連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2023年9月号 海外番組「セサミストリート」子どもをバイリンガルにさせようとして落ちる「落とし穴」とは?-言語障害

なんで幼児期からでは早すぎるの?

先ほどの臨界期の違いの研究から、遅くとも3歳から英語教育を始めればバイリンガルになるのでしょうか? 残念ながらなかなかそうはならないようです。なぜでしょうか?

そのヒントは、言葉の学習の許容量です。そもそも敏感期に違いがある原因は、脳がその限られた資源(許容量)の中で、発音→語彙→文法という順番で効率的にエネルギーを注ぐためであるからと考えられています。つまり、言葉の学習において、脳にはもともと許容限度があるからこそ、敏感期が存在すると言い換えられます。敏感期が脳の発達の時期によって時間的に役割分担をしていると考えれば、脳の部位によって空間的に役割分担をしているのが側性化・局在化です。これらは、脳活動の効率化という点では同じです。脳の側性化・局在化にちなんで、敏感期は「脳の時限化」と名付けることができるでしょう。

ちなみに、逆に発音の敏感期が3歳を超えてしばらく続いてしまう幼児は、一見発音の聞き分けの能力がまだ残っていて外国語の発音の学習にはメリットがあるように思われますが、その分その後の語彙や文法の学習が遅れることが分かっています(*1)。

この許容量を踏まえて、ここから英語教育が幼児期からでは早すぎる理由を、限定的にやる場合と本格的にやる場合に分けて、それぞれご説明しましょう。

①英語教育が限定的な場合

これは、最初に触れたように、幼児期から「セサミストリート」のような語学番組を毎日見せて、英語教室に週に何回か通わせることです。これが限定的である理由は、私たちの子どものほとんどは、両親とも日本人で日本に住み、日本語の幼保育園に通っているからです。この状況は、日常的には日本語だけが飛び交っており、自然に英語が耳に入ってくることはほとんどないです。この場合、英語の刺激は、日本語に比べて、せいぜい1、2割でしょう。すると、どうなるでしょうか?

簡単に言うと、英語の刺激が母語の日本語に負けてしまいます。私たちの脳は、できるだけサボって楽をするように最適化されています。英語教材や英語教室などで英語の発音を一時的に覚えてはいても、日常的に使う必要に迫られることはなく、困らないので、記憶の学習があまり進まないのです。

実際に、日本の大学生への調査研究(*1)において、週4時間以下の英語の学習を幼少期(3歳)から小学校までに開始したグループと、中学校(12歳)から開始したグループの発音の聞き分けテストでは、わずかな違いしかないことが判明しています。つまり、幼少期の英語教育が限定的な場合、発音を聞き分けられる効果も限定的になることがわかります。

言葉の学習を胃の栄養吸収に例えるなら、幼少期の消化酵素の量(言語能力)には限界があるため、メインディッシュ(日本語)の吸収に専念して、添え物(英語)まで吸収が回らなくなってしまうというわけです。

時間とお金と労力かけたわりに効果があまり期待できないことから、限定的な英語教育はやるにしても、英語に興味を持たせたり親子で楽しむためと割り切った方が良いことが分かります。

②英語教育が本格的な場合

これは、「セサミストリート」を毎日見せるだけでなく、親が子どもと英語でも会話して、幼児期からインターナショナルプレスクールに通わせることです。もはや英語圏に住んでいるのと同じ状況です。この場合、英語の刺激は、日本語と同等になるでしょう。すると、どうなるでしょうか? 2つの可能性があります。

1つは、期待通り、バイリンガルになります。まさに、帰国子女の人たちが日本語も英語も流暢に話す憧れのイメージです。ただし、実はこれはもともとその子の言語能力が高い場合に限られます

先ほどの胃の栄養吸収に例えるなら、メインディッシュが2つ(日本語と英語の両方)でも、消化酵素の量が多い(もともとの言語能力が高い)ため、2つとも消化吸収できてしまうことです。

もう1つは、不本意ながら、ダブルリミテッドバイリンガルになります。ダブルリミテッドとは、二重に制限されているという意味です。両言語とも、日常生活で使う具体的で実用的な言葉(生活言語)は使いこなせるのですが、抽象的で概念的な言葉(学習言語)は使いこなせなくなります。つまり、生活言語能力(BICS)は習得しているのですが、学習言語能力(CALP)は習得していない状態です。そのため、読解力や作文力が低く、ものごとの仕組みやルールをよく理解できず、将来的に言葉を使いこなす仕事に就くことが難しくなります。以前は、母語も第2言語も中途半端(セミ)な状態から、セミリンガルと呼ばれていました。