【1ページ目】2012年7月号 映画「アビエイター」強迫性障害とは?
ハワード・ヒューズ―完璧主義の光と影

この映画の舞台は、20世紀前半のアメリカ。黎明期の航空業界と全盛期のハリウッドを股にかけて活躍した実在の人物、ハワード・ヒューズの激動の半生が描かれています。彼は若くして、資産家の両親を失い、その莫大な遺産を受け継ぎ、航空工学の才能と情熱により、飛行機作りと映画作りに明け暮れ、時代のパイオニアとして大成功をおさめます。また、数々のハリウッドの美女たちと浮名を流し、世界一の富と名声をほしいままにします。 そんなハワードを衝(つ)き動かすものは、生まれながらの完璧主義と執着心でした。しかし、同時に、それらは諸刃の剣として、彼を苦しめ、数多い奇行の逸話を残しました。社会的な成功者としての強さと心の闇を持つ者としての脆さ、この彼のギャップは、私たちの好奇心を大いに焚きつけます。 今回は、この映画を通して、みなさんといっしょにハワード・ヒューズの光と影をメンタルヘルスの視点から探っていきましょう。
強迫観念―完璧さを求める心の囚われ

ハワードは若くして、製作した映画で大ヒットを飛ばし、また、自身の設計、操縦した飛行機により世界最速の記録を塗り替えます。さらに、世界一周を4日で成し遂げるという新記録も樹立して、華やかなハリウッドで一躍スポットライトを浴びるようになります。 これらの偉業の原動力は、ものごとを何でも丁寧に几帳面にやろうとする彼の完璧主義の性格によるものでした。映画製作では、撮影に納得しないと、時には同じシーンを100テイク近くも撮り直し、編集作業では同じ映像を繰り返し確認し、膨大な時間を費やしています。飛行機製作では、機体の流線形の美しさや操縦かんの触り心地にこだわり続けます。しかし、完璧主義は職業的に生かされる一方、完璧さを求めるあまり、完璧じゃないと気が済まなくなり、本人も周りも苦しむことにもなります。ハワードは、心を許した恋人に打ち明けます。「時々、本当はありえないかもしれないおかしな考えに取り憑(つ)かれ」「正気を失うんじゃないかと怖くなる」と。彼は、自分の心の闇にうすうす気付いていたのでした。自分の性分のおかげで、社会的に成功して、世の中をコントロールできるようになってはいます。しかし、同時に、その性分が裏目に出てしまい、自分でバカバカしい(不合理)と思えることにまでこだわり、その考えに心を囚われ(侵入思考)、自分の心をうまくコントロールできなくなっていくのです。これは、まさに心に強く迫ってくる考えで、強迫観念と呼ばれます。
強迫行為―バカバカしいと分かっているのに、やらずにはいられない

パーティ会場で、ハワードがトイレで手を洗うシーンが印象的です。彼は、恋人が上層部の男のご機嫌とりをしてベタベタしている様子に苛立ち、トイレに駆け込みます。そして、念入りな手洗いが始まるのです。その後のトイレでの手洗いでのシーンでは、血が出るまでゴシゴシと手洗いを続けます。その痛々しさは、見ている私たちにも伝わってきます。 彼に一体、何が起きているのでしょうか?実は、彼の完璧主義は、美しさから清潔さへの追求においても発揮されていました。彼は、ちょっとしたストレスをきっかけに、手の不潔さが気になってしまい、手洗いをしなければ気が済まないという強迫観念で頭の中がいっぱいになります。そして、ついには、手洗いを始めてしまい、止めたいと思いながらも完璧だと自分で納得し安心するまで手洗いを止められないのでした。もはやきれい好きの度を越しています。このように、バカバカしいと分かっているのに、やらずにはいられない行為、やめられない行為を、強迫行為と言います。特に、手洗いを繰り返す行為を洗浄強迫と呼びます。また、確認を繰り返す行為は確認強迫と呼びますが、彼の映画作りや飛行機作りでの度を越した執拗な確認癖は、これに当てはまるとも言えそうです。
強迫性恐怖―心の囚われが不安を招く

