連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【3ページ目】2020年2月号 CM「苦情殺到!桃太郎」【後編】-なんでバッシングするの? どうすれば?―「正義中毒」

バッシングにどうすればいいの?

日本的なバッシングの起源は、歴史的・地理的条件によるものであることが分かりました。もちろん、これらの条件(環境)は、不安や受け身の気質(遺伝子)と相互作用しています。つまり、日本的なバッシングは、これまでの社会に適していたから「ある」のでしょう。ただし、ここで誤解がないようにしたいのは、だからと言って、現在の社会でそのままでいいと言うわけでは全くないです。例えば、日本人の太りやすさが実は世界でトップレベルであるのは、これまでに粗食でも生き残るように進化した体質です(「倹約遺伝子」(β3アドレナリン受容体の変異))。だからと言って、飽食の現代に食べすぎて肥満や糖尿病になることを私たちは決して良しとはしないです。むしろ逆に私たちは食生活に注意しています。これと同じです。

現在の社会は、SNSによって、噂は無制限に知らされ、同時に気軽に発信できて、さらに無責任になれます。そんな社会構造では、バッシングにどう注意すれば良いでしょうか? それは、まずこの根っこにある日本人の不安と受け身の気質に気付くことでしょう。

ここから、具体的に気付くポイントを3つあげます。以下のこのCMの最後のナレーションをヒントに、いっしょに考えてみましょう。

「悪意ある言葉が、人の心を傷付けている」「声を荒らげる前に少しだけ考えてみませんか」

①「悪意」になることに気付く
バッシングをしてしまう人たちについての調査研究によると、その属性は、若い男性、家庭あり、高収入に偏っていることが分かっています。彼らは、むしろ「良識がある普通の人」「ルールに忠実な善良な国民」と自覚する人たちです。つまり、彼らによるバッシングは、社会のために良かれと思う、彼らなりの「善意」や「正義」がきっかけになっています。しかし、正義は行きすぎれば、「正義中毒」という快感になるとすでに前編でご説明しました。

1つ目は、私たちの共通認識として、その「善意」や「正義」が、快感を欲する「悪意」にすり替わってしまう危うさがあることに気付くことです。

②「傷付けている」ことに気付く
バッシングをしてしまう人たちの属性から、彼らは、むしろ知的に高く、社会的に成功している人たちです。つまり、彼らによるバッシングは、社会のために自分が懲らしめて分からせなければならないという、彼らなりの使命感や問題意識がきっかけになっています。そして、それを正当化する彼らのお決まりの言い分は、言論の自由です。しかし、いくら社会のためであっても、個人の権利を侵害する場合は、言論の自由は成り立ちません。具体的な違法性については、すでに前編でご説明しました。

また、匿名であることによって、暴走しています。逆に言えば、実名であれば、暴走しにくくなるでしょう。前編で触れた発信者情報開示請求という法的手段は、時間と労力がかかりますが、最終的には実名が突き止められます。

2つ目は、私たちの共通認識として、その「私的な懲らしめ」(私刑)が「傷付けている」ことになる、つまり違法行為であり、逆に法によって「懲らしめ」られることに気付くことです。つまり、ルールに反すると言っているその人自身が、ルールに反したことをしているという矛盾です。この矛盾に気付いてもらうために、SNSのプロバイダは、バッシングのコメントを発信するユーザーにどういう点で違法行為であるかの具体的な警告文や警告レベルを示すことが望ましいでしょう。そもそも本当に正義を語るつもりであれば、たとえ実名が明るみになっても、誇ることはあっても恥じることはないはずです。

③ネガティブな心のあり方に気付く
バッシングをしてしまう人たちの属性から、彼らはむしろ仕事や家庭生活で忙しい人たちです。にもかかわらず、バッシングのために時間と労力を費やしています。そこまでしてやるわけは、ネガティブな物差し(認知)でしか相手を計ることができない彼らの心のあり方が根っこにあることが考えられます。そして、そのネガティブな物差し(認知)は、相手だけでなく、自分自身にも気付かずに向けているでしょう。こうして、彼ら自身が仕事や家庭での不安感や不足感を自分で煽り、萎縮した生き方をしてしまっています。

3つ目は、私たちの共通認識として、ネガティブな心のあり方に気付き、相手の気持ちだけでなく、自分自身の生き方を見つめ直すことです。それは、こそこそと他人のあら探しや社会への不平不満を言い続けるのではないです。自分は本当に何をしたいのか、自分の人生をどう豊かにしていきたいのかに目を向けることです。そうすれば、他人の生き方にも寛容になるでしょう。

★表1 バッシングの心理

苦情殺到に桃太郎は?

このCMは、昔話の桃太郎という架空のストーリーをバッシングすることに、おかしさがあります。このあとに生まれてくる桃太郎が退治するのは、バッシングという「鬼」になるのでしょうか? 実際に、このCMに賛同するコメントが多く寄せられた一方で、反論するコメントもまた多く寄せられました。その心理は、「バッシングへのバッシングだ」という正義感です。この記事もそう反論されるのでしょうか? そうなると、もはや「バッシング合戦」です。
大事なことは、そのようなネガティブなコミュニケーションのパターンの手には乗らないことです。たとえネガティブなコメントであっても、評価や感想レベルであれば、1つの意見として受け止める心の余裕を持つことです。そのためにも、周りからどう思われるかではなく、自分がどうしたいかをブレずに持つことでしょう。そして、ポジティブに働きかけていくことです。
そう考えると、苦情殺到に桃太郎なら、最後のナレーションのメッセージを次のように言い換えるのではないでしょか?

「正義ある言葉は、中毒的で、違法行為になるおそれがある」「実名であっても言えるか少し考えてみませんか」「そして、もっと建設的なコミュニケーションをしてみませんか」

参考スライド

【嗜癖性障害】2020年

参考記事

【犯罪の心理】2019年7月号 映画「万引き家族」
【クレーム対応】2018年11月号 映画「神様からひと言」
【差別の心理】2017年5月号 映画「ムーンライト」

参考図書

1)シャーデンフロイデ:中野信子、幻冬舎新書、2018
2)その「つぶやき」は犯罪です 知らないとマズいネットの法律知識:島飼重和監修、新潮新書、2014
3)不寛容社会:谷本真由美、ワニブックスPLUS新書、2017
4)遺伝子の不都合な真実、安藤寿康、ちくま新書、2012