連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【3ページ目】2024年5月号 映画「チャーリーとチョコレート工場」夢の国は「中毒」の国!?その「悪夢」とは?-嗜癖症

チョコレート工場の教訓とは?

最後に、脱落した4人の子どもたちは、無事に(?)工場をあとにするわけですが、体の形などが変わってしまっており、彼らに付き添っていた親たちが大いに反省するというオチがつきます。

映画を見ている子どもにとっては、突飛でおもしろい反面、何ごともほどほどにしないと大変なことになるという恐怖を感じさせます。また、大人にとっては、ホラーファンタジーとして楽しみつつ、子育てにおいて嗜癖性が強いものほど、その制限(ルール)を教える必要があることをあらためて気づかせてくれます。

もっと言えば、人間のあらゆる精神活動が嗜癖症になりうるわけで、その人にとって癖になりやすいかどうか(遺伝)、どれだけその刺激に子どもの頃からさらされていたかどうか(家庭環境)の問題であると言えそうです。だからこそ、社会的にも、ドラッグ(薬物)は言うまでもなく、アルコール、タバコ、ギャンブル、ポルノは未成年に禁止されているわけです。そして、家庭でも、お菓子などの嗜好品、インターネットやゲーム、暴力や暴言などの素行にはルールを設ける必要があるわけです。

実際の行動遺伝学の研究において、驚くべきことに性格への子育て(家庭環境)の違いの影響がないのに、嗜癖への影響は概ねあることが分かっています。例えば、アルコール、タバコ、ドラッグなどの物質の嗜癖は約15%~30%、窃盗やDVにつながる反社会的行動は約20%です。この詳細については、以下の記事をご覧ください。


>>【嗜癖症への家庭環境の影響】

夢の国が「中毒」の国であるわけは? その「悪夢」って?

チョコレート工場見学は、テーマパークのていをなしていました。その入口のゲートにチャーリーたちが入る最初のシーン。そこでは、セルロイドの人形たちが、カーニバルダンスをしてくるくる回って歓迎します。しかし、花火の演出で炎に包まれ焼けただれて溶けていきます。そこにウォンカが急に現れ、無邪気に「ちょっとやりすぎだよね」としゃべり始めるのです。不気味で不吉でショッキングであり、 現実の世界のテーマパーク が虚構であると皮肉っているようにも見えます。

実際、私たちが大好きなテーマパークでは、売り物(物質の嗜癖)としてポップコーンやポテトチップスなどの病みつきになりやすいジャンクフードのラインナップが基本です。体験(行動の嗜癖)としては、テンポの良いテーマソングのBGMが大音量で繰り返し流れ続けるなか、スリルが味わえるジェットコースターやワクワクする冒険を疑似体験するなど、これまた刺激の強いアトラクションが人気です。おもてなし(人間関係の嗜癖)としては、訪れた人たちが似たようなキャラのコスチュームを身にまとい、パレード前にみんなで手拍子やダンスの練習の指導を受けて、一体感に酔いしれます。

よくよく考えると、テーマパークの原型は、お祭りです。病みつきスナックやアルコールの屋台、射的などのゲームや宝くじの屋台、そして太鼓がリズムよく鳴り響くなか、お神輿や山車が練り歩きます。参加者は同じ法被(はっぴ)を着ていっしょに祈ったり踊ったりもします。

進化心理学的に考えれば、お祭りの起源は、私たち人類が農耕牧畜をするために定住するようになった約1万数千年前からでしょう。当時から、農作物の豊作を祈ったり祝ったりするため、年に何度かの非日常のイベントとして盛大に行われていたでしょう。ちなみに、現在に残る世界最古のお祭りは、5000年以上前に生まれたトルコのお祭り(Nevruz)です。

お祭りがビジネスとしてパッケージ化され日常化したものが、テーマパークです。だからこそ、「中毒」(嗜癖)の刺激だらけなのです。これが、実は夢の国が「中毒」の国であるゆえんです。

そして、テーマパークが低年齢の子どもを無料にするのも、脳が脆弱なうちにその刺激に暴露させて嗜癖性を高め、ビジネスとして取り込み囲い込む狙いがあるのが分かります。もちろん、企業は営利を追求するという確固たる目的があるため、当然のことです。大事なことは、私たちが、そのからくりをよく理解し、ほどほどに楽しめるように賢くなっている必要があるということです。つまり、楽しすぎることには落とし穴があるということです。それはまさに、チョコレート工場内でのとんでもないトラブルと同じように、夢の国の「悪夢」でしょう。

「チャーリーとチョコレート工場」から学ぶことは?

5人のうち、チャーリーだけが脱落せずに、賞品をもらう権利を勝ち取ります。そのわけは、チャーリーの家は貧しくて、そもそもハマっているものがなかったからでした。唯一ハマっているとしたら、それは「家族」だったのです。彼は、家族思いで、家族で助け合うことを一番に考えます。これは子どもの心理発達としてとても健康的であるという教訓も暗示しています。

一方で、ウォンカがエキセントリックなわけが最後に明かされます。それは、チャーリーとは対照的に家族という「嗜癖」がなかったことでした。ちなみに、これは、原作(*3)とは違い、映画で追加されたエピソードです。

子育ては、何かをしてあげることに目が向きがちですが、嗜癖の刺激が溢れている現代では、逆に何かをあえてしない(制限をかける)ことも必要になってきます。つまり、子育ては、足し算だけではなく引き算でもあるわけです。足すのは家族の時間であり、引くのは癖になりやすいものへの刺激です。

私たちが嗜癖についてよりよく理解した時、これこそが「チャーリーとチョコレート工場」のメッセージに思えてくるのではないでしょうか?

参考文献

*1 「ICD-11のチェックポイント」P272:精神医学2019年3月号、医学書院、2019
*2 「DSM-5-TR精神疾患の診断・統計マニュアル」:アメリカ精神医学会、医学書院、2023
*3 「チョコレート工場の秘密」:ロアルド・ダール、評論社、2005