【1ページ目】2026年1月号 NHKドラマ「心の傷を癒すということ」【その4】そもそもなんで多重人格は「ある」の?-進化精神医学から迫る解離性同一症の起源
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・記憶喪失
・「知らないふり」
・乳幼児の生存戦略
・「慕うふり」
・産業革命
・病理化
・適応度
・可塑性
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前回(その3)、多重人格になるメカニズムを、脳科学の視点から仮説を使って解き明かしました。
それでは、人類の心の進化の歴史のなかで、多重人格はいつ生まれたでしょうか? 言い換えれば、多重人格はなぜ「ある」のでしょうか?
この謎の答えに迫るために、今回も引き続き、NHKドラマ「心の傷を癒すということ」を取り上げ、進化精神医学の視点から、多重人格の起源に迫ります。
なお、多重人格の現在の名称は解離性同一症です。ただ、この記事では、分かりやすさを優先して、このドラマで使われた従来の名称である「多重人格」で表記します。
なんで多重人格は「ある」の?-「慕うふり」で生き延びる
片岡さんは、安先生に「こんな病気(多重人格)になったんは、私が弱いからですよね」とたずねます。すると、安先生は「違うよ。とても耐えられんような苦しさと悲しさの中で、それでも生き延びる方法を見つけようとしたんや。生きる力が強いんや」と力強く答えます。
確かに片岡さんが言うように、多重人格になるのはその脆弱性があるからとその3でご説明しました。しかし、進化の視点でとらえ直すと、安先生が言うように、「生き延びる方法」として「生きる力が強い」と言えます。どういうことでしょうか? そもそもなぜ多重人格は「ある」のでしょうか?
まず、多重人格の起源は、記憶喪失の起源を土台にして考えることができます。そこで、記憶喪失の進化の起源を理解する必要があります。この詳細については、以下の記事をご覧ください。
記憶喪失の起源とは、約300万年前に人類が助け合いの集団をつくるようになってから、トラウマ体験を「知らないふり」(記憶喪失)で生き延びるという、新しい環境に適応するための生存戦略であるとご説明しました。ここで、多重人格は大人ではなく子ども、特に乳幼児期のトラウマ体験よって発症することを踏まえると、原始の時代、人類の乳幼児がどんな環境に身を置いていたかに着目する必要があります。
その環境とは、現代社会のような人権という概念すらなく、子ども、特に乳幼児の命はとても軽かったでしょう。病気ですぐに死んでしまうので、たくさん子どもがつくられました。よくよく考えると、つい近世まで、飢餓の時は、捨て子さえも珍しくありませんでした。児童労働もごく当たり前でした。つまり、現代で禁止されている虐待は、原始の時代ではごくありふれた現象であったことが想定されます。
そんななか、親から虐待された子どもは、そのトラウマ体験によって記憶喪失になるだけだと、その親の顔を思い出せないのでその親に後追いや抱き着きなどの愛着行動を示すことができません。すると、親はたくさんいる他の兄弟に目をかけるようになり、その子どもは構ってもらえなくなります。原始の時代、そんな子ども(遺伝子)は死(淘汰)を意味します。
一方で、人格部分として再び現れてでも、その親の顔を認識して愛着行動を示すことができれば、虐待されるにしても、食料は分け与えられるなどの一定の保護が得られます。例えば、幼児の人格部分が出ていた片岡さんのように、「私のおうち、どこ?」「ママに会いたい。ママ・・・」と泣くことです。
原始の時代、そんな子ども(遺伝子)は生き残るでしょう。そして、主人格は、当初親の顔については記憶喪失になっているわけですが、人格部分が代わりに親との愛着関係をつなぎ留めていてくれたおかげで、やがて成長するにつれていつもいっしょにいる大人がおそらく親であると再認識するようになるでしょう。これは、乳幼児の生存戦略です。
つまり、大人と違って子どもは、「知らないふり」(記憶喪失)だけでは不十分で、「知ってるふり」「慕うふり」(人格部分による愛着行動)もして、何とか親(愛着対象)に食らいついて生き延びるよう進化したでしょう。これが、多重人格の起源と考えられます。
大人と違って子どもの場合、虐待する親であっても一定の養育行動を引き出さなければ生き延びられないので、親の顔の記憶を喪失して愛着行動を示さない主人格の代わりに、愛着行動を示す人格部分が積極的に出てくる必要があったと言うわけです。
なお、大人になった片岡さんは、気味が悪いと避難所から追い出されるなどのトラブルを起こしていました。しかし、原始の時代は、多重人格として大人になってもそれほど困らなかったと考えられます。なぜなら、原始の社会では、言葉さえなく、その日暮らしでその瞬間を生きているだけであり、人格は1つであるという概念すらなかったからです。
ちなみに、言葉を話すようになったのは約20万年前、人格などの概念を用いるようになったのは約10万年前以降、そして人格は1つであり変わらないという合理主義や個人主義の価値観が広がったのは約200年前の産業革命以降です。そしてまさに産業革命以降に、多重人格が病気として認識(病理化)され、報告されるようになったのでした(*1)。
以下のグラフは、前々回(2025年9月号)、前回(2025年11月号)、そして今回に論じてきた解離症のすべての起源をまとめたものです。









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