連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2017年2月号<<前編>> アニメ「カイジ」「アカギ」–なぜギャンブルをするの?ギャンブル依存症とギャンブル脳

なぜギャンブルをするの? -夢、勝負、そして覚悟

カイジは、なぜギャンブルをするのでしょうか? その答えは、ギャンブルは男のロマンだからです・・・と言うのは、冗談ではなく、本当です。ここから、ギャンブルを依存症というマイナス面だけでなく、生き様というプラス面として、この男のロマンという「男らしさ」の心理を、「夢」「勝負」「覚悟」の3つのキーワードから解き明かしてみましょう。

①夢を追う行動力
カイジは、「限定ジャンケン」という頭脳戦のギャンブルで、勝負半ばですでに敗色濃厚となった参加者たちがトイレに吹き溜まって泣いているのを発見します。あまりの絶望的な雰囲気に、カイジは「奴ら…」「言っちゃ悪いが正真正銘のクズ…」「負けたからクズってことじゃなくて可能性を追わないからクズ…」とつぶやきます。

また、カイジが地下の強制労働施設で重労働を課せられている時のシーン。当初、外出券の獲得のために、少ない賃金を節制しようとします。その矢先、ビールとおつまみを売り込もうとする班長からの甘い誘惑に負けてしまいます。班長は、ビールと焼き鳥をほおばるカイジを遠目に見てあざ笑います。

「食べ終わったら…奴はとりあえず満足して…こう考えるだろう。明日からがんばろう…明日から節制だ…!と…!が…その考えがまるでダメ…『明日からがんばろう』という発想からは…どんな芽も吹きはしない…!そのことに20歳を越えてまだ…わからんのか…!?明日からがんばるんじゃない…今日…今日だけがんばるんだっ…!今日をがんばった者…今日をがんばり始めた者にのみ…明日が来るんだよ…!」と。班長はカイジの心の奥底を見透かしていたのでした。カイジは、この時、易きに流されていたのです。

1つ目の心理は、可能性を追う、つまり一攫千金などで成り上がりの夢を追う行動力です。これは、人生に置き換えると、夢や目標に向かって全力を尽くして、その瞬間その瞬間を必死になって努力することです。例えば、仕事にしても恋愛にしても普段の生活の中で積極的に動いているかということです。逆に言えば、受け身のままであったり、簡単にあきらめ、安楽な娯楽に満足するのは、「男らしくない」ということになります。
ちなみに、この夢や目標が大きすぎる場合がギャンブルであるといえます。

②勝負に挑む決断力
かつてカイジは、人生の岐路に立たされるたびに、いつも決断を他人に委ね、流されるままに生きてきました。そんなカイジは、ギャンブルの大勝負で追い詰められる中、「他人なんか関係ねえんだよ…!オレだっ…!オレだっ…!オレなんだっ…!肝心なのはいつも…!オレがやると決めてやる…ただそれだけだっ…!」と気付くのです。カイジの成長ぶりがうかがえます。

一方、「アカギ」の主人公の赤木は、カイジとは対照的に、最初からどこまでもクールです。赤木に敗れて多額の借金を背負った浦部(対戦相手)が「いつか必ずおまえを倒す」と怒りの声を上げるシーン。すると、赤木は、相手の借金と相手の両手首を賭けて、もう1回の勝負を吹っかけます。しかし、相手はこの勝負を受けません。この時、赤木は「あの男は死ぬまで純粋な怒りなんて持てない。ゆえに本当の勝負も生涯できない。奴は死ぬまで保留する…」と言い、去っていきます。赤木は、浦部の「倒す」という怒りが本物ではないと見抜いていたのでした。

2つ目の心理は、勝負に挑む決断力です。これは、人生に置き換えると、やるかやるまいか迷った時に、リスクを踏んでまずやってみることです。例えば、受験、留学、就職、昇進、結婚などのビッグチャンスから、友人作り、デートのお誘いなどの何気ないチャンスなど、人生には勝負をかける重大な局面が何度も訪れます。その時うまく行かなくて、無駄骨になるかもしれません。損をするかもしれません。傷付くかもしれません。それでも、自分の人生において本当に求めているもの、つまり夢や目標がはっきりしているなら、勝負に挑むことが大切であるということです。そして、たとえうまく行かなかったとして、その経験が次の勝負への糧になります。そして、チャレンジする生き方自体に喜びを感じることができるようになります。逆に、何もしないで「保留」をし続ければ、本来求めているものへの純粋さがどんどん失われていきます。勝ちも負けもしない薄っぺらい人生になってしまいます。

ちなみに、この勝負をしすぎるのがギャンブルであると言えます。

③覚悟を決めている安定感
若かりし赤木が、負ければ殺されるという状況に追い詰められている南郷の対戦をそばで見ているシーン。南郷は、怯えきってしまっており、せっかくの逆転トップになりそうな大物手が入ったのに、対面のリーチに恐れをなして、現物の安牌を切って安手に受けようとしていました。その時、赤木は南郷に「死ねば助かるのに…」とつぶやきます。一見して禅問答のように矛盾した言い回しです。

また、晩年に赤木が自分がアルツハイマー病に冒されていると知ったシーン。赤木は「無念だ…!」と繰り返します。そして、「愛していた…無念を…!」と添えるのです。無念だと残念がりつつ、同時にその無念さを愛していたという表現は両価的な言い回しです。

3つ目の心理は、覚悟を決めている安定感です。これは、人生に置き換えると、うまく行かなくても、それを受け入れる覚悟をすでにしていると、行動がブレないということです。また、そもそも人生には完全なマニュアルも保証も結局のところはないです。恋愛や結婚では、自分がどんなに相手に尽くしても、相手が自分に尽くしてくれるとは限りません。自分がどんなに真面目に生きていても、思いもよらない事故や病気に見舞われるかもしれないです。そんな不確かなことも含めて、自分の人生を受け入れる、つまり自分の信じた道に殉じることができるかどうかということです。さらには、その無念さ、不本意さ、理不尽さをも、人生をより生き生きと豊かにする愛すべきものと思えるかということです。まさにそうすることが、自分の人生を生きたという証になります。覚悟の美学です。

逆に、覚悟を決めていない、つまりそもそも人生とは無念なものであるという前提を冷静に理解していないと、かつてのカイジのように、人生そのものを自分の責任として受け止めることができず、自分の人生のマイナス面ばかりに目を向けて、「理不尽で不公平だ」と不平不満ばかりを言う悲しい人生になってしまいます。

ちなみに、全てを失う覚悟をしすぎるのがギャンブルであると言えます。