連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【3ページ目】2024年3月号 映画「バッド・ジーニアス」学歴社会を引っくり返す!?-「カンニング教育革命」

じゃあなんで学ぶの?

「カンニング教育革命」によって、学歴社会がひっくり返ったあとはどうなるでしょうか? それでも、私たちは勉強するでしょうか? 再び映画のワンシーンから、これからの真の学びのあり方を大きく3つあげてみましょう。

①楽しむ

リンとバンクが早押しクイズ大会に参加して優勝するシーンがあります。彼らは、誇らしげで楽しそうです。

1つ目は、楽しむことです。例えば、たとえ車があっても足の速さはオリンピックなどで突出した身体能力として注目されるのと同じように、AIがあっても頭の良さはクイズ大会などで突出した認知能力として注目されます。もちろん、価値が置かれるのは、あくまでエンターテイメントです。

そして、競技になるのであれば、スポーツにドーピング検査があるのと同じように、クイズ大会会場での「カンニング眼鏡」の取り締まりや通信電波の遮断を徹底するでしょう。参加者は、プロアスリートと同じように「プロ勉強家」と呼ばれるでしょう。

つまり、スポーツをしたり楽器を演奏したりするのと同じように、楽しむために語学や数学の勉強をする人が増えていくことが考えられます。

②答えじゃなくて問いを探す

ラストシーンで、バンクはカンニングビジネスに染まり、新しい計画をリンに持ちかけます。まさに、カンニングビジネスが彼のアイデンティティになってしまっていたのでした。大金とアイデンティティが両方再び得られる点で、リンの答えは決まっているかに思われました。しかし、リンはためらいます。

2つ目は、答えではなく問いを探すことです。もはや必要な答えを出すことは生成AIができてしまいます。生成AIにできなくて人にできることは、ものごとに疑問を感じることです。人から教えられたことを鵜吞みにせず、社会で当然とされている前提を疑うことです。そこから、自分は本当に何を学びたいか、もっと言えば、自分はどう生きるか、これで幸せかどうか、そして人はどこに向かっていくのかを問い続けるのです。

つまり、学ぶとは、答えを得るという結果ではなく、問い続けるというプロセスに重きが置かれるようになります。これは、知的好奇心を追い求める従来の学者の姿勢です。この点で、学歴社会がひっくり返ったからと言って、学問自体がなくなるわけではないです。むしろ、学問が学歴に利用されることがなくなり、より純粋に学びたいことを学ぶ人が増えるでしょう。一方で、学びたくない人は学ばなくなるでしょう。ちょうど、運動したくない人がいるのと同じように、本人の生き方の問題になるわけです。

③自分なりの答えを出す

リンが断ろうとすると、バンクはカンニングビジネスの首謀者だったことをバラすと脅します。彼から「おまえの決断次第だ」と言われたリンは、「そうね、私次第ね」と最後は微笑み、なんと自分がやってきたカンニングビジネスについてメディアに告白するのです。彼女らしい行動です。その告白の内容は、自分の言葉で語られる真実であり、試験の正解ではありません。

3つ目は、自分なりの答えを出すことです。生成AIが模範解答を瞬時に教えてくれる時代、求められるのは、1つの模範解答をなるべく速く出すことではなくなります。それは、その人の経験と結びついたオリジナルの答えをじっくり出すことです。学校の課題レポートもそうなっていくでしょう。それが、その人の魅力になるでしょう。これは、学歴社会とは真逆の価値観です。

なお、その人なりの言葉で語られることは、「ポスト真実」という昨今の情報コミュニケーションのあり方や、「ナラティブセラピー」という心理カウンセリングにも通じます。これらの詳細については、以下の記事をご覧ください。


>>【ポスト真実】


>>【ナラティブセラピー】

学歴社会がひっくり返った先にある社会とは?

