連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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・炎上
・向社会性
・制裁(サンクション)
・「相対的獲得感」
・名誉毀損罪
・「過剰制裁」(オーバーサンクション)
・嗜癖性障害(アディクション)
・フリーライダー
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みなさんは、SNSのバッシングが目に余ると感じたことはありませんか? 特に、有名人による不正、不倫、不謹慎は、格好のターゲットになっています。バッシングとは、叩く、つまり過激に非難すること。そして、バッシングが大人数で殺到すれば、袋叩き、炎上と呼ばれます。
なぜバッシングをするのでしょうか? なぜバッシングは「ある」のでしょうか? そして、なぜ日本的なバッシングはユニークなのでしょうか? どうすれば良いでしょうか? これらの答えを探るために、今回は、ACジャパンのCM「苦情殺到!桃太郎」を取り上げます。昔話の桃太郎をパロディ化して、ネットモラルの大切さをユーモラスに描いています。このCMを通して、バッシングの心理を脳科学的に、そして進化心理学的に掘り下げます。そして、より良いコミュニケーションのあり方をいっしょに探っていきましょう。
★動画「苦情殺到!桃太郎」
このCMは、次のように始まります。「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが幸せに暮らしていました」「ある日、おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこと大きな桃が(流れてきました)」。そして、「その桃を拾い上げると」というナレーションの後に、ツイッターのリプライが次々と画面上に流れていき、「批判の声が殺到しました」と続きます。
ここから、その「批判の声」を3つの特徴に分けて、バッシングをする心理を脳科学的に解き明かしてみましょう。
①正したい―正義感
「窃盗だろw」「警察に届けないの?」「子供が真似したらどうするんだ」
「ていうか、川で洗濯するなよ」「衛生上どうなの?」「雑菌だらけでしょ」
「でも確かに美味しそうな桃ではある」「桃のステマじゃない?」
1つ目の特徴は、正したいという心理です。確かに、コメント自体は正論です。それにしても、なぜそこまで正論を言いたがるのでしょうか? それは、世の中を良くしたい、世直ししたいという正義感が根っこにあるからです。この場合の正しさとは、社会秩序を維持するための正しさです。決して個人の自由を認める正しさではありません。確かに、このような監視の目によって、社会が一定の秩序を保ち、人と人がつながっている面はあるでしょう。
脳科学的に考えると、この正義感(向社会性)は、オキシトシンという脳内物質との関係が指摘されています。オキシトシンは、もともと授乳を促す女性ホルモンですが、男性にもあることが分かっており、母子だけでなく、家族、共同体の絆を強めることが分かっています。
②許せない―不安感
「通報!通報!」「懲役何年?」
「桃の気持ちを考えたことがあるのか!」「桃がカワイソス(´・ω・)」
「桃農家さんのためにも抗議だ!」「電話で抗議しよう」
「他にも何か悪いことしてるんじゃない?」「常識なさそうだもんね。」
2つ目の特徴は、許せないという心理です。確かに、架空のおばあさんにそこまで許せないと憤るのは、滑稽です。これが、このCMのユーモラスな点です。しかし、例えばこれが有名人の違法ドラッグや不倫などの現実の出来事だったら、どうでしょうか? きっとこれらのコメントで生々しく炎上するでしょう。
それでは、なぜそこまで許せないのでしょうか? そのことで、自分に直接被害がないにもかかわらずです。そして、コメントして自分に得にならないにもかかわらずです。むしろ、自分が労力(コスト)をかけている点で損をしているにもかかわらずです。それは、世の中が乱れる、つながりが失われることへ不安感が根っこにあるからです。
脳科学的に考えると、この不安感は、セロトニンという脳内物質との関係が指摘されています。セロトニンが不足すると、不安だけでなく、間違いへとらわれ(強迫)、マイナス思考(うつ)を強めます。さらには、不安定な状況やリスクへの敏感さをも強めることが分かっています。
③裁きたい―快感
「謝罪会見マダー」「早く謝ってください。」「謝っても許さないけどね」
3つ目の特徴は、裁きたいという心理です。本来裁くのは、本来、個人ではなく、社会システムである司法のはずです。または、当事者同士の話し合いで解決するはずです。そもそも裁くこと自体も労力(コスト)がかかります。それなのに、なぜ裁きたいのでしょうか? それは、「世の中を乱す人」を捕まえて懲らしめることへの快感が根っこにあるからです。これは、制裁(サンクション)と呼ばれています。制裁は、集団の中で協力しない人や裏切る人に対して、他の誰かが自己犠牲を払ってでも罰を与える行動です(利他的懲罰)。これは、自分の得にはならないですが、自分以外の全ての人(社会)にとっては、得になります。
脳科学的に言えば、この快感は、ドパミンという脳内物質との関係が指摘されています。ドパミンが増加して快感(報酬)を得るのは、美味しいものを食べた時だけでなく、周り(社会)に褒められた時、さらには社会の役に立ったと自覚した時でもあることが分かっています。