【3ページ目】2013年1月号 映画「告白」【その1】なんでいじめるの?―同調の心理
日本文化―同調文化
それでは、そもそも、このような学校文化を根底から支えるものは何でしょうか?実は、それは、日本文化そのものです。日本文化の特徴と言えば、ほぼ単一民族で顔かたちや体つきが似ていることに加えて、島国であり、さらに、300年の江戸時代の鎖国によって高度に「洗練」されてしまった集団主義の文化です。集団主義とは、常に「世間」というと閉ざされた周りから自分がどう思われているかに敏感になり、なるべく周りに迷惑を掛けないように気を使い、集団の秩序(集団規範)を重んじる内向きの文化です。それに背いたら、いじめ、つまり「村八分」という制裁が待っています。
情報化された現代において、日本人ほど流行に敏感な国民性はなさそうです。日本が海外からどのように取り上げられているかをテレビでよく報道されています。これほど自国が他国からどう見られているかに敏感になる国民性は他にはないのではないでしょうか?いつも、周りを気にして、そして流されやすいのです。
最近、テレビのバラエティで、多数派当てゲームが高視聴率であるのも日本独特ではないでしょうか?また、出演者が「とりあえず謝れよ」と言われて、訳の分からないまま、実際に謝って笑いをとるという展開は、「お約束」のネタですが、「同調圧力に屈した」というブラックな笑いでもあります。これが果たして欧米人に通じるかということです。けっきょく、その場で支配しているのは、理屈でも市民社会の正義でもなく、「空気を読む」というノリ(同調)なのです。そして、どうやら、この笑いは、同調性が高い集団主義的な日本文化だからこそ成り立っているように思われます。
身分意識―序列化
生徒たちの横並び意識は、実は、危うさがあります。なぜなら、人は一方で、序列を好むからです(序列化)。
私たちは、オリンピックやギネスブックを始め、何ごともランキングは気になるものです。こうしたランキングの高いもの、つまり、より良いものを求めるからこそ人間は進歩してきたわけで、進化心理学的にも理解できることです。また、生物学的にも、猿山のボスのように、順位性がはっきりしているからこそ、群れの秩序が生まれます。さらには、歴史学的にも、人はそもそも階級社会により、居場所や役割を見いだし、そこに安住してきました。つまり、序列を好む身分意識は、社会的な動物の本能とも言えます。
クラス内の序列―スクールカースト
今の学校社会の序列はどうでしょうか?昔から学校社会に序列はありました。しかし、昔と今で大きく違っている点は、その序列を決める物差しです。昔は、勉強ができるか、スポーツができるか、ケンカが強いか、顔がいいか、話がうまいかなどいくつもの物差しがあり、しかも、成績やスポーツの優秀者は公表されるなど、みんなに分かりやすくなっていました。
ところが、今の学校社会は、平等主義によって、これらの物差しが隠されています。ちょうど、自我同一性の確立が起こる思春期は、どうしても相手との違いや力関係を意識してしまうものです。そんな中、学校で協調性だけがあまりにも強調されてしまった結果、その相手との力関係の物差し、つまり今の学校社会の序列(スクールカースト)の物差しは、どれだけノリの空気を読めるかというコミュニケーション能力、つまり、どれだけ周りに調子を合わせることができるか(同調性)になってしまいました。
この心理は、みんなより秀でることも含めて、とにかく目立つことで「調子に乗るな」という働きかけの心理(同調圧力)にすり替わってしまうリスクがあります。そして、この同調圧力の高い空間で、空気の読み合いをして1日の大半を過ごして、ヘトヘトになっているわけです。なぜなら、読み違えたら、ノリが悪い下位の身分にされてしまうからなのです。こうして、集団のノリに同調するというサバイバルゲームに強制的に付き合わされているわけです。
そして、この同調性は、時間をかけて、馴れ合いや甘えをはびこらし、彼らを、与えられたものだけで満たされるという競争意欲が削がれた、つまり「去勢」された大人にしてしまいます。これは、現代の社会問題になっている「引きこもり」にもつながっていきます。