【2ページ目】2013年1月号 映画「告白」【その2】なんでいじめられるの?―いじめ被害者の心理
制裁ポイント―踏み絵

少年Aは、どんなにいじめられても、無言で淡々として、全く動じません。いじめの目的として重要なのは、ターゲットをどれだけいたぶることができたかです。よって、クラスメートは何とかして少年Aを「ひいひい」と言わせて、彼がひれ伏すまで、そして、彼が学校に来なくなるまで、内容もエスカレートしていきます。
そんな中、「このクラスにはいじめがあります」と宿題のノートにメモを入れた生徒がいるとウェルテルがみんなに打ち明けます。クラスメートの1人である美月は、身に覚えがありませんでしたが、リーダー格の女子に「あんただよね、チクったの?」と問い詰められます。実は、彼女だけ、クラスのノリに疑問を感じ続け、制裁ポイントがクラスで唯一0点だったのです。その理由だけで、密告者に仕立て上げられます。制裁ポイントは、踏み絵の役割も果たしていたのです。
美月は、「人殺しの味方して」「あんたには感情ないの?」と一方的に迫られ、みんなに手足の自由を奪われ、少年Aと無理矢理キスをさせられるのでした。まさに、「魔女裁判」「魔女への火炙(あぶ)り刑」です。彼女は、冷静に告白します。「このクラスは異常です」と。
もはや、裏切り者は虫けら以下の扱いで、みんなのノリを楽しませる「玩具」としての身分しか与えられません。いじめという名を借りた校内犯罪が集団的に行われる状況にまでに達しています。昨今の全国的ないじめ自殺の報道を重ね合わせると、学校という場所は、精神的に何が起きてもおかしくない壮大な「心理実験室」と化しているようにも思えてなりません。
一方、少年Aは、自分のために美月が巻き込まれたことで、ついに動き出すのです。
いじめの危険因子―ベタベタ感(集団凝集性)―表2
いじめは、集団のベタベタ感(集団凝集性)が「臨界点」を超える時に、エスカレートすることが分かってきました。ということは、このベタベタ感を成り立たせる要素を探れば、ベタベタ感をコントロールして、いじめのエスカレートを防ぐことができるのではないでしょうか?つまり、ベタベタ感は、いじめの危険因子でもあるのではないかということです。そこで、このベタベタ感の要素を、3つの「近さ」という視点でもっと詳しく見ていきましょう。
まず、それは、集団のメンバー同士がどれだけ似ているか(均一性)、つまり、自分と相手との個体的な「近さ」です。例えば、顔や体格が似ている、年齢が近い、同性、生まれ育ったところが同じ、そして、趣味や考え方が同じ状況です。さらには、制服や髪型などの姿も同じで、同じ目標を持っている状況です。つまり、私たちは、相手との共通点がたくさんあればあるほど自然と親近感や安心感が湧いてきます。そして、さらに共通点を増やそうとして同調していく傾向にあります。これは、同時に、相手との違いがなくなっていくことでもあります。
2つ目は、集団のメンバー同士がどれだけの時間いっしょにいるか(固定性)、つまり、自分と相手との時間的な「近さ」です。例えば、1日のうち平日だと日中のほとんど、それがクラス替えまで最低1年間、持ち上がれば2年間であるという学級制度です。これは、長期間、相手が変わらない、つまり、人間関係が固定化されてしまうことです。
3つ目は、集団のメンバーがどれだけ閉ざされた空間にいるか(閉鎖性)、つまり、自分と相手との空間的な「近さ」、密閉性です。例えば、望んでいない相手でも顔を合わせなければならないという学校の教室の物理的な閉鎖性です。また、「チクり(密告)は許されない」というクラスの暗黙のルール(集団規範)により、助けを求められないなど、問題が起きても外に漏れないという心理的な閉塞感です。これは、相手から逃げられない、逃げ場がないということです。
