連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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【キーワード】
・アクセプタンス
・マインドフルネス
・コミットメント
・ブリーフセラピー
・お葬式のメタファー
・人生の価値
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みなさんは、時間を忘れるのが癒しだと思いますか? 確かに、時間に追われて生活していればそう思うことはあるでしょう。ただ一方で、時間を考えるのが癒しになることもあります。どういうことでしょうか?
この理由をご説明するために、今回は、タイムトラベルをテーマにしたSF映画「テネット」をネタバレなしでお送りします。そして、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT、アクト)という最新のセラピーを重ね合わせます。この記事で時間を考えることを、物理学的な娯楽としてだけでなく、心理学的な癒しとしても見つめ直してみましょう。
なお、より良い理解のために、この記事の2ページ目にネタバレのコーナーも用意しています。これからこの映画を見る人は、2ページ目にご注意ください。
主人公はもともとCIAのエージェント。この映画では名もなき男と呼ばれ、あえて名前が付けられていません。彼は、第三次世界大戦を防ぐために、なかば強引にテネットという組織のメンバーにさせられます。そして、協力者として現れたニールといっしょに任務を遂行することになります。実は、このニールこそが陰の主人公であることに、私たちは映画の最後で気づくことになります。
ここから、ニールの2つのセリフをACTの2つの要素に重ね合わせ、時間を考えるのが癒しになるわけを考えてみましょう。
①「起きたことが起きた」-過去と現在の受け入れ-アクセプタンス
名もなき男とニールが黒幕に迫っていく中、時間が逆行する装置の存在により、時間を逆行する人が出現して混沌となります。この映像体験は、私たちの常識を吹き飛ばします。そんな中、ピンチになった時にニールは口癖のように「起きたことが起きた(起きたことは仕方ない)」と言い、淡々と自分にできることをするのです。これは、名もなき男が、テネットの研究所で逆行する銃弾を見せられ当惑した時、研究者に言われたセリフ「考えないで。感じて」にも通じます。
1つ目は、過去と現在の受け入れです。自分がどんなにうまくいっていなくても、その自分自身を受け止めること、つまり良い悪いの価値判断を無意識にしていることに気づくことです。これは、ACTのアクセプタンスに重なります。私たちは、問題が起きると、その葛藤による苦しみをコントロールしようとします。もちろん、苦しみをコントロールできるなら、それはそれで良いでしょう。しかし、どうしてもコントロールできない時は、どうなるでしょうか? 苦しみをコントロールできないという新たな「苦しみ」が生まれてしまいます。つまり、苦しみから逃れられないと突き詰めて考えること自体でさらに苦しくなるということです。これは、コントロールするという手段にばかり気をとられて、目的を見失ってしまいます。「手段の目的化」というよくある心理です。
例えば、それは、がんや難病による疼痛、全身倦怠感、身体的不自由です。予期不安もそうです。これは、不安(パニック発作)がまた起きると考えて(予期して)、不安になることです(パニック障害)。また、障害のある子の養育、最愛の人との死別、夫婦関係や親子関係の葛藤なども当てはまります。
新たな苦しみは、本来あるべき健康な状態が前提になっています。その前提は、私たちがとらわれている、こうあるべきという常識(主流秩序)です。その常識から外れてしまった自分の状態に苦しみ、絶望しているのです。よって、その常識そのものにまず気づき、そのままにする、つまり苦しみをコントロールしようと思わないようにすることです。そして、苦しみはあるものの、そのままの人生を生きていくことです。そのために、「その行動は、そうあるべきと思っているから?」と自分自身に問いかけ、義務感や体裁を生み出す常識(主流秩序)に自分がコントロールされていないかを確かめる必要があります。
ACTのアクセプタンスとは、こうあるべきという心を萎ませることとも言えます。これは、マインドフルネスに重なります。この詳細については、末尾の関連記事1をご参照ください。なお、アクセプタンスは、支持療法の「受容」とは全く意味合いが違う点にご注意ください。
②「運命。おれにとっては現実だよ」-未来への思い入れ-コミットメント
ニールが名もなき男に「運命。おれにとっては現実だよ」と悟ったように答えるシーンがあります。また、「おれがどんな人生を送ってきたか、この事件が終わって片付いたときに生きていたら、話してあげたいよ」と意味ありげに話してもいます。ニールは一体何者なのでしょうか?
