連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2024年3月号 映画「バッド・ジーニアス」学歴社会を引っくり返す!?-「カンニング教育革命」

学歴社会はどうなっていくの?

リンは、カンニングプロジェクトを進めるために、もう1人優秀な生徒、バンクを引き込みます。彼もまた、母子家庭で決して裕福ではなく、家業を継がなければならない状況に追い込まれていました。リンは、「私たちは生まれながらの負け犬」「こっちが騙さなきゃ、世間に騙されるわ」と言い放ちます。身勝手な理屈ですが、不遇な彼にとっては殺し文句だったのでした。

リンの言う「生まれながらの負け犬」とは、生まれながらの貧富による格差社会で搾取される側を意味しています。どんなに勉強ができてもお金がないために進学できない状況で、彼女は学力と悪知恵(カンニングビジネス)によってそこから抜け出し、学歴社会で成り上がろうとしているわけです。

ただし、先ほど触れたように今後にカンニングがもはや取り締まれなくなったら、その学歴社会はどうなっていくのでしょうか?

ここから、文化進化の視点から、学歴社会(学校)の起源を掘り下げ、現在の問題点を浮き彫りにし、その未来を予測してみましょう。

①身分社会と違って公平に?-起源

約5千年前に、西アジアの都市で文字が発明され、家畜などの数の情報管理が可能になり、ますます都市化していきました。これが、読み書きの起源です。この詳細については、以下の記事をご覧ください。


>>【読み書きの起源】

当時から、読み書きを次世代に教える場所が町に設けられました。これが、学校の起源です。そして、読み書きを学校で学んだ人が、そのままその能力を発揮する仕事(特権階級)に就きました。しかし、学校に行ける人は、そもそも一部の特権階級の子女に限られていました。

時代は進み、約200年前の産業革命以降、読み書き(計算も加わり)が職業的により多くの人に必要とされるようになったため、学校がどんどん増えていき、学校に行ける人もどんどん増えていきました。日本でも、江戸時代に寺子屋がありましたが、明治維新から学校制度が始まりました。そして、どこまで進学したか、つまりどれだけ能力があるかによって社会的地位(階級)が変わるようになりました。

特に戦後の日本では、教育の平等の名のもと、学習指導要領、検定教科書、同年齢同学年(学級固定化)の徹底によって、教育の内容が高度に標準化されるようになりました。こうして、学力の地域差を少なくするという成果をあげることができました(*6)。

同時に、それでも能力に違いが出る場合は、それぞれの努力に違いがあるからだと考えられるようになりました。

このように本人の努力によって能力が高まるとされる点で、このやり方は、生まれながらの身分社会(アリストクラシー)と違って公平であるとして受け入れられるようになりました。これが、学歴社会(能力主義、メリトクラシー)の起源です。

②けっきょく新たな「身分社会」に?-現在の問題点

先ほどの裏を返せば、学歴がない、つまり能力が低いのは本人の努力が足りずに頭を良くすることができなかったということになります。現在、この考え方が主流になっています。そして、能力の高い人たちが能力の低い人たちよりも、より多くの収入を得ることは当然とされています。そして、その収入格差はますます大きくなっています。それでも、能力の低い人たちは努力不足というコンプレックスを植え付けられ卑屈にさせられているため、目立って抵抗できません。できるとしたら、代わりに自分の子どもの学歴を高くさせようと必死になることでしょう。

特に日本では、その努力が、学校だけでなく塾にも通うことになっています。塾に行かせられる経済力のある家庭環境かそうじゃないかという教育格差の議論は、また別にあります。

しかし、行動遺伝学の研究によると、努力(性格)も頭の良さ(知能)も、もともとの生まれ持った資質(遺伝)が約50%程度影響していることが分かっています(*7)。そして、グラフ1のように、収入への遺伝の影響度は、入職時から上積みされていき40歳代には約60%近くに達することが分かっています(*7)。一方で、収入への家庭環境の影響度、つまり教育格差は逆に目減りしていき40歳代にはほぼ0%になることから、教育格差は最終的には問題ではないことも分かります。ちなみに、国際比較すると、日本における教育格差は凡庸な水準です(*8)。

★グラフ1 男性の収入への影響度

一番問題なのは、遺伝という「生まれ」によって社会に格差を生み出していることです。この点では、学歴社会も公平であるとは言えず、けっきょく新たな「身分社会」をつくっていることになります。これが、現在の問題点です。そして、これは「遺伝格差」と言い換えることができます。

なお、教育格差と遺伝格差の詳細については、以下の記事をご覧ください。


>>【教育格差と遺伝格差】

つまり、試験は、かつては測った能力によって順当に社会的役割を割り当てる手段であったはずなのに、現在では逆に社会的地位を分け隔てるために不当に能力(遺伝)の違いを見いだす目的そのものになってしまったのです。これは、よくある「手段の目的化」です。簡単に言うと、能力があるから試験で選ばれるのではなく、試験で選ばれるから能力があるとみなされるようになったのです。