「カンニング教育革命」によって学歴社会がひっくり返った先にある社会とは、どのようなものでしょうか? ここで、平等を「機会の平等」と「結果の平等」に分け、それぞれを縦軸と横軸にして、グラフ化します。そして、社会のタイプを4つに分けて、公平という視点で望ましい社会を考えてみましょう。

なお、この分類の仕方は、子育てタイプの分類にも重なります。この詳細については、以下の記事をご覧ください。


>>【子育てのタイプ】

★グラフ3 社会のタイプ

①身分社会

1つ目は、身分社会(アリストクラシー)です。これは、生まれた身分による明らかな差別があり、教育を受ける機会がありません。貧富の差(収入格差)もはっきりしています。機会の平等も結果の平等もありません。このような社会はもちろん不公平で、私たちは決して望まないでしょう。

しかし、AIに依存する未来の社会では、ごく一部のAIの管理者が社会システムをコントロールして、新たな身分社会をつくる可能性があります。

②学歴社会

2つ目は、学歴社会(メリトクラシー)です。これは、先ほど日本の戦後の「教育の平等」で触れたように、教育の機会については平等です。しかし、その分収入格差が広がることを良しとしてしまっている点で、結果の平等はありません。けっきょく遺伝という「生まれ」によって新たな身分社会をつくっていることになり、公平とは言えません。だからこそ、革命が起きるとも言えるでしょう。

ただし、すでに既得権のあるエリート層や受験ビジネスの関係者たちがあの手この手で学歴社会を維持しようとするかもしれません。実際に、日本では今のところ、カンニングは偽計業務妨害罪(刑法第233条)に当たり、軽犯罪です。一方、中国では、大学入試の当日には受験会場の敷地の通信電波がすべて遮断され、カンニング行為には有期刑が課されるなど、取り締まりが徹底されています。それほど、カンニングが国家体制(学歴社会)を揺るがすものであると認識されています。

③共産主義社会

3つ目は、共産主義社会です。これは、貧富の差をなくすことを徹底するため、結果(収入)については平等です。しかし、がんばっても(能力を発揮しても)、収入が増えない点では不公平です。そうなると、機会の平等は、どうでもよくなります。

がんばってもがんばらなくても変わらないので、仕事をする気が失せて生産性が落ち、国の経済力は高まりません。これは、歴史が証明しています。さらに、一部のエリート層が私腹を肥やし、けっきょくステルスの身分社会になっていました。

④真の民主社会

4つ目は、真の民主社会(デモクラシー)です。これは、教育などの機会の平等を保ちつつ、収入格差を小さくするよう調整して、結果もある程度平等にすることです。これは、能力(遺伝)の違いを認めつつも、その結果が大きな不平等にも完全な平等にもならないようにバランスを取ることです。これが、公平です。先ほどにも触れたように、すでに北欧諸国がこのような社会を目指しています。

進化心理の視点に立てば、この公平さは、原始の時代の部族社会のあり方にも重なります。例えば、獲物を捕まえた人は、その能力があるからと言ってその肉を独り占めせず、部族の仲間に公平に分け与えていました。人類は数百年万年という気の遠くなる期間を、部族でこのやり方を貫くことで生き延び、子孫を残してきました。その心を受け継いだのが現代の私たちです。だからこそ、このような社会を望ましいと思うのです。

なお、人類が公平さを好む心理メカニズムは、先ほどご紹介したゲーム理論の「しっぺ返し戦略」を含む様々な心理実験で確かめられています。

再び「バッド・ジーニアス」とは?

「カンニング教育革命」によって学歴社会がひっくり返った未来の社会に思いを馳せました。学歴社会の不公平さに気づいた今、映画のタイトルの「バッド・ジーニアス」とは、リンやバンクのようにカンニングによって学歴社会を出し抜く側の人間ではなく、実は学歴社会を頑なに守ろうとする側の人間であるように思えてくるのではないでしょうか? そして、今後にAIで社会を支配しようともくろむ人間であるようにも思えてくるのではないでしょうか?

参考文献

*1 「中国の入試「カンニング」驚愕のハイテク化実態」:浦上早苗、東洋経済オンライン、2022
*2「時差利用してSAT試験で不正、江南語学院の講師摘発」:東亜日報、2010
*3 「変動する大学入試」P195:伊藤実歩子、大修館書店、2020
*4 「実力も運のうち 能力主義は正義か?」P21:マイケル・サンデル、早川書房、2023
*5 「脳科学的に正しい一流の子育てQ&A」P43:西剛志、ダイヤモンド社、2019
*6 「教育と平等」P241:苅谷 剛彦、中公新書、2009
*7 「日本人の9割が知らない遺伝の真実」P81、P106:安藤寿康、SB新書、2016
*8 「教育は何を評価してきたのか」P10、P8:本田由紀、岩波新書、2020