【1ページ目】2015年4月号 ドラマ「積み木くずし真相」なんで反抗するの?―素行障害
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・非行(素行障害)
・安全基地
・承認
・進化心理学
・あまのじゃく(受動攻撃性)
・ヤンキー
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「あの人はなんでいつもあまのじゃくなの?」
皆さんは、職場で「あの人はなんであの人はいつもあまのじゃくなの?」と困ったことはありませんか? 世の中には、むやみに反対する人が必ずいます。本来は、このような反抗の心理は、特に思春期(反抗期)に高まり、成人すると目立たなくなります。小児科や小児精神科では、両親からの思春期相談として、その接し方の相談がなされることもよくあります。
なぜ反抗するのか? そもそもなぜ反抗は「ある」のか? 今回は、反抗の心理の過剰な状態である非行(素行障害)をテーマに、反抗を進化心理学な視点からとらえ直します。また、反抗の文化としての「ヤンキー」も掘り下げます。そして、反抗的な人への接し方を探っていきます。
今回、取り上げるのは、2005年に放映されたドラマ「積木くずし真相」です。これは1980年代に放映された「積木くずし」のその後の真相を盛り込んだリバイバルです。当時、社会問題になっていた「家庭内暴力」や「シンナー中毒」によって、家族という「積木」が音を立てて崩れていくさまが生々しく描かれています。そして、登場人物たちが再び家族の「積木」を積み上げていこうとする姿勢に私たちは心を動かされます。原作は娘との実体験を父親が書いたもので、ドラマはその原作に脚色を加えたフィクションになっています。
「積木」はどう崩れたのか?―「うっせんだよ!」
主人公の朋美は中学1年生。それまで母親の言うことをよく聞く素直で明るい良い子でした。しかし、不良グループから暴行を受けたことをきっかけに、彼女は様子が変わっていくのです。朋美の初めての朝帰りのシーン。「眠い、私もう寝るよ」と言い部屋にこもろうとする朋美に、母親はあわてて「第一、あなた学校じゃない!」「ママ、怒ってるんですからね。(部屋のドアを)開けなさい!」と強く言い続けます。すると、朋美は「うっせんだよ!」と叫びます。
通常の思春期の反抗は、挨拶や返事をしないなど親を無視するレベルです。しかし、朋美はそのレベルを遥かに超えてしまいました。その後に、威圧的な風貌、不登校、家出、家庭内暴力、暴走族への参加、万引き、シンナー乱用などあらゆる非行にのめり込んでいきます(素行障害)。
そんな朋美の豹変ぶりに、両親は訳が分からず、うろたえ怖じ気付くばかりです。
「積木」はなぜ崩れ続けたのか?―「いじり過ぎましたね」
朋美の非行はなぜエスカレートしたのでしょうか? いくつかのシーンから読み解いていきましょう。
夜遊びをして繁華街にいる朋美を父親は無理やり家に連れ帰ります。朋美は「近藤(友人)、1人で家に帰れたかなあ」「あの子、一銭も持ってないんだよ」と友達を気遣います。しかし、父親は「夜にあんなとこをふらついているようなやつは友達でも何でもない」「おまえにはね、もっとふさわしい友達がいるはずだろう?」「おまえはね、あんな子とは違うんだよ」と説教をします。実際に、父親はその直前にその友達宅まで行って、その友達の母親に「お宅の娘がうちの朋美をたぶらかしている」と抗議していました。
母親は「パパはね、(役者業で)テレビにも出てるし、みんなに知られている有名人なの」「あなたが変なことしたら、パパは仕事を続けられなくなるのよ」「そしたら私たちだって生活できなくなるじゃない」「それぐらい分かるでしょ?」とたしなめます。しかし、言い合いになり、最後に父親は朋美に平手打ちをします。
ここから読み取れるのは、子どもが選んだ友人が認められていない、親が体裁や都合ばかり気にしている、親が暴力で子どもをコントロールしようとしていることです。つまり、親が先回りして子どもの考えや行動を認めないことです(過干渉による承認の欠如)。思春期になって、親が子どもの自己(アイデンティティ)を認めないと、子どもは精神的に不安定になりやすくなります。その1つの反応として、反抗がほどほどではなく、過剰になるのです。最終的に、警視庁の専門家に全てを打ち明けますが、その時、専門家から最初に一言「いじり過ぎましたね」と言われてしまいます。
「積木」はそもそもなぜ崩れたのか?―「産みたくないのに産んだんですから」
朋美の幼少期のシーンを見てみましょう。朋美は体が弱く、入退院を繰り返していたため、両親と離れていた時間がかなりありました。朋美は、何本も爪楊枝が刺されたぬいぐるみを持って、「点滴ごっこ」と主治医の先生に言います。親との愛着形成の不足(反応性愛着障害)から共感性がうまく育まれていない可能性がほのめかされています。
父親は、仕事の役者業に打ち込み、巡業で家を空けていることが多く、子育てへの介入はあまりありません。一方、母親は、自分自身が病弱なのに加えて、子育ての負担から気持ちに余裕がなくなり、夫に「あなたはものだけ与えて、たまにいい顔すればいいから楽よね」と当たり散らしています。そして、「産みたくないのに産んだんですから」と幼い朋美の前で言い放ってしまいます。
また、先ほどの夜遊び後のシーンで、朋美が友達の家族を擁護すると、父親は「そんなに近藤(友達)がいいんなら、あのうちの子になりゃいいだろ!」と突き放しています。
これらから読み取れるのは、幼少期の入退院の繰り返しによる情緒の不安定さ(ホスピタリズム)のリスク、父親の不在による母親の心理的な負担、両親が言い争いをして子どもが板挟みになっている(ダブルバインド)、自分は大切にされていない感覚(自己否定)、従わなければ愛されないという恐怖(条件付きの愛情)です。つまり、子どもに家族という心のよりどころがないことです(安全基地の欠如)。幼少期は、そんな親の気を引くために、必死で「良い子」を演じます。しかし、思春期は、親から心理的距離を取り、自分の考えで自分の行動を決める心理が高まります。この時期に、この心のよりどころがないと、子どもは精神的に不安定になりやすくなります。「良い子」の反動として、反抗がほどほどではなく過剰になる、つまりあえて「悪い子」になるのです。





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