連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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①判決
検察側は、有期刑の最長の18年を求刑しました。一審の判決で、Mさんは懲役14年となりました。そして、検察側が控訴した控訴審の判決で、懲役15年が確定しました。量刑の判断において、自首をした点や、犯行の事実関係を隠すことなく述べた点が酌量すべき情状とされました。一方、控訴審の判決で量刑が重くなった主な理由として、犯行の悪質性と被害者感情を重視した点があげられています。
②精神医学的な考察
a. なんで執着したの?-ストーカーの心理
公判中には、Mさんは、犯行動機については多くを語らないわりに、Wさんとの関係については饒舌に語っていました。それが、Wさんを悪く言っている態度となり、裁判官への心証が悪くなっていました。本来、情状酌量のために反省の態度を見せたいと思えば、Wさんのことは悪く言わないのが得策と判断します。それができないのは、もちろんMさんの強迫性パーソナリティ障害による頑固さや不器用さによるところがあります。そして、それ以上に、先ほどご説明した支配観念という執着によるところがあると考えられます。
Mさんは、出会った当初のWさんへの印象を「初めて心を許せる相手」と述べていました。しかし、よくよく考えると、この発言は、20歳代前半まで若者の発想です。当時30歳を過ぎている点、仕事をしてきた点、結婚をしている点、子どもがいる点で、それなりに人生経験を積んでいるはずの女性が、この発言をするのはかなり短絡的でナイーブです。
支配観念は、恨みや妬みだけでなく、恋愛感情や友愛感情も含まれます。つまり、Mさんは出会った時点で、恋愛感情と同じような執着のスイッチが入ってしまったと考えられます。関係がぎくしゃくしている中、Mさんが唐突にWさんを呼び出し、ひな人形を見せたのは、Mさんなりに何とか仲を取り戻したかった、彼女なりの友愛感情であったとも考えられます。
Mさんの根っこの心理は、「こんなにあなたのことを気にかけているのに」「親友だと思っていたのに」という思いです。それなのに、「他のママ友と仲良くしている」「「私の気持ちを分かってくれない」という愛憎入り混じる感情になっていたことが考えられます。これは、典型的なストーカーの心理です。Mさんの心理は、男女間の恋愛感情ではなく、ママ友間の友愛感情ですが、根っこの心理は同じです。MさんがWさんの居場所を探し回ったのは、元恋人を執拗に追い回すのと同じストーカー行為です。ストーカー行為の最悪の結果は、「自分がこんなに愛しているのに分かってくれない」と訴え、ストーカー殺人に至ることです。
Mさんは、もともとWさんへの友愛感情が強かったと考えれば、それが裏切られたという恨みの気持ちから、殺意が芽生えたと想像するのは容易でしょう。判決文では、その心理を「自分本位な考え方に取りつかれたまま認識、判断、行動したものであって」「被告が一方的に反感や敵の感情を増殖・肥大させていった」と表現しています。
なお、「こんなにしてあげてるのに」という一方的な思いは、子ども虐待、患者虐待、高齢者虐待にも通じる心理です。
b. なんで距離をとれなかったの?-同調の心理
判決文には、「Wさんに対する感情が殺意の念が浮かぶまで高まっていったという事態の深刻さについて、真剣に自省すれば、多様な対処手段がありえたにもかかわらず、結局は成り行きに任せ」と書かれています。確かに、夫は「幼稚園のお母さんたちとは、さっぱりした付き合いをすればいい」「だらだら遊んでないで、とっとと帰ってくればいい」と助言していました。しかし、公判で、Mさんは「正論ですけど、それができないから悩んでいるのを、分かってほしかった」と述べています。どういうことでしょうか?
