【3ページ目】2014年3月号 映画「ミスト」【前編】なんで信じ込むの?ー宗教の起源
私たちは何によってまとまるのか?―②宗教
スーパーマーケットにいる買い物客の中で、カーモディさんはもともと信心深い人です。しかし、同時に信仰への勧誘に熱心すぎたため、町の変わり者として人々からは距離を置かれていました。しかし、あり得ない異様な事態の中、彼女は存在感を発揮し始めます。彼女は恐怖におののく人々に「外は死よ」「この世の終わり」「ついに審判の日が来たの」「間違いない」「あなたたちは罪深い人生を送ってきた」「神のご意志には逆らえない」「見ようとしない者ほど盲目な者はいない」「その目を開いて真実を悟りなさい」と熱心に説き始めます。そして、自分たちの状況を聖書の教えになぞらえ、「今夜、闇と共に怪物が襲ってきて、誰かの命を奪う」と予言します。
そして、その予言が当たってしまいます。人々には、さもずばり的中させたかに見えてしまうのです。すると、人々は、今まで聞く耳を持とうとしていなかったのに、次々と彼女の話に耳を傾け始め、「信徒の群れ」になっていくのです。一体、何が起きているのでしょうか? カーモディさんの導く信仰心によって、人々は感情的に結び付きを強めていきます。信仰の秘めたる力です。この信仰が組織化され制度化されたものが宗教です。そもそも宗教(religion)の語源は、ラテン語の「再び結ぶ(religare)」に由来しています。
この宗教の秘めたる力の正体は何か? なぜ宗教に染まるのか? そもそもなぜ宗教はあるのか? これらの疑問を踏まえて、宗教の本質から私たちの心の本質を探っていきましょう。宗教の起源(原始宗教)には、3つの要素があります。
宗教の起源とは?―(1)同調
周りの人が目の前で次々と死んでいくという極限状況の中、デヴィッドたち数人を除くほとんどの人々がカーモディさんの元に集まります。彼女がその信者たちに「共に神の道を歩みたい」と呼びかけると、彼らは揃って「償いだ!」と同じ言葉を唱え、エネルギッシュに1つにまとまっていきます。
このように、人々は、同じ言葉を唱えたり拝んだり、一緒に歌を歌ったり、ダンスでリズムを合わせたりして一体感を高めます。私たち人間の遺伝子は、同じ発声や動作をすることを心地良く感じるようにプログラムされているようです。それはなぜでしょうか?
私たち人間の祖先は、助け合い(協力)をする中で、共同体のメンバーの和を乱さないように周りを意識して(心の理論)、周りに調子を合わせる心理(同調)を進化させてきました。20万年前よりもさらに遡った原始の時代では、複雑な発声がまだできませんでした。しかし、その代わりに唸り声などの音を合わせたり、歩調を合わせたりして、協力するサインを出していたでしょう(サイン言語、非言語的コミュニケーション)。このように、周りに調子を合わせることで、連帯感や共通の意識を強め、共同体への帰属意識(集団同一性)を高めました。そして、この心理をより多く持っている種の共同体ほど助け合い、生存確率が高まっていたわけです。
このように、同じ発声や動作を繰り返すことで、共同体が1つにまとまりました。そして、それは音楽やダンスのリズムとして儀式化されていきました。この儀式こそが、現代の私たちが宗教と呼ぶものの起源の1つの要素となっているのではないかと思います。つまり、宗教という制度が先にあったのではなく、同調の心理を高めるために行っていた儀式が先にあり、それが制度化されて後に宗教と呼ばれるになったと考えられます。
この同調の心理は、現代ではコミュニケーションのテクニックとして意識的に利用されています。例えば、さりげなく相手と同じしぐさをしたり口癖を言うことで、相手からの好感を高めることができます(ミラーリング)。また、「似た者夫婦」とは、仲の良い夫婦が無意識のうちに同調の心理を高めていると言えます。昔から「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものです。
宗教の起源とは?―(2)崇拝―①超越的な存在
デヴィッドは、買い物に出かける前、湖の対岸から大きく立ち込めて来た不気味な霧を見て、妻に「2つの前線がぶつかって起きた現象さ」「おれは気象予報士じゃないけどね」と説明して、納得しようとしていました。このように、現代の私たちは、自然現象を科学的にとらえようとします。そこに、恐怖はありません。
