕

今回のドラマで健一の母親がかつてどうだったかは描かれていませんが、1つ目の社会の変化は、親(特に母親)が暇になったことです。世の中が便利になり、家庭の中も便利になりました。それに加えて、核家族化や少子化によって、時間的余裕を持つ母親が増えました。そして、その余った時間を全て子育てに注ぐ、子育てが生きがいの母親が出てきたことです。こうして、構い過ぎ(過干渉)がエスカレートしていくようになりました。

さらには、早期教育、習い事、塾など様々な教育サービスの充実によって、構い過ぎの選択肢はますます増えていきました。そして、いわゆる「お受験ママ」「ステージママ」などの教育に熱を入れ過ぎる母親が登場します。彼女たちによって、ごく一握りの才能のある子どもを除いて、多くの子どもはこれらの活動を強いられて、本来あったやる気(自発性)はますます育まれなくなります。

②競争社会になった―結果重視の価値観

町内会の会議でのワンシーンを見てみましょう。メンバーが「こういうことはさあ、もっとこう楽しく時間かけてやることに意味があるんだってさあ」と提案して議題から脱線して会話を楽しんでいます。すると、自治会長の園村は、「おほん、効率良くやりませんかね?」「無駄な時間を使えない」「うちの自治会主催の桜祭りはもう何年も閑古鳥ですね」と釘を刺します。

園村は、信用金庫の理事を最後に退職しており、もともとお金や時間の無駄にとても厳しいのでした。このシーンからも見てとれる2つ目の社会の変化は、競争社会になったことです。社会の価値観は、競争に勝つために、効率重視、結果重視に傾いていきます。世の中のあらゆるものに価値を求めるようになった結果、子どもにも価値を求めるようになりました。そして、競争に負けてほしくない親心から、「負けたくない子育て」に重きを置かれるようになります。ほめるにしても叱るにしても、結果に重きが置かれるため、どんなに子どもが一生懸命にやって楽しんでいても、そのプロセスについては認めにくくなります(承認の欠如)。親の望むような結果にならなければ、自信はいつまで経ってもつきません。そういう子どもを増やしてしまったのです。

③物質的には豊かになった―経済的余裕

健一は、一人息子として、立派な一軒家の離れに住んでいます。とても裕福です。ひきこもっていても、物質的には不自由なく生活できています。この様子から読み取れる3つ目の社会の変化は、物質的には豊かになったことです。それは、家族が、経済的に恵まれていくことで、その子どもがひきこもりになりやすい基礎をつくってしまったことです。そして、家族がひきこもる人を経済的に養うことができるようになったことです。その家族の経済力によって、「働かなくても良い」という発想を持つ人が増えてしまったのです。

かつて、世の中が豊かではない時、「働かざる者、食うべからず」という考え方が一般的でした。例えば、発展途上国にひきこもりはいません。当たり前ですが、そんなことをしたら生存が危うくなるからです。現在は、「働かざる者も食える」時代になってきたということです。働かなければならない状況なら、そもそもひきこもりにはならないということです。しょうがなく何とか働いているでしょう。これが、現状に甘んじているという心理です。

なぜひきこもりは「ある」のか?

これまで、「ひきこもりとは何か?」「なぜひきこもりになるのか?」というテーマで考えてきました。ここからは、さらに踏み込みます。そもそも「ひきこもりはなぜ『ある』のでしょうか?」 言い換えれば、「ひきこもりは、なぜ昔になくて今あるのでしょうか?」 この問いへの答えを、進化心理学的な視点で探ってみましょう。

私たち人間の体は環境に適応するために進化してきました。同じように、私たち人間の心も進化してきました。その適応してきた環境とは、狩猟採集生活を営んでいた原始の時代です。その始まりは、チンパンジーと共通の祖先から私たちの祖先が分かれていった700万年前です。現代の農耕牧畜を主とする文明社会は、たかだか1万数千年の歴史であり、進化が追い着くにはあまりにも短いと言えます。つまり、進化心理学的に考えると、私たちの心の原型は、まさにこの原始の時代に形作られました。

その原始の時代の一番の問題は飢餓でした。この飢餓を乗り越えるために、私たちの体では様々なメカニズムが進化しました。例えば、低血糖にならないためのメカニズムとして、血糖値を上げるホルモンは数種類もあることです。また、飢餓状態では、一時的に脳内の快楽物質(エンドルフィン)が放出されて、むしろ気分は高揚して活動性は高まります。これは本人が意図せず意識せずに起こります。そして、その間に何とか食糧を得たのです。このモデルとなるのが、摂食障害によって低体重で低栄養になった場合の精神状態、いわゆる「拒食ハイ」「ダイエットハイ」です。

逆に、現代のように裕福で飽食の社会はどうでしょうか? 大きな問題の1つは肥満です。この肥満を抑えるように私たちの体はあまり進化していません。なぜなら、原始の時代にはありえない状況だからです。血糖値を下げるホルモンにしてもインスリンの1つしかありません。それが肥満により働き疲れると、たやすく糖尿病になってしまいます。動物の中で、肥満を抑える遺伝子が進化しているのは、鳥ぐらいです。そこで、私たちは、肥満を抑える遺伝子がない代わりに、カロリーオフのものを摂ったり、意識的に運動したり、薬を飲んだり、場合によっては胃切除を行っているわけです。

飽食の時代に肥満が増えるように、物質的に豊かになった時代に働かない人が増えるのは、進化心理学的に考えれば、明らかなことです。満たされている精神状態では、飢餓の状態とは逆に、意図せず意識せずに活動性は低下しています。端的に言えば、食べ物があればつい食べてしまうし、楽ができるならつい楽をしてしまうというシンプルな話です。肥満を抑えるメカニズムがあまり進化していないのと同じように、働かない心理を抑えるメカニズムもあまり進化していないのです。働かない心理は、肥満と同じく、進化の過程で支払うべき代償(トレードオフ)と言えるでしょう。そして、働かない心理の1つの代表として、今、ひきこもりが、その特異性ゆえに注目を集めているのです。ちなみに、働かない心理のもう1つの代表として、ひきこもりと時期や特徴を同じくして注目されている病態が「新型うつ」です。