連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
これまで、「仮氏理論」「ライフ・イズ・ビューティフル理論」「ツッコミマスター」を通して、コミュニケーション能力を高めるやり方やあり方をアカデミックに解き明かしてきました。しかし、それにしても、現在、なぜ結婚しない人がこれほど急に増えたのでしょうか?そもそも、なぜデートもしない人が増えたのでしょうか?
その謎を解くために、私たちが人間となり体と心(脳)を適応させていった数百万年前の原始の時代の狩猟採集社会に目を向けてみましょう。なぜなら、この時代に私たちの心(脳)の原型が形作られたからです。一方、現代の農耕牧畜社会から始まる文明社会は、たかだか1万数千年の歴史しかなく、体や心(脳)が進化するにはあまりにも短いからです。
原始の時代、男性(父親)は日々食糧を確保し、女性(母親)は日々子育てをして、性別で役割を分担し、家族をつくりました。さらに、これらの家族が血縁によっていくつも集まって100人から150人の大家族の生活共同体(村)をつくり、つながって協力しました。そして、そうする種が生き残りました。その子孫が現在の私たちです。逆に、そうしない種は、子孫を残さないわけですから、理屈の上ではこの世にほぼ存在しないと言えます。それが、日本で1990年までの結婚する人が、男女ともに変わらず95%以上であったことを表しています。
ところが、1990年代以降の現代はどうでしょうか? 実は、原始の時代と違う現代の社会構造こそが、結婚をしない心理を生み出していると言えます。その主な3つの心理を探ってみましょう。
①「自由がなくなる」―個人主義化―自己愛の心理
1つ目は、「自由がなくなる」という心理です。高度経済成長期を過ぎた1970年代から、世の中は物質的には豊かになっていきました。生活の余裕ができて、個人の選択の自由が重んじられるようになり、個人主義化していきました。女性も社会参加するようになりました。女性は仕事を持つ、男女ともに余暇活動を楽しむ、自分の趣味や習い事をするなど生き方の選択肢が増えていきました。いわゆる「自分磨き」「リア充(リアル生活充実)」「意識高い系」という流行り言葉がそれを表しています。
また、結婚についても、お見合いなどによって親(社会)が決めるやり方から、恋愛によって個人同士が決める自由が重んじられるようになりました。本人の意思が尊重されることで、周り(社会)よりも自分を大切にする気持ちが高まります(自己愛)。
一見、結婚を選ぶ自由があることは良いように見えますが、ここには落とし穴があります。それは、相手を選ぶ自由があるということは、一方で、相手から必ずしも選ばれない「不自由さ」という責任があるということです。自分が相手を好きだからと言ってどんなに努力しても、必ずしも相手が自分を好きになるという保証がないということです。ここが仕事や友人関係との大きな違いです。恋愛は理不尽なのです。
そして、「面倒は嫌だ」「時間がもったいない」という理由付けによって、拒絶されたり裏切られることがない仕事や趣味、友達関係やペットで、人生を満たそうとします。または、アイドルの追っかけをしたり、二次元(仮想現実)の恋人をつくることで、思い通りになる擬似的な恋愛で欲求を満たそうとします。つまり、「自由であり続けたい」「我慢したくない」ということです。こうして、自分の自由さに目が行くばかりで、恋愛のコミュニケーションの機会が減り、その能力が高まらないままなのです。これが、「自由がなくなる」という心理の根っこにあるものです。
②「コスパが悪い」―効率化―損得勘定の心理
2つ目は、「コスパ(コストパフォーマンス)が悪い」という心理です。世の中は、さらにとても便利で効率化していきました。女性は経済的に自立するようになり、男性も家事労働的に自立できるようになりました。そして、個人主義化と相まって、それまでの三世帯の大家族よりも、未婚の男性や女性がその親と同居するのみの核家族や独り暮らしが増えていきました。もはや、女性が必ずしも結婚して経済的に男性に依存する必要がなく、男性も必ずしも結婚して女性の家事労働に依存する必要がなくなりました。いわゆる男女の役割のフラット化です。逆に、結婚すると、親と別居することになるため、男性も女性も自分の親の経済や家事労働に依存できなくなり、さらに女性が離職して家事労働や子育てに専念する場合は男性が自分の経済を女性や子どもと共有することになり、結果的に生活水準は下がってしまいます。
効率化という社会の価値観によって、「自由がなくなる上に損をする」という損得勘定の発想(外発的動機付け)が強まり、つながる必要がないという心理に陥ってしまいます。そこには、「相手を楽しませたい」「幸せにしたい」というコミュニケーション本来の発想(内発的動機付け)が貧しくなっています。こうして、結婚して失うものばかりに目が向き、得るものには目が向かないため、恋愛のコミュニケーションの機会が減り、その能力が高まらないままなのです。これが、「コスパが悪い」という心理の根っこにあるものです。
③「好きな人がいない」―情報化―受け身の心理
3つ目は、「好きな人がいない」という心理です。1990年代から、インターネットの普及により情報化が一気に加速しました。物だけでなく、情報までも人と直接かかわらなくても手に入るようになりました。つまり、生きていくために、苦労して人とコミュニケーションをして何かを手に入れる体験を子どもの頃からしなくても良くなってきたのです。言い換えれば、より受け身でも生きてはいけるということです。そして、この受け身の心理で恋愛をするようになったのです。デートをしても、男女がお互い受け身なので、楽しくなくて盛り上がらず、好きになれないので、次につながらないのです。つまり、厳密には、「好きな人がいない」のではなく、「好きになる経験を積んでいない」ということです。
また、人と深くかかわり好き好かれるコミュニケーションの体験を積み重ねていないので、人からどう思われるか不安になりやすく、「人見知り」「対人恐怖」に陥りやすくなります。そして、ますます恋愛に臆病になります。悪循環です。情報が溢れる中、不安をなくそうと情報収集ばかりして、頭でっかちになり、ますます不安になっています。とても「結婚は勢い」というふうには思えなくなっています。
さらに、情報化は、相手を商品のように細かくランク付け(価値付け)する意識を強めます。いわゆる「スペック」です。この心理によって、相手のだめなところばかりに目が行きやすくなり、好きになれないのです。好きになるのは、スペックなどの情報によるものではなく、生身のコミュニケーションそのものによるものです。つまり、「好きな人がいない」というのは、相手の問題ではなく、自分の心の問題であるといことです。こうして、相手の欠点に目が行くばかりで、恋愛感情を深めるコミュニケーションの機会が減り、その能力が高まらないままなのです。これが、「好きな人がいない」という心理の根っこにあるものです。