文化進化の視点に立てば、この社会構造(環境)の変化によって、先ほど触れた「勉強しかできない人(遺伝子)」が現れるようになったのでしょう。この変化の期間は、産業革命から約200年間であり、遺伝子進化の歴史としてはかなり短いです。しかし、この環境の変化は劇的であることから、より適応的な遺伝子(より勉強ができる人)が急速に選択されていった(結婚相手に選ばれていった)と考えられます。これは、ここ100年で知能検査が改定されるたびに知能指数が相対的に上がり続けている現象(フリン効果)を説明することができます。ちなみに、知能検査についても、能力の違いによって知能指数に違いが出るのではなく、知能指数に意図的につくった違い(正規分布)によって能力に違いがあるとみなしています

なお、学歴への選り好みの心理の詳細については、以下の記事をご覧ください。


>>【学歴への選り好みの心理】

③カンニングが革命に?-未来

不公平かどうかは置いておいて、学歴社会は国力を高めるために必要であると考える人は多いです。国民の学力(認知能力)が高まれば高まるほど国の経済力がますます高まるという考え方です。実は、厳密には違います。

確かに、現在まで日本のPISA(国際学習到達度調査)の成績はトップレベルを維持しており、GDP(国内総生産)もトップレベルを維持してます。しかし、GDPのトップであるアメリカのPISAの成績は決してトップレベルではありません。GDPで2位の中国のPISAの成績(2018年)は、確かにトップレベルなのですが、北京などの大都市に絞り農村部を除いている点で、いかにも面子を重んじる中国ならではの結果です。また、1人あたりGDPとしてみると、アメリカは10位内で良いのですが、なんと日本は世界ランキング30位台で、中国は50位圏外です。

むしろ、アメリカ、中国、日本に共通するのは、先進国の中で格差の度合い(ジニ係数)が大きいことです(*8)。

このことから、かつての身分社会にしても現在の学歴社会にしても、結果的に搾取するシステムを先鋭化させて格差を大きくした方が、その国の経済力が高まることが分かります。

例えば、中国はコネ社会(身分社会)と学歴社会の要素が両方あります。アメリカも実は日本以上に学歴社会です。アメリカが「自由の国」であるというのは昔話であり、学歴という「身分」を得ることができなければ搾取される「自己責任の国」になっています。

逆に、北欧のように格差の小さい社会を目指そうとしたら、経済力はそこまで高まらず、国際競争力は期待できないというジレンマはあります。このわけは、格差の大きい社会と格差の小さい社会をそれぞれゲーム理論の「主人と奴隷戦略」「しっぺ返し戦略」に当てはめて説明することができます。


>>【主人と奴隷戦略としっぺ返し戦略】

つまり、学歴(認知能力)は先進国になるためにある程度必要ですが、学歴を高めれば高めるほど、その分仕事がよりできる(経済力がより高まる)ようになるわけではないです。特に日本における高度な受験勉強が、その後の一般の仕事や日常生活に役立つことがほとんどないことは、受験勉強をした多くの人がすでに気づいていることでしょう。受験勉強がその後の人生に役立つと主張する人は、実は教育ビジネスに携わる人だけでしょう。

学歴社会が公平であるということも経済力を高めるということも見せかけで、その実態は不公平(格差)を生み出す装置になり下がっていることが分かりました。そんな学歴社会をひっくり返すのが、なんとカンニングです。現在、生成AIの登場によって、今ある多くの認知能力を必要とする仕事は将来なくなっていくことが予測されています。それでは、残った仕事の取り合いのために、学歴社会がより熾烈になるでしょうか?

むしろ、残った仕事は、学歴で求められるような認知能力を必要としません。仮にそれでもあえて学歴が求められたとしても、生成AIを利用した「カンニング眼鏡」が出回れば、受験生全員が単独犯でほぼ満点の答案を作成することができるようになります。すでに、生成AIを利用した学校の課題レポートの作成が急速に広まっています。もはやカンニングが取り締まれなくなる状況は、すぐそこまで来ています。

もちろん、生成AIを使いこなす認知能力は必要ですが、認知能力そのものを高める必要はなくなります。これはちょうど、サバンナで猛獣と戦うために、原始の時代は身体能力を高める必要がありましたが、現代では身体能力そのものを高める必要はなく、銃と車を使いこなす能力があれば十分であるのと同じです。

つまり、カンニングが学歴社会に革命を起こすと言えます。そうなれば、学歴に価値がそこまでなくなります。スポーツや楽器演奏が得意であるのと同じレベルになります。そして、学校は、それ自体に権威がなくなり、もはや役所や公園と同じようなただの社会の機能の1つにすぎなくなるでしょう。すると、最終的にはカンニングをする必要すらなくなります。

これは、学歴社会、学校の歴史の1つの転換期と見ることができます。この時、真の教育のあり方が問われます。これは、「カンニング教育革命」と名付けることができます。

★グラフ2 学歴社会の起源