連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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認知能力とは、主に記憶力、情報処理能力、注意力であることが分かりました。一方、非認知能力とは、主に自発性、セルフコントロール、共感性であることが分かりました。車に例えると、認知能力は、車の備品のそれぞれの細かい性能です。一方、非認知能力は、アクセル(自発性)、ブレーキ(セルフコントロール)、ハンドル(共感性)など運転手がどうしたいかという意思です。
それでは、これらの本質的な違いはなんでしょうか? ここから、その違いを大きく3つに分けて考えてみましょう。
①数値化できるかどうか-測りやすさ
慶多が参加したお受験やピアノ演奏会では、合否や優劣をはっきりさせるために、その評価が点数化されたり順位付けされます。一方、慶多と琉晴がそれぞれの新しい家族といっしょに暮らす適応能力については、評価の基準が定まらず、点数化することは難しいです。
1つ目の違いは、数値化できるかどうか、つまり測りやすさです。認知能力は、学力(学習能力)、IQ(知能指数)、楽器演奏の技術、工作や絵画の出来栄え、姿勢や立ち振る舞いなどです。つまり、望ましいとされる正解がある点で、点数化できて測りやすいです。一方、非認知能力は、何かを考えたり行動する楽しさや誰かといっしょにいる心地良さを感じる「能力」とも言えます。そこから、不確定な状況(標準化しにくい課題)への適応能力であったり、相手との相互作用から協力関係を築く能力が発揮されます。つまり、正解がなかったり、逆に正解がいくつもあり、必ずしも正解が決まっていない点で、点数化できず測りにくいです。
先ほどの車に例えると、車の性能は測りやすいですが、運転手の意思は測りにくいと言えます。
なお、お受験では、工作の課題で創造性(自発性)を見たり、集団での行動観察で相手への気配り(セルフコントロールや共感性)を見ており、非認知能力を評価しようとしているように見えます。しかし、すでにお受験対策でその課題のパターンが見抜かれており、望ましいとされる正解を受験生の子どもたちが訓練によって学習できる点で、結果的に非認知能力を評価することは難しいことが分かります。
また、子ども同士が仲良くなるためにふざけることも非認知能力としては評価できることですが、面接官が望ましいとしている正解ではない点で、やはり非認知能力を評価することは難しいでしょう。
面接でも非認知能力を評価しようとする質問がされていますが、そもそも面接の質問パターンへの模範解答がすでにお受験対策で叩き込まれており、あたかも非認知能力が育まれているように見せかけることができる点で、やはり非認知能力を評価することには限界があるでしょう。
なお、測りやすさの視点で、認知能力と非認知能力は、それぞれ自信(自己効力感)と自尊心(特に自己肯定感)に関係が深いと思われます。そのわけは、自信は、「自分はできる」という客観的な評価であるのに対して、自尊心は、「自分は大丈夫」という主観的な評価であるからです。つまり、自信は根拠がある(測れる)のに対して、自尊心は根拠がない(測れない)「自信」とも言い換えられます。これらの詳細については、以下の関連記事をご覧ください。
②環境変化に適応できるかどうか-心の折れにくさ
慶多は、お受験塾でのたゆまぬ訓練によって、見事志望校に合格しました。一方の琉晴は、いきなりお受験で合格することは難しいでしょう。しかし、その後、慶多と琉晴は、それぞれの新しい家族といっしょに暮らすようになってから、慶多は元気がなくなり、心が折れそうになっています。一方で、琉晴は、何とかうまくやって行こうとしており、心は折れていません。
2つ目の違いは、環境変化に適応できるかどうか、つまり心の折れにくさです。認知能力は、環境が変化しない状況(標準化された課題)への処理能力と言い換えられます。逆に言えば、環境が変化する状況への適応能力ではないため、そのストレスへの弱さがあり、心が折れやすいと言えます。一方、非認知能力は、まさに環境が変化する状況への適応能力と言い換えられ、そのストレスへの強さがあり、心が折れにくいと言えます。
先ほどの車に例えると、一般道(環境変化が少ない状況)では車の性能が発揮されますが、草原(環境変化が大きい状況)では車の性能は当てにできず、運転手の判断(意思)が重要になってくると言えます。
さらに踏み込めば、慶多と同じく、実は良多の非認知能力も高くないことが分かります。良多は、子どもの取り違えが発覚(環境が変化)してから、ストレスを抱え込み、これまでのエリート街道から外れ、みどりと夫婦関係の危機に直面しているのでした。
なお、心の折れにくさは、医学用語として、心のしなやかさ(レジリエンス)と言い換えられます。この詳細については、以下の関連記事をご覧ください。
③癖になるかどうか-幼児期での敏感さ
慶多は、ピアノの練習について良多から「1日休むと取り戻すのに3日かかる」とたびたびたしなめられています。慶多と同じように、良多もかつてピアノの習い事をしていましたが、小学生でやめてしまうと、その後は大して弾けなくなっていたのでした。お受験の対策も、受験が終わったら、ほとんど忘れているでしょう。一方、琉晴の行動力やふざける癖は、ストローを噛む癖や「オーマイガット!」の口癖と同じように、変わらず続いています。
3つ目の違いは、癖になるかどうか、つまり幼児期での敏感さです。認知能力は、いったん身に付いても、やり続けていないとだんだん失われていく、つまりなかなか癖にならない特徴があります。一方、非認知能力は、なかなか失われにくい、つまり癖になる特徴があります。その原因は、敏感さです。特に幼児期においては、認知能力よりも非認知能力に敏感に反応することが分かっています。この時期は、敏感期、臨界期と呼ばれています。
先ほどの車に例えると、まずは運転手が運転したいという意思があるからこそ、車の性能があるのです。運転手が運転したいと思わなければ、いくら車の性能があったとしても使われず、すぐに錆びれてしまうと言えます。幼児は、それほど単純であると言えます。
実際に、ヘックマン(2000年にノーベル経済学賞を受賞)の研究において、経済的な貧困層(幼児教育などの子育てが適切に行われていないネグレクトの可能性が高い家庭)の幼児を対象に、幼児教育プログラムを受けた子どもと受けていない子どもが成人になった時の両者を比較した結果、受けた子どもグループは、収入、学歴が高く、犯罪率が低いことが判明しました。その一方で、IQ(知能指数)には明らかな差が出なかったことも判明しました。これは、このプログラムによって、認知能力ではなく、非認知能力が高められたことが考えられてます。