連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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・モラルハザード
・愛着形成
・承認欲求
・信頼関係
・モラル脳
・生殖戦略
・精子競争
・社会構造
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みなさんは、誰かの不倫が気になりますか? 最近、芸能人や政治家たちへの報道によって、不倫はますます注目されています。なぜ不倫をするのでしょうか?
逆に、なぜ不倫をしないのでしょうか? そもそもなぜ不倫は「ある」のでしょうか? だとしたら不倫はして良いのでしょうか? けっきょく、どうすれば良いでしょうか? これらの疑問に答えるため、今回は2014年のドラマ「昼顔」を取り上げます。このドラマの続編は2017年夏に映画として公開されています。
主人公の紗和は、夫と平凡に暮らす結婚5年目の主婦。夫とはセックスレスで子どもはいません。一方、最近、紗和の近所に引っ越してきた利佳子は、裕福な夫と2人の娘と何不自由なく暮らしながら、遊び感覚で不倫を楽しむ人妻です。紗和は、利佳子に仕向けられたこともあって、たまたま知り合った近所の高校教師の裕一朗と惹かれ合いながら、やがて本気の恋愛に発展していきます。裕一朗も結婚2年目で子どもはおらず、いわゆる「ダブル不倫」の関係です。
紗和、利佳子、裕一朗のように、不倫とは、婚姻関係にあるパートナー以外の人とセックスをすることです。ちなみに、浮気とは、婚姻関係だけでなく恋人関係にあるパートナー以外の人とセックスをすることであり、より広い意味合いになります。また、紗和と裕一朗のように恋愛の要素が強い場合は「婚外恋愛」と呼ばれ、利佳子のようにセックスの要素が強い場合は「婚外セックス」と呼ばれることはありますが、セックスをしているという点では、同じく不倫です。
なぜ不倫をするのでしょうか? 彼らを通して、その危険因子を環境因子と個体因子に分けて、整理してみましょう。
(1)不倫の環境因子
不倫の環境因子として、夫婦の片方または両方が離れていることが考えられます。その距離を3つに分けてみましょう。
①物理的に離れている
紗和の夫は、残業や出張を理由に、平日の夜や休日に紗和といっしょにいる時間をあまりつくろうとはしていません。裕一朗の妻は、大学の准教授になるほど仕事熱心で、家事は裕一朗に任せて、裕一朗との時間は二の次になっています。また、紗和がパートの仕事をしているのに対して、利佳子は完全な専業主婦で、平日午後3時から5時の間の時間を持て余しており、自由に使えるお金がある程度あります。
不倫の環境因子の1つ目は、夫婦の物理的な距離です。言い換えれば、夫婦でいっしょにいる時間をつくるのが難しくなっていたり、怠っている状況です。夫の単身赴任、妻の妊娠中の里帰りなどもそうです。
②心理的に離れている
紗和の夫は、紗和よりもペットのハムスターのことばかり気に掛けています。裕一朗の妻は、子作りのタイミングなど自分の考えや気持ちを一方的に伝えるだけで、裕一朗の考えや気持ちを聞こうとはしていません。また、利佳子が紗和に言ったのが「3年も経てば、夫は妻を冷蔵庫同然にしかみなくなる。ドアを開けたらいつでも食べ物が入っていると思っている。壊れたら不便だけど、メンテナンスもしたことがない」というあきらめのセリフです。利佳子と彼女の夫の間にあるのは、信頼関係ではなく、力関係であることが分かります。
不倫の環境因子の2つ目は、夫婦の心理的な距離です。言い換えれば、夫婦がお互いを大事にするのを怠っている状況です。結婚という制度は、簡単には離れられないという安心感が得られる一方、それに甘んじて、結婚生活での相手の不満への歩み寄りを怠ってしまうという倫理的な危うさがあります(モラルハザード)。一方的な経済支援をする利佳子の夫はとても傲慢になり、家事を独占する利佳子はとても堕落しています。
③性的に離れている
紗和の夫は、子どもがいないにもかかわらず、紗和が望んでいないにもかかわらず、紗和を「ママ」と呼び、自分を「パパ」と呼ばせています。また、紗和は姑から急かされたこともあり、子作りをしようと夫を誘いますが、夫は避けています。夫は、「家族になったんだよ」「愛情がないわけではない」ということを強調して、セックスをしない理由付けをしています。毎晩、夫が紗和と手をつないで寝る儀式からほのめかされるのは、紗和は夫の母親代わりの「ママ」として見られていても、もはや女性としては見られていないようです。
