連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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・解離性同一性障害
・トラウマ体験
・PTSD
・境界性パーソナリティ障害
・憑依
・寝た子は起こさない
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みなさんは、ふと思い出して「あいつ~!」と急に腹が立ったり、自分の恥ずかしい失敗を思い出して「自分のバカ!」と一人で叫んでしまったりしたことはありませんか? または、あまりの怖さや怒り、興奮で、その時のことを思い出せなかったことはありませんか? さらには、記憶がない間に、実はもう1人の自分がいて、何かしていたらどうでしょう?
このように、我を忘れたり、記憶がなくなったり、別人格が出てくるなど、程度の違いはありますが、自分が自分ではなくなることを精神医学では解離と言います。解離とはどんなものでしょうか? なぜ解離するのでしょう? そもそもなぜ解離は「ある」のでしょうか? そして、どうすれば良いのでしょうか?
これらの疑問を解き明かすために、今回は、2017年の映画「スプリット」を取り上げます。ファンタジーを含んだエンターテイメントの要素もありますが、解離が出てくるメカニズムを分かりやすく描いています。この映画を通して、解離を進化精神医学的に掘り下げ、解離性障害の理解を深め、私たちにも身近な解離への対策をいっしょに考えていきましょう。
ストーリーは、3人の女子高生が、見知らぬ男に拉致監禁されるところから始まります。その男性の元々の名前はケビン。密室に入ってくるたびに、人相や振る舞いが全く変わっていきます。彼には、23の人格が1つの体に宿り、それぞれが別々の名前を名乗っているのでした。
このように、意識から人格が分離してしまうのは、解離性同一性障害と言います。もともと「多重人格」と呼ばれていました。分離した別人格は、人格部分と言います。もともと「交代人格」と呼ばれていました。これは、人格のつながり(統合)がうまく行っていない状態です。
人格部分が存在せず、単純に記憶がない場合もあります。これは、意識から記憶が分離してしまう解離性健忘です。特定の記憶だけを思い出せない場合(選択的健忘)と、いわゆる「記憶喪失」のように自分が何者で今までどんな生活をしていたのか自分の生活史の全てを思い出せない場合(全般性健忘)があります。これは、記憶のつながり(連想)がうまく行っていない状態です。
記憶がないわけではなく、何となくぼんやりして体の感覚や実感に違和感がある場合もあります。これは、意識から身体感覚が分離してしまう離人症です。例えば、いわゆる「幽体離脱」のように、自分が上から自分自身を見ている感覚です(離人感)。また、周りがぼんやりとして、スローモーションのように動いている感覚です(現実感喪失)。これは、身体感覚のつながり(連動)がうまく行っていない状態です。
以上の解離性障害、解離性健忘、離人症の3つをまとめて、解離性障害と言います。人格、記憶、身体感覚などの精神機能が意識から解き離れてしまった状態です。意識の分離、意識の統合の機能不全、簡単に言えば、自分で自分をコントロールできなくなるとも言えます。
ケビンの主治医のフレッチャー先生は、今まで落ち着いていた人格部分が次々と出てきている事態に仮説を立てます。「この前、職場で事件があったわよね。校外学習に来た女子高生2人が、あなたに近付いて、手を取って、服の下から自分たちの胸に当てて、笑いながらいなくなった。一種の度胸試しだと思うけど」「それが、あなたの子どもの時の虐待を思い出させてしまった」と。
実際に、別のシーンで彼は「3歳児のしつけに、母は厳しすぎる罰を与えていた」「怒られないためには何でも完璧にこなすしかない」と語っています。彼の回想シーンでは、ベッドの下に隠れている幼い彼に、母親が「散らかしたわね。出てきなさい!」とムチを持って怒鳴りながら迫ってきていました。
このように、解離が起きる原因として、虐待など身の危険を感じる極度のストレス(トラウマ体験)が考えられています。特に、幼少期の子どもの脳は発達途中でとても不安定です。複数の記憶を結び付けたり、関連付けたりすることが難しいです。この点で、子どもはその瞬間を反射的に生きており、意識はその瞬間でころころ変わっているとも言えます。そのため、虐待が繰り返されると、そのたびにその時の記憶が思い出せなくなります。
その体験が封印・密閉された人格部分として、次々と心の奥底で眠ってしまい、何事もなかった人格として、けろっとしてしまうのです。その後に、その人格部分が、似たような体験やストレスで次々とまた目を覚ましてしまうというわけです。実際に、解離性同一性障害の90%に小児期の虐待があるとの報告があります。
大人になって極度のストレスを受けた場合は、記憶がなくなることはあっても、もはや別人格ができることは少なくなります。なぜなら、大人の脳は十分に発達していて、子どもと比べて人格は分離しにくくなるからです。ただし、記憶がない中、名無しのまま、本人のゆかりがない場所で保護されたりする場合はあります(解離性遁走)。これは、トラウマの現場から無意識に離れようとする心理が働いているからです。
また、ストレスのレベルが比較的軽かった場合は、記憶がなくならず、ぼんやりとして体の感覚に違和感があるだけにとどまっていると言えるでしょう。
拉致された女子高生の1人のケイシーは、他の2人とは振る舞いが明らかに違っていました。彼女は、観察力が鋭く、最初から冷静です。ケビンの幼い人格部分と交渉したり、欺こうとしています。しかし、単に賢いわけではなく、彼女には陰があります。そのわけが彼女の回想シーンが進むにつれて明らかになります。彼女は、幼い時に親を失ったあと、育ての親となった叔父から性的虐待を受けていたのでした。これは、回想というよりは、フラッシュバックとも言えるでしょう。そんなケイシーの体中にリストカット痕があることを知ったケビンの人格部分は、「おまえは他の連中とは違う」と言うのでした。トラウマ体験により、極限状況を生き抜いてきたという点では、2人は似た者同士だったのです。それでは、なぜケイシーは解離しなかったのでしょうか? 彼女の生い立ちから解き明かしてみましょう。
幼い時のケイシーが、近付いてくる叔父に銃を向けて、取り上げられるシーンがあります。親代わりとなった叔父は、決して安全を守ってくれる安心感のある存在ではないことが分かります。むしろ真逆で、自分を脅かす存在です。彼女には味方がいませんでした。やがて思春期になり、家出を繰り返し、学校では反抗的で、問題児扱いされています。彼女は「学校でわざとトラブルを起こす。そうすると、居残りさせられて、みんなと離れられるから。独りになれるから」と打ち明けています。心のよりどころがないことから、空虚感や周りへの過剰な警戒心を抱き、人間関係を避けています。そして、そのやるせない思いを自傷行為によってかき消そうとしていたのです。彼女は、トラウマ症状(PTSD)から、傷付きやすい性格になってしまったのでした(境界性パーソナリティ障害)。同時に、極限状況を生き延びるサバイバルスキルとして、観察力と演技力が研ぎ澄まされてしまったのです。そして、ラストシーンで迎えに来た叔父を拒絶することで、叔父に支配されない自分の人生を歩むことを決意したことが見てとれます。
ケイシーは、苦悩に堪えて、傷付きながらも自分の人生に向き合っています。一方、ケビンは、苦悩に堪えられなくなり、楽になるために自分の人生から逃げ隠れています。これが解離しなかったケイシーと解離してしまったケビンの違いです。解離は、良かれ悪しかれ、傷付いた自分の心を守り、その極限状況に順応するための無意識の心理戦略であるとも言えるでしょう。