その理由は、主に3つあります。1つ目は、先ほどご説明した「良い園ママ」になりきろうとするMさんの生真面目さ(強迫性パーソナリティ障害)による同調の心理です。
2つ目は、単独行動をしてはいけないというママ友同士の暗黙のルールによる同調圧力です。ママ友付き合いは、子育ての大変さを共感し合い、勇気付け合うというプラス面があります。一方で、夫が助言する「さっぱりした付き合い」をすれば、自分だけでなく、子どもまで仲間外れにされる恐怖があります。そういう意味では、子どもは「人質」とよく言われます。また、お受験や習い事などの情報を得ることもできなくなります。当時は、今と違ってインターネットがまだ普及していなかった事情もあります。これは、独特のママ友文化です。この詳細については、末尾の関連記事1をご参照ください。
3つ目は、同調圧力を高める幼稚園のルールです。通わせていた幼稚園は、毎日の送迎をはじめとして親が参加する日課やイベントがとても多い特徴がありました。これは、親同士が親密になり、家族ぐるみで子どもの社会的な体験を豊かにするメリットはあります。一方で、そのデメリットは、Mさんのように一度仲違いしてしまっても、何かと顔を合わせて関わらなければならず、お互いの距離が取れなくなる危うさです。これは、独特の幼稚園文化です。この詳細についても、末尾の関連記事1をご参照ください。
Mさんは、執着の自覚がありました。ストーカーは、自覚があるなら、自省して相手から離れようとします。ストーカーされる人も近付かないようにするでしょう。しかし、どうしても顔を合わせなければならないという独特のママ友文化や幼稚園文化の中、Mさんに残された選択肢は、引っ越しだけだったのでした。
c. なんでHちゃんを殺したの?-懲らしめの心理
一審に続いて控訴審でも、「当初Wさんに向いていた殺意は、実行可能性がないとの理由から被害者(Hちゃん)に転化した」点を認定しています。端的に言うと、Wさんを殺せないから、代わりにHちゃんを殺したというのです。検察側も弁護側も、この点については認識が同じでした。
一方で、控訴審の判決では、Mさんの「恨みを晴らす気持ちの方が大きかったと思います」との供述を取り上げています。ただし、それでも「Wさんに死よりもつらい苦痛を与える気持ちがあったとは供述しておらず」と書かれています。また、「相手の大切なものを壊してしまえという感覚はなかった旨供述している」という点をとりあげています。そして、「被害者(Hちゃん)が殺害されれば、当然ながら、その結果からして母親(Wさん)が非常に悲嘆にくれることは明らかではあるものの、被告人(Mさん)が当初よりそれを意図して本件犯行を行ったものであるとは、上記のとおりこれを認めることはできない」と結論づけています。また、「競争心(妬み)が存在していたことを強調するのには疑問がある」として、妬みは犯行の主な動機として認めていないです。
つまり、控訴審では、動機が恨みであると明確にしつつも、Wさんを悲嘆させる意図(動機)については認めませんでした。恨みはあるけど、懲らしめるつもりはなく、でも代わりに子どもを殺したということになります。この点は、精神医学的に考えれば疑問が残ります。その理由は主に3つあります。
1つ目は、恨みと懲らしめの心理はつながっているからです。逆に言えば、懲らしめたいと思わない恨みの心理は、臨床的に他に例が見当たりません。なお、懲らしめるという制裁の心理の詳細については、末尾の関連記事2をご参照ください。
Wさんを懲らしめたいからこそ、計画的だったと考えられます。確かに、Hちゃんの殺害にあたっては、偶発的な要素が大きいです。しかし、Mさんは公判で「この時は、私が(Hちゃんを)連れ出せる条件が全て揃っていました」と述べています。また、殺害から死体遺棄までの手際が良すぎます。やはり、最初からHちゃんの殺害と死体遺棄を計画していたことが示唆されます。