不倫の環境因子の3つ目は、夫婦の性的な距離です。言い換えれば、体の温もりや喜びを通して夫婦がお互いを大事にする行為を怠っている状況です。セックスは、単にお互いの性欲を満たすだけでなく、愛情や信頼関係を確かめるための重要なコミュニケーションです。
(2)不倫の個体因子
不倫の個体因子として、夫婦の片方または両方に満たされないものがあることが考えられます。その不足を3つに分けてみましょう。
①性欲が満たされない
利佳子は、出会い系サイトを利用して、不特定多数の男性とセックスを繰り返しています。夫は利佳子に「おれの言うとおりにしてたら間違いない」「おまえはおれの稼ぎで生きている」と言うなど傲慢であり、たとえセックスをしたとしても、利佳子が満たされるセックスにはならなさそうです。
不倫の個体因子の1つ目は、性処理の不足です。言い換えれば、夫婦の性欲に極端な差があることです。例えば、夫婦の力関係などによって、夫のセックスが一方的で妻の性欲が満たされない状況です。または、妻がセックスに淡泊で、夫の性欲が満たされない状況です。特に男性は性欲が満たされない場合、風俗店を利用する風俗不倫が多いです。なお、性欲が強すぎる極端な状態で、社会生活に差し障りがある場合は、セックス依存症と呼ばれます。
②愛情欲求が満たされない
紗和の夫が紗和と夫婦の距離を縮めようとしないのは、そもそも彼の生い立ちに原因があることがほのめかされています。彼の父親もまたかつて不倫をしていて、彼は、母親が嫉妬で嘆き悲しみ、あきらめているのを見てきたのでした。彼には、夫婦としてお互いを大事にするというモデルがそもそもないのです。どうして良いかわからず、結果的に、夫婦関係を深めることを避けてきたのです(愛着回避)。
また、彼は、積極的な女性部下に押されて、紗和と同じく不倫に近い関係に至っています。その女性部下は、「既婚者専門」と言い、言い寄っていくのです。なぜ彼女は「既婚者専門」なのでしょうか? ストーリーの中では明かされていませんが、最初から不倫を望む人の根っこの心理には、他人への不信感と自尊心の低さがあります。つまり、本当は選ばれたいけれど、選ばれないという結果が怖くて(見捨てられ不安)、それを避けるため、最初から選ばれないことを前提にした関係を望んでしまうのです。けれども、やはり選ばれたいという欲求が強くなってしまえば、結果的に相手にのめり込んでしまい、不安定になります(愛着不安定)。
不倫の個体因子の3つ目は、安定した愛着形成の不足です。言い換えれば、特別に相手を選び、特別に自分が選ばれることによって、相手を大事にすると同時に自分が大事にされるという信頼関係を深めることがうまくできず、愛情欲求が満たされない状況です。さらに、最近の研究では、愛着形成のしやすさは、生育環境だけでなく、遺伝的傾向もあることが分かってきています(バソプレシン受容体)。性欲と同じように、愛着形成にも個人差があると言えるでしょう。なお、愛着回避型と愛着不安定型が極端な状態で、社会生活に差し障りがある場合は、それぞれ回避型パーソナリティ障害、境界性パーソナリティ障害(情緒不安定性パーソナリティ障害)と呼ばれます。
③承認欲求が満たされない
利佳子は、「夫が自分を愛していないことを知ってるの」「私のことを見てくれる人がいなきゃ生きてる意味ない」と言っています。彼女は、好き勝手で奔放に見えますが、自分が夫から生身の女性として扱われていないことに寂しさや空しさを感じています。
不倫の個体因子の2つ目は、承認の不足です。言い換えれば、夫が女性としての妻に無関心となり、妻は自分の女性としての価値が認められていない、承認欲求が満たされていない状況です。不倫をすることで、その欲求を満たそうとしたり、紛らわそうとしています。なお、この承認欲求が強すぎる極端な状態で、社会生活に差し障りがある場合は、自己愛性パーソナリティ障害と呼ばれます。
紗和も裕一朗も、不倫の関係になっていることに葛藤し、強い罪悪感にさいなまれています。利佳子も、夫に対しては必死に不倫を隠し通そうとしています。彼らのように、なぜ不倫をしないようにしようとするのでしょうか? そして、不倫をしてしまったら、なぜ隠すのでしょうか?
