【5ページ目】2013年1月号 映画「告白」【その3】じゃあどうしたらいいの?―いじめ対策

②犯罪レベルではないいじめ―いじめの「予防ワクチン」

まず、そもそも人が社会的な動物である限り、いじめはいつでも生まれてしまうことを理解しなければなりません。そして、大事なのは、それぞれのいじめを大きくさせないこと、長引かせない仕組みを作ることです。

皆さんは、テレビのいじめ報道で、「いじめ撲滅」などというスローガンを掲げている学校をよく見かけませんか?よくよく考えてみれば、人間が序列を好む社会的な動物であり、いじめに本能的な要素があるという現実を直視する以上、「いじめ撲滅」は実現不可能な「おとぎ話」です。

仮に実現したとして、果たして子どもがいじめに対して「無菌状態」になっていいのかという問題もあります。なぜなら、大人の社会でも、いじめはれっきとしてあるからです。むしろ、いじめへの「免疫力」を付けるために、「予防ワクチン」として「小さないじめ」は必要ではないかということです。悪口を言われたり無視されたりするなどのコミュニケーションタイプの「小さないじめ」は、心理的な成長の発達段階においてある程度は経験した方が、被害者は自分自身を見つめ直し、そして相手との力関係をそこで認識しようとします。大人のいじめへのトレーニングとしてむしろ良いかもしれないということです。

大事なのは、コミュニケーションタイプのいじめが、ベタベタ感(集団凝集性)のコントロールによって、小人数でしかもすぐに終わらせることです。それでも、終わらない時こそ、まさに、学校教育の出番になります。反省文を書かせたり、奉仕活動をさせるなどのルールを明確に設けることです。

③私たちが生かす取り組み

同調性が高い日本文化に生きる私たちだからこそ、逆に、ルール(集団規範)が揺らぐ危うさを知っておかなければなりません。そして、ルールがブレないような取り組みが必要です。その取り組みは、大きく3つあります。

1つ目は、管理者がルールのモデルとなることです。例えば、管理者が、性格的に優しすぎて「なあなあ」であったり、精神的に弱っていたりするなど、統率力が弱まっている時は危ういということです(アノミー)。

2つ目は、管理者はブレないことです。例えば、管理者が感情的で、時間や状況によって態度が極端に違う場合や(ダブルバインド)、強気なスタッフがミスした時は、気を使って受け流す一方、弱気なスタッフには小言が多いなど、管理者が相手によって態度を変えている時は危ういです(ダブルスタンダード)。また、集団内でのトラブルが起きたら、隠さず、オープンにすることです。そして、ブレない公平なルールに乗っかるべきです。私たち日本人は、トラブルで目立つことは迷惑になり恥ずかしいと思いがちです。しかし、隠すことが、この映画のような閉鎖性や葛藤を生み出します。トラブルにこそ「見える」化が必要です(客観化)。

3つ目は、集団のメンバーの大半が、適度な心の間合いを持つことです(心理的距離)。例えば、個人的なことに無暗に首を突っ込んだり、共通の敵をつくろうと誰かの悪口を盛んに言い、共感を求めようとする人がいる時は危ういです。そういう時は、「そうなの?」と話は聞いて受容しつつ、「私、鈍くてよく分からない」とはっきりしたことを言わず、同調をしないのがコミュニケーションのコツです。

以上のように、集団が、同調やトラブル隠しによる葛藤や緊張などの感情の高ぶりが少なく、ルールという理性がうまく働き、ブレていないかが健康的な組織作りのコツになります。

★表4 健康的な組織作り

健康的な組織作り―表4

映画「告白」を通して、いじめのメカニズム、具体的ないじめ対策、私たちが生かす取り組みを探ってきました。キーワードは、同調です。そして、この同調は、具体的ないじめ対策で提案した、ベタベタ感(集団凝集性)のコントロール、ルール(集団規範)がブレないことに加えて、私たちが生かす取り組みで触れた「見える」化(客観化)を合わせた3つの要素でバランスをとることができます。

私たちは、これら3つの要素をより見つめ直していくことで、より健康的な組織作りができるのではないかと思います。

参考文献

「告白」(双葉文庫) 湊かなえ

「いじめの構造」(講談社現代新書) 内藤朝雄

「いじめの構造」(新潮社) 森口朗

「教室の悪魔」(ポプラ文庫) 山脇由貴子

「ヒトはなぜヒトをいじめるのか」(講談社) 正高信男