連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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このように、ナラティブセラピーとは、外在化、相対化、アナザーストーリー化によって、自分の人生に意味を見いだすことであると言えます。
なお、ナラティブ(語り)に重点を置いた医療であるナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)が近年注目されています。これは、根拠(主流秩序)に重点を置いた医療であるエビデンス・ベイスト・メディスン(EBM)とは対照的に、本人の人生の意味に重点を置いた医療を行うことです。
それでは、そもそもなぜ人生に意味が「ある」のでしょうか? ここから、人生の意味付けの起源を3つの段階に分けて、進化心理学的に掘り下げてみましょう。
①「人生がある」―概念化
原始の時代から、もともと動物は、その瞬間を本能的に生きており、「人生の意味」どころか、「人生がある」ことにも気付いていません。約700万年前に人類が誕生して、300-400万年前にアフリカの森からサバンナに出た時、助け合い(協力)と競い合い(競争)を同時に行う部族の生活の中で、相手の心を読む、つまり相手の視点に立つ心理を進化させてきました(心の理論)。約20万年前に喉の構造の進化から発語が可能になり、その後、言葉によって自分自身を外から見る視点を持つ思考が可能になりました(メタ認知)。また、過去、現在、未来という言葉によって、時間軸を外から見る視点を持つようにもなりました。
1つ目は、概念化です。概念化によって、人間は自分がいつか死んで人生がなくなる、裏を返せば、今「人生がある」ことに気付くようになりました。
②「人生に意味がある」―宗教
約6万年前に、概念化によって超越的な存在を意識できるようになり、部族の結束やモラルを強める原始宗教が誕生しました。そして、「人間は神のために生きている」「来世のために生きている」との教えが説かれました。
2つ目は、宗教です。宗教によって、「人生に意味がある」ことに気付くようになりました。ただし、その人生の意味は、もっぱら部族(社会)に従属された受動的なものだったでしょう。人生の意味を主体的に考えていたのは、古代ギリシアの哲学者などの一部の人に限られていました。
③「人生に意味があると考えることに意味がある」―心理学
18世紀からの産業革命によって、生産性や効率性などの合理主義や、貨幣経済や民主政治によってはっきり個人を区別する個人主義が世の中に広がっていきました。もはや宗教の教えは不合理であることに気付いてしまいました。そして、個人的な人生の意味を主体的に考えるようになったことで、かえって人生に意味はあるとは限らないことに気付くようになりました(実存的空虚)。すると、がんの告知のように、突然、人生の終わりを告げられるのは、「神の思し召し」として納得できなくなり、「生きている意味が分からない」と訴えるようになりました(実存的苦痛)。
第二次世界大戦後、ユダヤ人で精神科医のフランクルは、強制収容所の体験から、「あなたが人生の意味を問う前に、あなたは人生からその意味を問われている」という考え方(ロゴセラピー)を広めました(フランクル心理学)。これは、外在化を行うナラティブセラピーに通じます。
3つ目は、心理学です。心理学によって、「人生に意味があると考えることに意味がある」ことに気付くようになりました。こうして、ようやく自分で人生の意味付けをする手段を手に入れました。
この映画の構成は、前半が戦前のグイドの恋物語、後半が戦中のグイドの収容所生活でした。実は、後半だけでなく、前半も彼の人生の意味付けは、一貫していることに気付きます。それは、ユーモアによって主流社会(主流秩序)をひっくり返していることです。
例えば、故障したグイドの車が国王のパレードに乱入してしまった時、グイドは国王と見間違われてしまいますが、彼はそのまま国王になりきります。また、グイドはドーラの気を惹きたいあまりに、ドーラの職場である小学校で監査役になりすまし、演説を披露します。さらに、ドーラとファシストとの婚約パーティでは、ドーラが気乗りしない中、グイドが「ユダヤ馬」と落書きされた馬にまたがって登場し、ドーラと駆け落ちしてしまいます。
そして、ラストシーンでグイドは、収容所のドイツ兵に射殺される直前でさえも、ゴミ箱のぞき穴から隠れて見ているジョズエのために、いたずらっ子のようにウインクして、おどけた行進をやってのけます。彼の人生の意味付けは、息子に「それでも人生は美しい」というアナザーストーリーのメッセージを残すことだったのでした。そして、このセリフこそが、このコラムのタイトルの「『こんな人生に意味はない』と嘆かれたら?」という問いへの答えと言えます。
この映画から学べることは、人生は美しいかどうかではなく、人生は美しいと思えるかどうかです。このことに気付いた時、自分の人生を、周りのせいにして「意味がない」と不平不満を言い続けるのか、自分の責任としてそのまま味わい深めていき「美しい」と意味付けるかは、自分次第であると思えるのではないでしょうか?
1)ナラティブ・セラピーの会話術:国重浩一、金子書房、2013
2)ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM):斎藤清二、遠見書房、2016
3)100分de名著「フランクル 夜と霧」:諸富祥彦、NHKテキスト、2013