ハワードは、飛行機の操縦かんをセロフィンで包んで、清潔にしようとしています。また、トイレでは、たまたま居合わせた体の不自由な男性が、タオルを取ってほしいと頼みますが、彼は「できないんだ」と申し訳なさそうに断っています。もちろん、出る時にトイレのドアノブも触れません。そんな彼が、最愛の恋人が口を付けた牛乳ビンをちょっとためらいながらも思い切って飲むシーンは、また印象的です。その後、恋人とうまくいかなくなり、社会的にピンチになるなどのストレスが引き金となって、症状が悪化していくことが分かりやすく描かれています。強迫観念はエスカレートしていくと、恐怖が募ってきます(強迫性恐怖)。不潔さに対しての強迫観念から不安が強まる場合は、特に不潔恐怖と言います。いわゆる潔癖症です。きれい好きは、裏を返せば、不潔恐怖になりうるのです。彼自身、やがては不潔さを気にするあまり、部屋から出られなくなっていきます。また、不完全さに対しての強迫観念から不安が強まる場合、不完全恐怖と言います。
やり直し―完璧でなければ最初から全てをやり直す

ハワードの浮気が原因でその最愛の恋人が家を出て行った直後のシーン。彼は、自分の衣類が雑然と部屋に投げ出されている状況が際立って目に入ってしまい、不潔さや不完全さへの強迫性恐怖が一気に押し寄せてきます。そして、衝動的に家にあった衣類を全て燃やし始めます。最後には、自分が着ていた服までも燃やし、生まれたままの姿で棒立ちになるのでした。過去を脱ぎ捨て、リセットを望むかのように。これは、完璧でなければ最初から全てをやり直すという、やり直し(取り消し)と呼ばれる心理メカニズム(防衛機制)でもあります。彼の完璧主義の信念に通じるものでもあります。完璧さを求めるあまり、言い換えれば、不完全恐怖から逃れるために、完璧か無のどちらかでなければ気が済まなくなり、無にしてやり直すという強迫行為です。
強迫儀式―自分の行動の儀式化
その後、ハワードは、飛行機事故で体が不自由になり、ライバル会社に自分の会社を乗っ取られそうになるというプレッシャーもあいまって、ついに、部屋にこもって出られなくなります。そして、彼は、紙、髭、爪が伸び放題のまま、顔も体も洗わずに、素っ裸で延々と自分自身に訴えかけます。「最初から繰り返せ!」と。そして、自分の行動を決められた手順で正確に実行しようとします。まるで儀式を執り行うかのように、同じ言葉や動きを繰り返すのです。これは、強迫儀式と呼ばれます。 さらに、この儀式が心の中の言葉やイメージを思い浮かべる行為にまで及ぶと、体の動きがゆっくりになっていきます(強迫性緩慢)。例えるなら、ギアが硬すぎて吹かされ続けている車のエンジンです。 こうして、彼の本来の才能や情熱は、食事の用意の仕方やばい菌に触れない方法などの儀式の確立に注がれていったのでした。もともと彼は欲しいものは全てを手に入れられる立場にあり、自分にできないことはないという感覚(万能感)が強かっただけに、誰も彼を止めることができませんでした。だからこそ、病状も深刻化していったと考えられます。
強迫性障害―強迫観念と強迫行為を主とする

部屋ごもりが長くなるにつれて、ハワードはゴミをため込むようになります。彼の部屋には、彼がものに触れる時に使ったティッシュが山のように床に散乱しています。そして、なんと自分のおしっこを入れたビンを整列させて並べています(強迫的ため込み、強迫的保存症)。潔癖な性格のはずなのに、自分の出した垢、爪、ティッシュ、おしっこなどは大丈夫なのでした。もはや清潔かどうかの判断基準は、彼の思い込み(認知の歪み)によって大きく狂ってしまっていたのです。彼の苦悩と狂気が強烈に描かれているシーンです。これは、最近、社会問題にもなっている「ゴミ屋敷」の主人の収集癖にもつながってくる症状とも言えます。そのゴミに価値があるかどうかは本人の思い込みによるものが大きいようです。
また、彼は言葉を繰り返して言ってしまい、止まらなくなる症状がいくつかのシーンで見られます。「青写真を見せろ」「ミルクをもって来い」「最初からやり直せ」「風邪をうつしたくない」「未来への道だ」などの言葉でした。相手や周りに変だと思われることは重々自覚しており、苦しそうに手で口を塞いでいます。このように、やってはいけないと思えば思うほど(禁断的思考)、やらずにはいられなくなる行為も強迫行為と言えます。

以上を振り返ると、ハワード・ヒューズは、強迫観念と強迫行為を主として、強迫性恐怖、強迫儀式、強迫性緩慢、強迫的ため込み、禁断的思考などの多彩な症状も見られる、重度の強迫性障害を患っていたことが伺えます。





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