【2ページ目】2014年3月号 映画「ミスト」【前編】なんで信じ込むの?ー宗教の起源

私たちはなぜ感謝の言葉を口にするのか?―互恵性の確認

町のスーパーマーケットで、ノートンさんはデヴィッドに「今日は助かったよ。ありがとう」とお礼を言います。いっしょに連れられてきたデヴィッドの幼い息子ビリーはその言葉を聞いて、「友達になれたの?」「ケンカしないね」とデヴィッドに訊ねてきます。デヴィッドは「どうかな。これから友達になれそうかな」とほほ笑みます。

このように、私たちは好意、感謝、同情などの気持ちをあえて言葉にして確認し合います。その言葉だけでは相手に何も物理的に得になることはありません。しかし、私たちの遺伝子は、そうすることを心地良く感じるようにプログラムされているようです。それはなぜでしょうか?

その理由は好意、感謝、同情という抽象的な言葉が、助け合いの心理の証となり、将来的な見返りがなされるシンボルの役割を果たすようになったからです(返報性互恵性)。こうして、私たち人間の祖先は、約10万年前には、様々なシンボルを用いるようになりました。シンボルは、言葉だけでなく、首飾りなどの贈り物(トークン)や貨幣にも発展していきます。

私たちはなぜまとまるのが難しいのか?―認知のずれ

デヴィッドたちがスーパーマーケットで買い物をしていると、突然、非常サイレンが鳴り渡り、外では辺り一面に濃い霧(ミスト)が立ち込め覆い尽くします。そして、人々を飲み込んだ霧の中からは、次々と悲鳴や絶命の叫び声が聞こえてきます。ある男性は「霧の中に何かいる!」「ドアを閉めろ!」と血だらけになりながら、スーパーマーケットの中に駆け込みます。ガラス越しに見える外の濃い真っ白な霧の世界では、想像もできない何かが起こっているのです。

こうして、デヴィッドたちを含む数十人の買い物客たちは、スーパーマーケットに閉じ込められてしまいます。食糧には困りませんが、電話、テレビ、ラジオなどのあらゆる通信機器が機能せず、助けも来ず、先行きも見えず、彼らは完全に孤立しています。

その後、霧の中から現れた巨大なタコの触手のような吸盤によって、ある店員が皮膚を丸ごと剥ぎ取られた上に連れ去られます。このあり得ない状況をデヴィッドたちの限られた数人がまず目の当たりにします。一方、ノートンさんは、弁護士でもあることから、デヴィッドの話を「証拠が足りない」として信じられず、自然災害だと決め付けてしまいます。状況が分からない不安から苛立ちが募り、デヴィッドとノートンさんはせっかく仲直りしていたのに、また言い争いを始めます。そして、ノートンさんは、しびれを切らします。助けを求めるために、数人を引き連れて外の霧の中に入っていくのです。

スーパーマーケットにたまたま居合わせた数十人の群集は、まさに原始の時代の閉ざされた1つの共同体に見立てられます。運命共同体です。約20万年前には、私たちの祖先は、最大100~150人(ダンバー数)くらいの閉鎖的な共同体(集団)をそれぞれつくっていました。しかし、集団全員の考えは毎回必ずしも一致するわけではありません。情報が不確かであればあるほど、意見の違い(認知のずれ)が起こり、裏切りや争いを招きやすくなります。

私たちは何によってまとまるのか?―①知識や知恵(文化)

買い物客の中からは、「隣町の工場から出た汚染物質の雲だよ」「化学薬品の爆発だろう」と様々な憶測が飛び交います。こうして、憶測が憶測を呼び、伝えられていきます。このように、私たちは、人間関係の噂話だけでなく、その延長として、環境のあらゆることについての噂話(情報)も伝達し合います(情報の嗜好性)。

約20万年前に私たちの祖先が言葉を話すようになってから、噂話は、単にその時の共同体のメンバーの間だけでなく、祖先からの教えとして世代を超えて語り継がれていくようになりました。それは、共通の生きる知識や知恵(文化)として、共同体の生存の確率を高める役割も果たしていたことでしょう。こうして、この文化によって、私たち人間は、遺伝子の突然変異による進化よりも、早く広く環境に適応することができるようになりました。つまり、文化は、「第2の遺伝子」とも言えそうです。