また、Mさんが母親に打ち明けたのは、自首するためではなく、秘密を共有して味方になってもらうためでした。それを端的に表してるのが、母親から自首を勧められた時に、「私は35年間生きて、土壇場で裏切られた」と電話越しに泣き叫んだことです。この言葉に、Mさんの罪悪感は読み取れません。
Mさんのシナリオは、Mさんなりの「被害者感情」による「正義」のもと、母親が味方になり、事件をやり過ごすことだったでしょう。そして、Hちゃんが行方不明になったことでWさんが悲嘆にくれるのを見届けることだったでしょう。
2つ目は、悲嘆させて恨みを晴らすという「正義」があるからこそHちゃんを殺せるということです。もともと規範意識が強いMさんなら、動機としてなおさら理解できます。裏を返せば、「正義」がないのに、一介の二児のママが他人の幼児を殺す例はほぼないと言えるでしょう。
なお、弁護側の心理カウンセラーから、八つ当たり(置き換え)の心理の説明がされていました。どうやら、裁判官はこれを採用したようです。しかし、これは無意識に働くレベルの心理です。殺人の計画は、無意識では不可能です。古今東西から、近親者や関係者を代わりに殺す例は、敵討ちや見せしめなどの意図がもともとあります。ちなみに、一介のママが自分自身の子どもを殺す例ならあります。それは、無理心中(拡大自殺)です。これは、集団主義による母子の一体化の強い日本で特に見られます。
3つ目は、悲嘆させてこそWさんがいなくなることです。ただHちゃんがいなくなっても、上の子同士は年長組でまだ幼稚園に通っています。悲嘆を想定していれば、Wさんは送り迎えに来なくなるので、顔を合わせることはなくなります。また、たとえWさんが来たとしても、悲嘆にくれたWさんなので、Mさんはその優越感から顔を合わせても良いと思えるでしょう。逆に言えば、Wさんの悲嘆を想定していなければ、MさんとWさんは顔を合わせることは続くわけですので、矛盾します。
当時の検察側が、以上のような主張をした記録は見当たりませんでした。裁判官は、Mさんの言うことをそのまま受け止めたようです。結局のところ、懲らしめの心理は、Mさんにしか分からないです。もしかしたら、Mさん自身も「良い被告」になりきって、その心理を自覚しきれていなかったかもしれないです。究極的には、裁判官は、被告が懲らしめの動機を否定し続ける限りはその動機について認めることはできず、犯行の形式で量刑を評価するしかないのでしょう。
Mさんの犯行の動機は、ストーカーの心理をもとに、同調の心理に追い詰められ、懲らしめの心理が決定打となったことが分かりました。それにしても、これらの1つ1つは、ママ友付き合いにおいては、決して珍しくない心理です。つまり、ママ友付き合いには、殺意を抱くほどの恐ろしいリスクがあることに気付かされます。
もちろん犯行は明らかにMさん(個人因子)の責任です。しかし、Mさんを駆り立てた状況(環境因子)を見過ごすことはできません。それは、同調の心理を高めるママ友文化と幼稚園文化です。ここから、そのリスクをそれぞれ「ブラックママ」「ブラック幼稚園」と名付け、表1に具体的にまとめてみましょう。
ちなみに、ママ友文化の危うさは、人間関係でトラブルを起こしやすい「フレネミー」の心理にもつながります。「フレネミー」の詳細については、関連記事3をご参照ください。
この事件が決して人ごとではない点として、Mさんが良妻賢母を目指していたことにも注目する必要があります。子どものためにと良妻賢母になりきる危うさは、体裁を取りつくろう余りに、中身がなくなり、自分自身が何をしたいのか、何を目指してるかのかが分からなくなってしまうことでしょう。
私たちの中にこの小さな「Mさん」がいることを自覚したとき、私たちの生き方、親としてのあり方を考え直す良いチャンスになるのではないでしょうか?
1)東京地方裁判所の判決文
2)東京高等裁判所の判決文
3)音羽幼女殺害事件、佐木隆三、青春出版社、2001
4)ひびわれた仮面、保坂渉、2002、共同通信社