しかし、科学が発展していない原始の時代はどうだったでしょうか? 地震、嵐、雷などの様々な災いを招く自然の脅威や謎に対して説明する役割を果たしたのは、超越的な存在への崇拝であったと考えられます。その理由はこうです。私たちの祖先は、助け合い(協力)と競い合い(競争)の狭間で、相手の心を読む、つまり相手の視点に立つ心理を進化させてきました(心の理論)。その相手は、人間だけでなく、自然や動物などあらゆるものへと広がりました。つまり、自然や動物とも協力関係を築こうと、それらを崇拝したのです(アニミズム)。
相手の視点に立つのは同時に、外から自分自身を見る視点でもあり、さらには過去・現在・未来という時間軸の全体像を見る視点でもあります(メタ認知)。こうして、約10万年前にシンボルを用いる心理(抽象的思考)が発達してからは「自分は死んだらどうなるのだろう?」「世界は何でできているのだろう?」と死後の世界や自然環境に対して好奇心や恐怖を抱くようになりました。この好奇心や恐怖から、自然を観察し、気候の変化や動物の行動のパターンを予測しようとしました。そして、少しずつ、自然をコントロールできるようになりました。例えば、水がないなら井戸を掘り、風除けがないなら石壁を作りました。大きな土木工事も行うようになりました。また、実験的に植物や動物を管理するようになりました。こうして、自然の環境は変えられるという発想が生まれていきました。その時、コントロールしている側とされている側の両方の視点に立つことができるようになったのです。そして、自分たちを支配している超越的な存在を意識するようになったのです。
宗教の起源とは?―(2)崇拝―②神秘体験
スーパーマーケットにたまたま居合わせたある軍人は、カーモディさんに問い詰められて、真相を打ち明けます。「この世界は異次元空間に囲まれていて、軍の科学者がそこに『窓』を開けたんだ」「事故で向こうの世界がこっちに来た」と。まさにカーモディさんが「大地は忌まわしい汚物(=霧)を吐き、残忍で汚れた恐ろしい魔物(=見たこともない生物)が解き放たれた」と説いた教えに重なります。
原始の時代の私たちの祖先が意識した超自然界は、この「異次元空間」に見立てることができます。そして、この超自然界を確信させたのは、夢見やトランスなどの神秘体験であると思われます。夢見は、すでに亡くなった家族と夢で再会することがあるため、神秘的な意味付けがされたでしょう。亡くなった家族は、あの世という超自然界で生きていると思えたのです。こうして、すでに超自然界に旅立った祖先たちを、超自然界で自分たちを見守ってくれる存在として崇め奉りました(祖先崇拝)。
また、トランスは、同調の心理を高めるための儀式を延々とやっている最中に、重度の疲労から意識がもうろうとして体験される錯覚や幻覚です(せん妄)。夢との連続性があり、白昼夢とも言えます。これは、苦行という儀式を強いる古くからの宗教と重なります。こうして、トランスも、超自然界との交信の場という神秘的な意味付けがなされたでしょう。例えば、幻聴は、超自然界からのメッセージ、つまりお告げと受け止められます。そこから、予知夢、正夢という過剰な意味付けもなされたでしょう。
さらに、トランスは、薬草や毒キノコによって、より手軽に体験できることが後に発見されます。そして、金縛り(睡眠麻痺)、幽体離脱(体脱体験)や臨死体験など様々な精神症状も、神秘的な意味付けがされるようになりました。それは、超自然界を垣間見て、魂の存在を確信する体験です。てんかん発作もまた、超自然界に近付ける神聖な病であると解釈されました。統合失調症の妄想は、現代では「自分は巨大な闇の組織に操られている」という訴えが典型的です。しかし、その訴えは、原始の時代では、超自然界を確信しているというだけのごく当たり前のことだったでしょう。このように、いくつかの精神症状は、神秘体験との共通点があり、原始の時代には一定の役目を果たしていた可能性も考えられます。
宗教の起源とは?―(2)崇拝―③心の拠りどころ(愛着)
カーモディさんの教えに従い、スーパーマーケットで信者と化した人々は、神に祈りを捧げます。このように、原始の時代の人々も、自然崇拝(アニミズム)や祖先崇拝から、超越的な存在そのもの、つまり神を崇拝するようになっていきました(神仏信仰)。彼らは、その見返り(恩)として、恵み(恩恵)、慈しみ(慈悲)、そして助け(救済)を求めました。それは、協力関係を超えて、保護者(母親)と子どもの関係です。そこから、神が、人間を含む万物を創り上げた生みの親であるという発想が生まれます。神(母親)が人間(子ども)を無条件に守ること(母性)を意識することで、人間が神に無条件に守られていると信じ込む心理(愛着)が働きます。こうして、神の存在は、人々が共通して信じる心の拠りどころとなっていくのです。そこには、母親に抱かれる赤ん坊になったような安らぎがあります。母性や愛着の心理と同じように、信仰の心理にも、オキシトシンという精神状態を安定させるホルモンが関係している可能性が考えられます。