私たちが映画を見終わってからニールの正体に勘づいた時、その言葉の重みと彼の任務への思い入れの強さに打ちのめされます。これから彼を待ち受けている「現実」を知ってしまった私たちは切なくなりますが、それでも彼はその「現実」を生きる価値があると思ったのでしょう。
2つ目は、未来への思い入れです。自分はどんなふうに人生を送りたいのかという人生の目標を掲げて目指すこと、つまり自分の人生の価値をはっきりさせ行動することです。これは、ACTのコミットメントに重なります。もちろん、衣食住が満たされればそれ以上求めないという人は、それはそれで良いでしょう。しかし、一方で、特に先ほど触れたような苦しみがもともとある場合は、このコミットメントに意識を向けることで、苦しみにばかり意識が向かなくなり、苦しみに振り回されることが減っていき、アクセプタンスが進むでしょう。もちろん、アクセプタンスがもともとある程度進んでいることで、現在の苦しみから未来に目が向き、コミットメントがはっきりしてくるでしょう。このように、アクセプタンスとコミットメントは、相互作用します。
それでは、以下のケースはどうでしょうか? 難病によって大好きだった野球ができない人生は終わりだと嘆くクライアントがいます。彼のコミットメントは、野球をすることでしょうか? すると、彼にはコミットメント自体がないことになるでしょうか? そんなことはないです。彼のコミットメントとして、野球そのものではなく、野球をすることで得られる価値を考えてもらうことができます。それは、チームプレイによる信頼感、野球のゲーム性の魅力、体を動かす喜びなどいろいろ考えられます。それをはっきりさせて、その価値に沿う新たな行動をしてもらうのです。例えば、それは仕事仲間とのコミュニケーションを増やしたり、野球の観戦をしたり、難病に差し障らない運動をすることです。
また、うつ病によって結婚できずに子どももいない人生は意味がないと嘆くクライアントがいます。彼女のコミットメントは、家庭生活を送ることでしょうか? すると、彼女にはもうコミットメントを見いだすことは難しいでしょうか? そんなことはないです。彼女のコミットメントとして、家庭生活そのものではなく、家庭生活で得られる価値を考えてもらうことができます。それは、支え合う安心感、お世話をする喜びなどが考えられます。それをはっきりさせて、その価値に沿う新たな行動をしてもらうのです。例えば、それはピアサポート(自助グループ)に参加したり、シェアハウスに入居したり、趣味の仲間同士でつながったり、友人の相談に乗ったり、ペットを飼うことです。
コミットメントは、「お葬式のメタファー」でイメージアップすることができます。まず、「もしも自分が今死んだとしたら、お葬式に誰が来る?」「その人たちは何て言う?」と考えます。次に、「何十年か生きたあとで死んだとしたら、誰に来てほしい? 何て言ってほしい?」とさらに考えます。この2つの質問の答えの違いから分かることは、自分は何(誰)を大切にしたいのか、そして自分はどうなりたいのかという人生の方向性です。これが、人生の価値です。それは、ゴールとして終わるものではなく、方向として果てしなく続くプロセスです。そして、またその方向のほとんどは、人とつながることです(向社会性)。
その「人生の地平線」に向かって、自分が日々どう行動するかは自分自身が一番よく知っているというわけです。ちなみに、映画のラストで戦いが終わり、立ち去るニールが名もなき男に見送られるシーンは、この「お葬式のメタファー」を想起させます。
ACTのコミットメントは、こうありたいという心を膨らませることとも言えます。これは、ブリーフセラビーの「北極星のメタファー」、対人関係療法の「重要な他者」、マズローの「自己実現欲求」に重なります。ブリーフセラピーの詳細については、末尾の関連記事2をご参照ください。また、自己実現欲求や人生の価値が向社会性である理由やその起源の詳細については、末尾の関連記事3をご参照ください。
ACTの要素にニールのセリフを重ね合わせて、ACTの意味や効果をご説明しました。ACTの適応対象は、セラピーとして幅広いです。ただし、やはり万能ではありません。ここから、癒しにならない場合、つまり適応対象にならないクライエントのケースをあげてみましょう。
・知的障害や認知機能低下(認知症)など考えることにそもそも限界がある(知的レベルが低い)
・何(誰)かを大切にしたいという発想がそもそもなく自己本位である(向社会性が低い)
・こうあるべき(主流秩序)を貫くことが自分の生き方(価値)であると確信している
・苦しみを表現して周りからの援助を引き出すことが本人の生き方(アイデンティティ)になっている(シックロール)
動物は、過去を振り返ることも未来を見通すこともなく、時間を考えることはありません。その瞬間を本能的に反射的に生きています。そして、苦しみがあっても、コントロールしようとはしないです。人間(人類)も、20万年前まではそうでした。しかし、20万年前から言葉を話すようになり、言葉によって世界を認識し、時間を認識し、世界をコントロールするようになりました。
一方で、人間は、言葉に、自分が学習した善悪のイメージ(認知)を融合させてしまうようにもなりました(認知的フュージョン)。皮肉にも、その言葉によって、自分が思い浮かべた言葉のイメージに引っ張られる、つまり、逆にコントロールされてしまい、コントロールできなくなることに苦しむようにもなったのでした。例えば、いきなり「自殺」という言葉を聞いたら、その瞬間、私たちは緊張が走ります。差別用語や放送禁止用語なら、なおさらでしょう。また、特定の言葉を聞いただけで、かつての嫌な記憶を思い出して苦しむことも当てはまります。
ACTの核心は、まさにこの言葉とイメージの融合を分離して、言葉そのものに間合いをとることです(脱フュージョン)。例えば、先ほどの「自殺」という言葉を「ジ・サ・ツ」と単調に繰り返し言い続けていると、逆にこの言葉の意味が分からなくなることに気づきます(意味の飽和)。このように、言葉の「魔力」の揺らぎを感覚的に理解することができます。
言葉を俯瞰することが、アクセプタンスです。そして、時間を俯瞰することが、コミットメントとも言えます。私たちは苦しみにぞっとして絶望を抱くことも、その苦しみをそっとしておいて希望を抱くこともできます。そのどちらの「地平線」に向かうのか、向かいたいのかはやはり私たち次第であるということです。
ニールたちは、時間を逆行しました。私たちは、時間を逆行することはできないですが、未来への視点(価値)を持ち、逆算して今どう行動すれば良いかを考えることができます。これこそが、時間を考えることと言えるのではないでしょうか?
1)テネット映画パンフレット:岩田康平、松竹株式会社、2020
2)マインドフルネスそしてACTへ:熊野宏昭、星和書店、2011
3)こころのりんしょうa・la・carte ACT:熊野宏昭ほか、星和書店、2009
これからこの映画を見る人は、2ページ目はネタバレになりますので、ご注意ください。
①ニールの正体は?
②ニールのコミットメントは?
③なんで戦いのラストシーンが「お葬式のメタファー」なの?