連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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バッシングは、正したいという正義感をもとに、許せないという不安感に煽られ、裁きたいという快感に突き動かされていることが分かりました。それでは、次の残りのコメントはどうでしょうか?
「ファッ??」「泥棒ワロタw」「WWW」
「炎上案件キタ――(゚∀゚)――!!」「不祥事キタ――(゚∀゚)――!!」「もっと炎上しろ!」
「家族も許すな」「この人、SNSやってないかな?」「背景から住所分かるかも」「旦那は山で芝刈りしてるらしいよ」
もはや、単なる制裁のレベルを超えています。「批判の声が殺到」すること自体をおもしろがっています。「批判の声」は、本来、世の中を良くするための手段であるはずなのに、目的そのものになっています。このバッシングの目的化は、さらに3つの快感によるものと考えられます。
①何をしても許される
1つ目は、何をしても許される快感です。相手を上から目線で問い詰めることは、相手が悪で、自分が正義です。その状況においては必然的に自分が優位になり、優越感が得られます。その相手が、もともと自分よりうまくやっている人や目立っている有名人ならなおさらです。
さらに、「(懲らしめるためには)何をしても許される」という論理の飛躍が起こっています。こうして、あたかも自分が神になったような万能感も得られます。そして、相手(ターゲット)を「つるし上げ」にして、罵詈雑言を浴びせるようになります。
このように、優越感や万能感を得ること自体が目的となってしまい、もはや本当に正しいかどうかはどうでもよくなります。とにかく、相手(ターゲット)が悪だと言いたいのです。
②仲間ができる
2つ目は、仲間ができる快感です。バッシングの目的化において、その最終的なゴールは炎上です。そのゴールに向かって、いっしょに「批判」して共感し合えます。また、相手(ターゲット)を追い詰めるために、個人情報を調べ上げたり、背景から住所や関係者を特定し、SNSで勝手に公開して役に立とうとする人も現れます。いわゆる「特定班」「ネット探偵団」です。これは、自分が投下したネタで盛り上がる快感です(承認欲求)。こうして、連帯感が得られます。炎上という「神輿」を担いだ「お祭り騒ぎ」です。連帯感によって、周りに合わせる心理(同調性)も高まります。これは、「いじめ」の心理にも通じます。
このように、連帯感を得ること自体が目的となってしまい、もはや本当に正しいかどうかはどうでもよくなります。とにかく、いっしょになって楽しみたいのです。
③引きずり下ろす
3つ目は、引きずり下ろす快感です。相手(ターゲット)を引きずり下ろすということは、相対的に自分が持ち上がり、得した気分になります。その相手(ターゲット)が、
やはり自分よりうまくやっている人や目立っている有名人ならなおさらです。それだけ高いところにいるだけに、引きずり下ろし甲斐があります。なお、他人が引きずり下ろされるのを見届けた時に沸き起こるこの心理は、現時点で学術的な名前が見当たりません。日常的な言葉としては、「ざまを見ろ」「いい気味だ」「メシウマ(他人の不幸で今日も飯がうまい)」に当たります。そこで、この記事では、「相対的獲得感」と名付けます。
この「相対的獲得感」を得るために、人の不幸を見たがります。かつての「公開処刑」もそうです。そして、スキャンダルを知りたがります。これは、噂好きの心理につながります。
このように、この「相対的獲得感」を得ること自体が目的となってしまい、もはや本当に正しいかどうかはどうでもよくなります。とにかく、相手が不幸になるのが見たいのです。
なお、このCMで流れてきたコメントの中には、単なるモラルの問題を超えた違法行為があります。例えば、「窃盗」などとのツイートやリツイートをすることは、いくら正論であっても、いくら事実であっても、具体的な事実を不特定多数の人に知らせることによって、おばあさんの名誉をおとしめている点で、名誉毀損罪に当たります。同じように、「ステマ」とのツイート・リツイートは、公共の利害に関していない限り、信用毀損罪に当たります。謝罪の要求は、強要罪に当たります。
また、「バカだ」「キモい」などとの罵詈雑言などの誹謗中傷にまで発展すると、具体的事実ではなくても、侮辱罪に当たります。おばあさんへツイートをしつこく繰り返したり、リツイートを呼びかければ、脅迫罪やストーカー規制法に触れます。
さらに、おばあさんが精神的に傷付いた場合は、刑事上だけでなく、民事上の責任も問われます。例えば、名誉毀損による損害賠償請求です。同じように、住所や関係者の無断公開は、プライバシー権の侵害に当たります。
このような違法行為になると分かっていても、バッシングをやめられない、やめようとしない場合は、制裁(サンクション)の心理が過剰になった状態です。これは、「過剰制裁」(オーバーサンクション)と呼ばれます。分かりやすく言えば、自分が正義であることに酔いしれている「正義中毒」です。この点で、バッシング(制裁)という行為は、アルコールやギャンブルと同じ「中毒」(アディクション)の要素があると言えるでしょう(嗜癖性障害)。