神という保護者に見守られていると確信しているからこそ、そして、全ては神の思し召し(意図)という解釈がなされるからこそ、自らの死への恐れや大切な人の死への悲しみなどを引き起こす不運や災難にも、意味を見いだし、受け入れ、乗り越えることができるようになりました。「信じる者は救われる」という言い回しは、的を射ています。神の恩恵や救済を信じてすがることで、愛着の心理であるオキシトシンが活性化して、ストレス耐性を高めるメカニズムが考えられるからです。これが、宗教的な寛大さや寛容さの源でもあります。
それは同時に、心の拠りどころを共有することで、個人だけでなく、共同体(集団)の結束力(協力関係)も強めるというメリットもあります。例えば、昔から、神の超越的な力で病気を治してもらうために、お祈り(ヒーリングダンス)、お祓い、お参りなどがなされてきました。もちろん科学的には効果はなく、病気は治りません。しかし、これらの行為は、みんなが揃って何かをするという同調の心理を高めます。同調もまた、オキシトシンを活性化させます。この心理とあいまって、結果的に人々の心を一体化させ、不安におののく集団への癒しの役目を果たしていたのでした。
このように、心の拠りどころを共有することで、共同体が1つにまとまりました。そして、それは、共同体の中で、超越的な存在(神)への崇拝として制度化されていきました。これこそが、現代の私たちが宗教と呼ぶものの起源の1つの要素となっているのではないかと思います。つまり、神の存在が先にあったのではなく、人々が共通に抱いていた超越的な存在が先にあり、それが後に神と呼ばれるようになったのでしょう。また、宗教という制度が先にあったのではなく、超越的な存在(神)への崇拝が先にあり、それが制度化されて後に宗教と呼ばれるになったと考えられます。
「なぜ神はいるのか?」という宗教的、哲学的な問いへの答えはなかなか見つかりません。しかし、「なぜ神はいると思うのか?」という進化心理学的な問いへの答えは、このような人間の心理を根拠に説明することができます。
宗教の起源とは?―(3)モラル(集団規範)
デヴィッドたち数人のグループは、カーモディさんの一団を尻目に話し合います。「ここは文明社会よ」と言う女性に、デヴィッドは「都市(文明社会)が機能していて、警察通報できるならね」「でもひとたび闇の中に置かれ、恐怖を抱くと人は無法状態になる」「粗暴で原始的に」「恐怖にさらされると人はどんなことでもする」と答えます。さらに別の男性は「人間は根本的に異常な生き物だよ」「部屋に2人以上いれば最後は殺し合うんだ」「だから政治と宗教がある」と付け加えます。
デヴィッドたちは、状況を鋭く言い当てています。スーパーマーケットに閉じ込められてから、その外では、科学では説明できないことが次々と起こっています。これは、まさに原始の時代の自然環境に見立てられます。そこは、次に何が起きるか予測ができず、翻弄されるばかりの恐ろしい世界です。
原始の時代、このような恐怖に安心感や安全感を与え、共同体を平穏に保つ役割を果たしたのは、すでに超自然界に旅立った祖先たちによって語り継がれてきた教えだったでしょう。そして、その教えは、やがて生きる道しるべや戒めとして普遍性を帯びていき、共同体のメンバーに同じ考えを根付かせて同じ方向を向かせる拠りどころとなったのです。つまりはモラル(集団規範)です。このモラルを自分たちが守っているかどうかを、超自然界にいる祖先、さらには絶対的な存在(神)が見張っていると人々は解釈しました。見守られていることは、見方を変えれば、見張られていることでもあります。神は、保護者(母性)の役割だけでなく、監視者(父性)の役割も果たしていることが分かります。こうして、モラルは、人々に共通の意識を生み出し、そこからより高度な秩序が生まれました。
このように、モラルを持つことで共同体が1つにまとまりました。そして、それは政治などのルール作りの源になっています。このモラルによる社会構造こそが、現代の私たちが宗教と呼ぶものの起源の1つの要素となっているのではないかと思います。つまり、宗教という制度が先にあったのではなく、モラルによる社会構造が先にあり、それが制度化されて後に宗教と呼ばれるになったと考えられます。