連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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①弁護側の主張
動機の解明には、Mさんがもともとどういう人なのかをもっと詳しく知る必要があります。そのため、心理カウンセラーが弁護側の証人となりました。以下がその心理分析です。
a. 良い子になりきる
Mさんは、ある田舎町の農家の大家族の長女として生まれ育ちました。その家族構成は、両親、妹、父方の祖父に加えて、その祖父の後妻の祖母(Mさんにとっては義理の祖母)、その子ども2人(Mさんにとっては叔父と叔母)でした。義理の祖母が家計の権限を握っていたことに加えて、父と叔父のどちらが跡取りになるかの問題で、家の中はもともと緊張感がありました。
Mさんは、子どもながらに、争いごとに巻き込まれないために、そしてあら探しをされないために、常に礼儀正しく勉強のできる「良い子」になりきりました。小学生の時は、祖父や義理の祖母が近所の人に両親の悪口を言っていると、自発的にその内容を全てメモして、両親に渡していました。中学生になると、学級委員も務める優等生で、担任教師との交換ノートには、教師が不在の教室で騒ぐ男子生徒のリストを密告していました。ところが、その担任教師は、そのノートを見ながら、その男子生徒たちに厳しく注意をするというミスをしてしまいます。Mさんは、男子生徒たちから「格好をつけて告げ口した」と非難されます。そのことで、「良い生徒」としての自信を失い、人目をますます気にするようになりました。
Mさんは、「全然関係のない人たちのいるところに行きたい」という気持ちから、高校は、遠方の高校にわざわざ遠距離通学をしていました。その後、他県の短大の看護科に進学し、アパート暮らしを始めました。そして、その頃、摂食障害が始まります。拒食と過食によって10kgの体重の増減がありました。短大卒業後は、出身県に戻ってその大学病院に就職しましたが、「いつも頭の中が食べ物のことでいっぱい」との理由で、1か月で退職しました。その後は、実家で引きこもり、過食が多くなり、体重は20kg増加しました。父親への暴言や暴力もありました。引きこもりの1年後には、風邪薬の過量服薬による自殺企図をしました。幸いにも、これが契機となって、食事コントロールの意識が高まっていきました。
引きこもりから2年近く経った22歳の時、総合病院に再就職しました。看護カルテを丁寧に書き、休日は精神障害者の共同作業所でボランティアをするなど、「良い看護師」に徹していました。また、当時から仏教サークルにも通っていました。しかし、同僚から過食嘔吐のやり方をたまたま聞いてしまったことで、自己誘発性嘔吐を覚えてしまい、摂食障害は悪化しました。そして、再就職から6年後の28歳の時、睡眠薬の過量服薬による2度目の自殺企図をしました。
その後、Mさんが仏教セミナーで知り合った僧侶に自己啓発セミナーの勧誘をしたことで、その男性と親しくなり、29歳の時、看護師を辞めて、結婚し、上京しました。そして、夫が勤務する寺で、パート勤務を始めました。30歳の時に、長男が生まれました。忙しさとあいまって、生活環境が変わったことで、いつの間にか過食嘔吐をしなくなり、摂食障害は回復していきました。
b. 良いママ友になりきる
しかし、夫(副住職)とその上司(住職)の関係が悪いことを知り、関係を取り持つために、寺の仕事を積極的に行い、体調不良でも休まず、「良い副住職夫人」になりきりました。Wさんと出会ってからは、実は基本的に彼女に気を遣い、彼女のやり方に合わせていました。Mさんは「良いママ友」にもなりきりました。また、Mさんは、子どもが「良い子」にしていない時には、特にWさんの前で手を上げていました。
その後、Mさんは、Wさんとの関係がだんだんと煮詰まっていく中、「MさんがWさんと仲違いした」と他のママ友から思われたくないために、距離は取ろうとしませんでした。事件の8か月前に、Wさんにひな人形を見せたのも、Mさんなりに仲直りができないかと模索した結果だったのでした。つまり、「良い園ママ」にもなりきろうとしていました。当然ながら、その努力がMさんをますます苦しめます。当時に、Mさんは夫に転居や転園の相談をしています。しかし、夫が職場から遠くなる点や、子どもが幼稚園に馴染んでいる点で、現実的ではないと夫に諭されます。Mさんは、それ以上は訴えなかったのでした。
その後、Mさんは、近所のWさんのマンションの自転車置き場に行き、Wさんの自転車があるか確認するようになりました。事件の2、3か月前には、Mさんは子ども2人を自転車に乗せて、あちこちの公園に行き、「なんでこんなことをするのか自分でもおかしい」と思いつつ、Wさんの居場所を探し回ることが10回以上あったと述べています。その結果、Wさんに鉢合わせることもありました。
