【1ページ目】2013年1月号 映画「告白」【その1】なんでいじめるの?―同調の心理
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・集団規範
・閉鎖性
・均一化
・反知性化
・スクールカースト(序列化)
・いじめ加害者の心理
・スケープゴート現象
・ベタベタ感(集団凝集性)
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「あの人、ほんと困るよね?」
皆さんは、ある仕事仲間について、別の仕事仲間から「あの人、ほんと困るよね?」と同意を求められたことはありませんか?特に何とも思っていない人についてでも、ついつい調子を合わせてしまったことはありませんか?
私たちは、なるべく気持良く仕事をしたいので、人間関係には気を使っています。特に、私たちが担う対人援助職は、向き合うのが人であるだけに、やり方が個々人で少しずつ違ってしまいます。にもかかわらず、同時にチームワークも求められるため、援助の相手だけでなく、援助をいっしょにする相手にも、人一倍、気を回す必要があります。
気を使う、気を回すとは、つまり、周りに合わせる心理でもあります(同調)。今回は、この同調をテーマに、映画「告白」を取り上げます。この映画は、次々と変わる登場人物の視点によって、それぞれの抱える心の「闇」が見透かされ、事件の全体像が少しずつ浮き彫りになっていきます。そして、事件後、その「闇」が重なり合い、希望の「光」は見えなくなっていくのです。
その中で、今回は、この映画の前半で色濃く描かれている学校社会の危うさ、特にいじめの心理についてみなさんといっしょに考えていきたいと思います。そこから、私たちの職場に生かせる人間関係のヒントを探っていきたいと思います。
学級崩壊―アノミー

舞台は教室。春休み前の終業式の日、中学1年生の担任の女教師、森口先生が話しています。しかし、30数人の生徒のほとんどはおしゃべりや思い思いのことをして、雑踏のようにざわついています。勝手に教室を出ていく生徒もいます。担任教師の統率する力がかなり弱まっており、学級崩壊の状態です。教室はもはや無法地帯で混沌としており、生徒たちの独りよがりな「秩序」が生まれる温床になっています(アノミー)。実際に、屋上では、ある生徒をターゲットにしてボールをぶつけるいじめが起きています。
そんな中、森口先生は言い放ちます。「愛美(自分の娘)はもういません」「愛美はこのクラスの生徒に殺されたんです」と。衝撃の告白です。生徒たちは全員、静まり返ります。森口先生は話を続けます。その犯人は2人で、少年Aと少年Bとして名前が伏せられますが、真相が明らかになるにつれ、その2人が誰なのかがクラス全員に分かってしまうのでした。森口先生は「警察が事故と判断したのなら、それを蒸し返すつもりはありません」と言い添え、その2人に、ある「復讐」をしたことをクラスに伝え、学校を去ってしまいます。
事件の真相の告白によってクラスに「殺人者」がいるかもしれないという不安や疑いの気持ちで、生徒たちの感情は高ぶり、大きなエネルギーが生まれようとしています。
ノリの高まり―同調性
春休みが明けて新学年になりました。クラスは持ち上がったため、顔ぶれは変わっていません。そして、教室の生徒たちの様子も全く変わらず、何ごともなかったかのように、みんなわいわい仲良くしています。少年Bは不登校となりましたが、もともと孤高の少年Aは、何食わぬ顔で教室にいます。
なぜ、事件の真相のことがクラスから全く漏れていないのでしょうか?そのわけは、森口先生の話が終わった直後、差出人不明のあるメールがクラス全員に届いていたからなのでした。「森口先生の告白を外に漏らしたヤツは、少年Cとみなす」と。とても巧妙です。強制的に秘密を共有させられるというクラスの独特のルールができあがったことで(集団規範)、クラスという世界が内に閉じ込められ(閉鎖性)、クラスのベタベタとした結びつき(集団凝集性)が強まります。そして、ますますみんな同じように考え、同じように動くようになるのです(同調性)。
クラスのルールの基準は、この同調性に楽しさをプラスしたもの、つまりノリです。生徒たちの不安という感情の高ぶりが、クラスのノリという笑いの感情の高ぶりに置き換えられていったのです。生徒たちがみんなでいっしょにダンスするシーンや、名前コールや手拍子を合わせるシーンは、あたかも楽しそうです。そこには、みんなとの一体感があり、心地良さがあるのです。