【3ページ目】2014年2月号 ドラマ「Mother」【続編】虐待
子育てをあきらめる心理の源は? ―ネグレクト(育児放棄)の進化心理学
奈緒は、仁美に訴えかけます。「あなたがまだあの子を愛して心から抱き締めるなら私は喜んで罰を受けます」「道木怜南さんの幸せを願います」「たとえ何年かかっても少しずつ少しずつあなたとあの子の母と子の関係を取り戻して」と。ところが、仁美は「もう遅いわ」「あの子は私のことなんか」「好きじゃないって言われたの」「そんな子、死んだも同じ」と言い放ちます。また、雑誌記者(藤吉)に「欲しい人がいるなら上げてもいいかなって(考えました)」「私まだ29だし」「一からやり直せるかなって」「沖縄に行ったことあります?」「(怜南がかわいそうだった時の)辛いこととか忘れられるかなって」と語ります。
虐待の1つに、この子育てをあきらめる心理、つまりネグレクト(育児放棄)があります。もともと健康的な母性を持っていた仁美の心の中では何が起きたのでしょうか? なぜネグレクト(育児放棄)をするのでしょうか? そもそもなぜネグレクト(育児放棄)はあるのでしょうか?
ネグレクト(育児放棄)は、人間の歴史の中で普遍的な現象です。普遍的に存在し続けることには必ずそこに意味があると、前々号や前号の母性や父性の説明で触れました。普遍的に存在するネグレクト(育児放棄)の意味とは、母性や父性と同じように、私たち人間が手に入れた進化の産物の心理だからです。ここから、この心理の成り立ちを、大きく2つのポイントで進化心理学的に考えてみましょう。
①生活困窮(貧困)の打開策
1つ目は、ネグレクト(育児放棄)が生活困窮(貧困)の究極の打開策であるということです。人間の進化の歴史の中で、飢餓や病気による死は常に隣り合わせでした。そんな中、子育てをする女性(母親)は、生活が困窮した時、何人かいる子どもの中から、比較的に生命力の弱い子どもから順に子育てをあきらめました。生命力の弱い子どもとは、身体的または精神的に障害のある子どもや幼い子どもです。無理をして全ての子どもを救おうとすれば、全ての子どもが死んでしまうからです。他の子どもを救うため、見込みの低い子どもを犠牲にして、生活困窮を打開するのです。
よって、特に生活が困窮し精神的にも余裕のない状況で、このネグレクト(育児放棄)の心理は、意識せず意図せずに高まります。この心のメカニズムを人間は進化の過程で獲得したと考えられます。そして、この心理が適切に働く遺伝子を持った種ほど、結果的によりたくさんの子孫を残しました。そして、その遺伝子を現在の私たちは受け継いでいる可能性があります。
ネグレクト(育児放棄)は、かつて「間引き」「口減らし」「子捨て」と呼ばれ、現代の「赤ちゃんポスト」に引き継がれています。仁美のネグレクト(育児放棄)の心理を察知し、怜南が自ら「赤ちゃんポスト」を探すという残酷なシーンがありました。
②新しい男性(父親)から養育援助を引き出す適応戦略
2つ目は、ネグレクト(育児放棄)が新しい男性(父親)から女性(母親)への養育援助を促進することです。原始の時代、女性(母親)の生活困窮を最も引き起こすのは、養育援助をする男性(父親)がいないことです。つまり、子どもの実の父がいないことには、養育援助を当てにできず、子どもの生存率を極端に下げていました。そんな中、新しい男性(父親)ができると、養育援助の当てが得られます。しかし、新しい男性(父親)は、進化心理学的に、血縁関係のない子どもをおもしろく思いません。当然、この時点で男性(父親)による血縁関係のない子どもへの虐待のリスクは高まります。さらに、女性(母親)は、新しい男性(父親)からの愛(援助)を受けて将来の繁殖の機会を逃さないために、前の男性(父親)との子どもに見切りを立てる心理が高まります。これは、進化的な適応戦略の心理と言えます。
最悪のケースは、仁美のように、ネグレクト(育児放棄)が心理的虐待や身体的虐待などの他の虐待に発展し、最終的に子殺しにつながっていきます。仁美が言った「(いなくなれば)一からやり直せる」というセリフは、これを端的に表しています。
動物行動学では、ゴリラの子殺しが有名です。これは、新しくメスたちのハーレムに迎えられたオスゴリラがそれまでの育てられていた子どものゴリラを次々と殺していくという行動です。その理由は、子どもがいなくなることで、メスたちの発情が再開され、新しいオスゴリラは、自分の子どもをつくることができるからです。また、一部の霊長類に、妊娠中のメスが交尾相手とは別の新しいオスと出会うと流産する現象が知られています(ブルース効果)。これは、新しいオスによる子への攻撃(虐待)や子殺しに先手を打ち、メスが損失(コスト)を最小限にするように進化したと考えられています。
よって、同じ霊長類である人間においても、子どもの実父の不在や新しい男性(父親)の存在は、それ自体で、生活困窮の状況と同じように、このネグレクト(育児放棄)の心理を意識せず意図せずに高めている可能性が考えられます。