事件の1か月前には、Mさんは夫に「私が犯罪者になったらどうする?」と漏らします。しかし、それ以上、話そうとせず、会話はうやむやになりました。Mさんは「良い妻」にもなりきろうと無理をしていたのでした。そして、事件は起きたのでした。
裁判でMさんは、「ただとにかくWさんがいなくなればいい」「Wさんを苦しめるのが目的ではない」「Hちゃんを殺しても、Wさんがいなくなるわけではないということは、当たり前なのだけれども、そのとき私の頭の中では、ごちゃごちゃになってわけが分からなくなっていた」と述べています。
②弁護側の最終弁論の要旨
・MさんはWさんのことに頭をめぐらせ、強迫観念にさいなまれ続けていた。
・動機の形成に、摂食障害に発する強迫性障害という病的な心理が大きな影響を及ぼしている。
・Mさんではなく、Hちゃんを殺害したのは、八つ当たり(置き換え)の心理機制が働いていた。
・Mさんは、病的な心理の自覚がなかった。
・犯行直前には、子ども2人の入園・入学の準備のストレスが加わり、抑うつ状態に陥り、突発的に犯行に至った。
・恨みや妬みが直接的な動機ではない。
③精神医学的な考察
a. 摂食障害
Mさんは、複雑な家庭環境によって、心休まる居場所(安全基地)がなかったことが想像できます。その生い立ちが、他人に対して弱みを見せられず(自尊心の低さ)、他人と親しくなるのが苦手な性格の一因になった可能性があります(親密性の低さ)。一方で、規範意識が強く、周りの目(主流秩序)を気にして、がんばりすぎる性格の一因になった可能性もあります(過剰適応)。Mさんが看護師という職業を選んだのは、単純に患者を助けたいという思いよりも、弱い立場の患者なら比較的に安心して接することができるという思いがあったでしょう。
なお、低い自尊心と過剰適応は、摂食障害を発症する根っこのパーソナリティとして典型的です。「良い子」を演じるために自分の思い通りに生きていないのですが、唯一思い通りになるのが体重だと知り、体重を減らせることで、コントロール感を得ようとするのです。さらには、「良いダイエット実践者」であると思い込んでしまうのです。
ただし、摂食障害は、5年前から回復しており、事件との直接的な関係はないと言えます。
b. 支配観念
心理分析には、明らかな誤りもあります。MさんがWさんのことに常に頭を巡らすという執着は、強迫観念ではなく、支配観念です。強迫観念は、不潔さや不完全さなどの抽象的なことへの了解不能な心の囚われです。一方、支配観念は、特定の個人や出来事などの具体的なことへの了解可能な心の囚われです。Mさんが頭を巡らすのは、Wさんという特定の個人に限定されており、その主な内容は恨みや妬みという了解可能なものです。これはまさに支配観念です。よって、強迫性障害とは診断できないです。そもそも当時の診断基準(ICD-10、DSM-IV)に照らし合わせても、全く当てはまりません。
また、「抑うつ状態」とも言えないです。その根拠は、殺害から死体遺棄までの流れが、あまりにも手際良いからです。また、翌日には長男の小学校受験の手続きをしているからです。抑うつ状態であれば、誰にも悟れられずに死体遺棄まですることも、日常生活を維持することも難しいでしょう。
なお、心理分析をした心理カウンセラーは、当時メディアに出ている著名人であり、「母親の心理にくわしい」との理由で証人になりました。ただし、臨床心理士(1988年から認定開始)ではないです。無資格の自称「心理カウンセラー」が世間に注目される事件の裁判で、精神障害の診断まで下してしまうところに、時代性を感じます。
a. 強迫性パーソナリティ障害
Mさんは、その生真面目さ(完璧主義)、我慢強さ(過剰適応)、堅苦しさ(親密性の低さ)から、強迫性パーソナリティ障害と診断できるでしょう。ただし、これは強迫性障害とは違い、あくまで性格の偏りを説明したものにすぎません。よって、パーソナリティ障害と診断されたからと言って、量刑に影響を与えることはないです。
Mさんの強迫性パーソナリティ障害による問題点は、その生真面目さから「良い子」「良い生徒」「良い看護師」「良い妻」「良い夫人」「良いママ友」「良い園ママ」になりきろうとして無理をしている点です。実際に、その破綻が、進学や就職で各地を転々とする結果を招いています。また、摂食障害の発症、引きこもり、父親への暴言・暴力、自殺未遂を招いています。
また、その頑固さから、Mさんは、弁護人の質問に対して「(人付き合いが)下手だとは思いません。わりあい誰とでも上手に付き合える方だと思います」と言い切っています。「(Wさんの家がうらやましいと思ったことは)全くありません」と完全否定しています。最後は、本人なりの「良い被告」になりきっていたのかもしれないです。