連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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【キーワード】
・ママ友づき合い
・摂食障害
・支配観念
・強迫性パーソナリティ障害
・ママ友文化
・幼稚園文化
・フレネミー
・良妻賢母
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みなさんは、二児の母親がママ友の2歳の女の子を殺したうえにその遺体を埋めて隠すことを想像できますか? これは、1999年に東京都文京区で実際に起こった音羽幼女殺害事件のことです。当時は、幼稚園や小学校への「お受験」と関係づけられ、「お受験殺人」とも呼ばれていました。その後、この事件をモチーフとして、小説「森に眠る魚」や、テレビドラマ「名前をなくした女神」などが生まれました。
なんで殺してしまったのでしょうか? 恨み? 妬み? それとも? 当時の裁判では、犯行動機の解明のために、被告人質問が6回も行われました。これは、事実関係を争わない裁判では、かなり異例であったと言われています。なお、事実関係を争わなかったため、責任能力については問われませんでした。
今回は、当時から20年の時を経て、ノンフィクション本「音羽幼女殺害事件」をはじめとする公判記録をもとに、その「心の闇」に精神医学的な視点で迫ります。いつもとは違い、シネマセラピーのスピンオフバージョン、症例検討セラピーです。この事件の動機の解明を通して、この事件が決して人ごとではないわけを理解し、ママ友づき合いのより良いあり方をいっしょに考えてみましょう。
なお、この事件の加害者は、すでに刑期を終えています。よって、この記事ではMさんと表記します。また、被害児をHちゃん、被害児の母親をWさんと表記します。
①検察側の主張
Mさん(事件当時35歳)とWさんは、事件が起きる5年前に、近所の公園で出会いました。当初は、2人の上の子がともに乳児であったことから、子どもをいっしょに遊ばせるようになりました。その後、いっしょに出かけることもたびたびあり、ママ友としてはかなり仲が良くなりました。Mさんは、「初めて心を許せる相手」と当時を振り返っています。そして、事件が起きる3年近く前、2人とも同時期に、下の子をそれぞれ出産しました。
a. 嫌悪感
事件が起きる2年半前、2人は、上の子をともに同じ幼稚園に入園させます。その後、Wさんは、もともと明るくオープンな性格であったこともあり、園のママ友が新しく増えていきました。1年半前から、そのママ友たちの子どもと自分の子を遊ばせるようになりました。一方、Mさんは、コミュニケーションが不器用で生真面目な性格であったため、園ママたちに気を遣って合わせることはあっても、新しく仲を深めるママ友はできませんでした。こうして、WさんはMさんと結果的に疎遠になっていきました。ところが、Mさんは、「自分の子どもを遊ばせてくれなくなった」「避けられた」「仲間外れにされた」と受け止めました。こうして、Mさんは、徐々にWさんへの嫌悪感を強めていきました。
b. 競争意識
Mさんは、「幼稚園のほかのお母さんから、いつもHちゃんと長女(下の子)が比較されるのがイヤだった」とも述べています。一方で、事件の8か月前には、MさんがWさんを不意に自宅に招き、買ったばかりのひな人形を見せびらかしました。その後、MさんもWさんもそれぞれの夫に、関係がぎくしゃくしていることをたびたび打ち明けていました。
事件の2日前、Mさんは、上の子の小学校受験のための貴重な問題集をWさんからの好意で譲り受けますが、「うちの子は小学校に入るまで勉強させない」と言ってお受験にはあまり関心がないように装いました。実際には、夫や実母の証言によると、上の子の小学校受験、下の子の幼稚園受験にはかなり熱心であったことが判明しています。事件の前日には、姓名判断の記事を読んで、自分の長女よりHちゃんの名前の方が良い画数だと目つきを変えて夫に訴えていました。Mさんは、Wさんに対して競争意識がかなりありました。
事件の当日、Mさんは、上の子の幼稚園のお迎えの際、たまたま境内(園内)の片隅で一人で遊んでいるHちゃんを見つけました。Mさんは、即座にHちゃんを人気のないトイレに連れていき、Hちゃんが身に付けているマフラーでそのまま首を絞めて殺害しました。その後、持っていた大きなバッグにHちゃんを入れて、遠方の田舎町の実家まで行き、裏庭に埋めました。その後、Mさんが実家の母親に打ち明けたことから、母親がMさんの夫に打ち明け、最終的には、夫の後押しによってMさんは事件の3日後に自首しました。
②検察側の論告の要旨
・Mさんは、Wさんに対して、嫌悪感に加えて競争意識を持ったことから、一方的に邪推して憎悪をつのらせ、殺意を抱いた。
・しかし、実際には殺害が難しいため、母親と一体ともいうべきHちゃんに殺意を向けた。
・Hちゃんを殺害することで、Wさんに対する憎悪を晴らし、交際を断つこともできると考え、殺害を実行した。
・その動機は、身勝手で理不尽極まりない。
③精神医学的な考察
MさんとWさんは、年齢が2歳差で近く、近所に住んでいます。家族構成もほぼ同じで、上の子の幼稚園への送り迎えで毎日顔を合わせます。しかし、もともと2人の性格は真逆です。決して相性は良くないにもかかわらず、生活環境をはじめとする共通点が多かったため、ママ友づき合いが続きました(社会的交換理論)。これは、実際によくあるママ友の関係性です。
しかし、人間関係というものは、時間をかけることで、より相性が良い者同士に選別されていくものです。WさんがMさんと疎遠になっていったことは、ごく自然なことで、時間の問題にすぎませんでした。Mさんは、その事実を受け入れられず、差別的に扱われたと思い込み(被害念慮)、Wさんが悪いと決め付けていきました(自己正当化)。
また、Mさんは「比較されるのがイヤだった」と言いつつ、姓名判断についてまで、自分の長女とHちゃんと張り合わせていました。これも、実際によくあるママ友の葛藤です。子どもの成長に伴い、例えば、子どもの容姿、発達のスピードなどを細かく比べて、一喜一憂するようになっていくことです(比較癖)。こうして、自己正当化や比較癖から嫌悪感や競争意識が生まれました。これらは、恨みと妬みの心理と言い換えられます。
ただし、ここで大きな疑問が残ります。この心理だけで、殺害までできるものでしょうか? Mさんは、非行を含む前科前歴はもちろんないです。Hちゃんと同じ2歳の長女の子育てをしており、ごく普通の主婦に見えます。仮にこの心理があったとしても、それだけでは嫌がらせのレベルでとどまるでしょう。例えば、ドラマ「名前をなくした女神」では、匿名で誹謗中傷の手紙を書いたり、お受験の入学辞退のなりすましが描かれていました。もちろん、Mさんが嫌がらせをできないくらい不器用だった可能性もあります。しかし、いきなり殺害するには、あまりにも飛躍しています。何よりも、これまでの犯罪で他に例がないです。だからこそ、犯行動機に当時の人たちの関心を集めました。