これまでは、なぜ不倫をするのかという問いへの答えが分かってきました。それでは、逆に、なぜ不倫をしないのでしょうか? そして、なぜ不倫をする人をよく思わないのでしょうか? まとめると、なぜ私たちは一夫一妻制を好むのでしょうか? その答えを、進化生物学的に考えてみましょう。
私たちヒトは、近縁の種であるチンパンジーやゴリラとの共通の祖先から数百万年以上前に分かれて、進化しました。チンパンジーは不特定のオスと不特定のメスが生殖を行う乱婚型(多夫多妻型)に、ゴリラは特定の1頭のオスと特定の複数のメスが生殖を行うハーレム型(一夫多妻型)になりました。その違いの起源は生活環境です。チンパンジーはエサが豊富で密集していたのでオスとメスが出会いやすいのに対して、ゴリラはエサが少なく散在していたので出会いにくいことが考えられています。
そして、ヒトは、特定のオス(男性)と特定のメス(女性)が生殖(セックス)を行う一夫一妻型になりました。その起源は性別分業です。ヒトは、二足歩行をするようになったことで、手が自由になり、食料を余分に運ぶことができるようになりました。そして、男性が食料を調達し、女性がその見返りにセックスを受け入れ、その男性との子どもを育てるという性別で役割を分業するようになりました。これが家族の始まりです。やがて、家族が血縁によっていくつも集まって100人から150人の大家族の村(生活共同体)をつくるようになりました。これが、社会の始まりです。
ここから、家族や社会をつくったヒトの心(脳)の進化の歴史を踏まえて、なぜ不倫をしないのかの問いへの答えを、3つに整理してみましょう。
①夫婦の信頼関係を壊す
紗和の不倫騒動で、夫は、けっきょく「何で一番そばにいる人の気持ちが分からないんだろうな」とつぶやき、離婚を決意します。夫は紗和を信頼できなくなっていたのでした。
不倫をしない理由の1つ目は、夫婦の信頼関係を壊すからです。言い換えれば、夫婦関係を維持するためには、夫婦がお互いとだけセックスするとお互いに信じている必要があるからです。そうしなければ、例えば夫が不倫して別の女性に食料を渡した分、妻の食料の取り分が減り、妻の生存が危うくなります。一方、妻が不倫して別の男性からのセックスを受け入れた分、夫の子どもができる可能性が減り、夫の生殖が危うくなります。
②子どもとの信頼関係を壊す
利佳子が家を出て行ったあと、代わりに家政婦さんが子どもたちのお世話をしています。訪ねてきた紗和に長女は「不倫した人がつくったご飯よりも家政婦さんのご飯の方が100倍おいしい」と叫んでいます。裕一朗の教え子は、ある事件を起こしたきっかけとして「おれ、(不倫の末にいなくなった)母親のことがあるから、大人が薄汚く見えるんだよね」「(捨てられると)生まれちゃった方はいい迷惑なんだよ」と言っています。彼の自尊心は傷付いていました。
不倫をしない2つ目の理由は、子どもとの信頼関係を壊すからです。言い換えれば、子育てに責任を持つためには、父親と母親がはっきりしている必要があるからです。そうしなければ、父親が不倫して別の女性に食料を渡した分、子どもの取り分が減り、子どもの生存が危うくなります。また、母親が不倫して別の男性からのセックスを受け入れた分、父親がはっきりしなくなり、食料が確保できる可能性が減り、子どもの生存が危うくなります。結果的に、紗和の夫や夫の同僚女性のように、その子どもが成長して大人になった時に親と同じように他人と安定した信頼関係を築きにくくなる危うさもあります。
③社会との信頼関係を壊す
裕一朗の上司である校長は「(不倫は)相手の家族に迷惑がかかる」と心配しています。不倫を知った裕一朗の妻が紗和のパート先に不倫の事実をバラしたことで、紗和は職場に居づらくなり、退職を迫られます。
不倫をしない3つ目の理由は、社会との信頼関係を壊すからです。言い換えれば、村の秩序を維持するためには、男性と女性がお互いにセックスする相手を特定している必要があるからです。また、そうするように私たちの心(脳)は進化してきました(モラル脳)。例えば、結婚式という儀式によって、村人たちの前で、夫婦は「永遠の愛」を誓います。自分ではなくても、村の誰かが不倫をしているということを知ったら、とても気になり、好ましくは思いません。そうしなければ、不倫をされた妻の生存が危うくなったり、不倫をされた夫の生殖が危うくなることで、安定した社会の維持が危うくなります。
ただし、例外があります。それは、身内やとても親しい友人が不倫をしている場合です。この時、私たちは、逆に、味方になり応援をすることもあります。そのわけは、身内であれば、自分たちの血縁(遺伝子)がより生き残るように動機付けられるからです。また、親しい友人であれば、不倫への懲罰欲(モラル脳)よりも、友情の心理(これもモラル脳の1つ)が上回るからであると言えるでしょう。