連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2024年7月号 昔話「うらしまたろう」【その1】なんでおじいさんにならなければならなかったの?なんで数百年経っていたの?-伝承の心理


②なんで乙姫は開けてはいけない玉手箱を渡したの?

先ほどご紹介した「御伽草子」のもとになったのは、さらに遡って8世紀の奈良時代に書かれた「丹後国風土記」(*2)(*3)(*4)などです。次は、「御伽草子」←「丹後国風土記」として、その明らかな変化を具体的にあげてみましょう。

・「昔、丹後国に浦島太郎という漁師がいた」

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「雄略天皇の御代、丹後国の与謝郡、日置の里、筒川の村に、日下部氏の祖先にあたる、浦嶋子(うらしまこ)という美男子がいた」

・「竜宮城の乙姫がやってきて、竜宮城に招いた」

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「天上の仙人(神)の家の神女(しんにょ)がやってきて、蓬莱山に招いた(竜宮城は登場しない)」

・「玉手箱は形見で、開けてはいけません」

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「玉匣(たまくしげ)(化粧箱)は私(神女)のもとに戻って来るためのものなので、開けてはいけません」

・「玉手箱を開けると、煙が出てきて、浦島太郎は老人になった」

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「玉匣を開けると、香しい神女の煙が出てきて、天上へと消えていった(浦島太郎は老人にならない)」

以上の変化から分かることは、玉手箱を開けてはいけませんと言った明確な理由があったことです。そして、架空の名称を用いたファンタジーは、もともと具体的な時代、場所、人物が特定された実在の名称による言い伝え(伝説)から作り変えられたものだったということです。

例えば、「美男子」という描写は高貴な人を連想することからも、浦島太郎は平民ではなく、丹後国の身分の高い人(王族)であったことが示唆されます。また、蓬莱山は、確かに神仙思想上の架空の地名ですが、古代中国に実在した秦始皇碣石宮などの海上宮殿がモチーフになっている可能性が指摘されています(*1)。ちなみに、現在、その海上宮殿の石碑までの途中の航路の近くに、蓬莱(ポンライ)という地名があります(1*)。「天上の仙人(神)の家」と表現されたのは、当時の中国のその地域の文明が、丹後国と比べものにならないほど進んでいたからでしょう。つまり、以下のような解釈ができます。

・丹後国という海洋国家の王族(浦島太郎)は、中国の文明が進んだある海岸地域(蓬莱山)と交易をして、現地で高貴な女性(乙姫)を妻としてもうけた。

・何年かして帰国する時、その妻の高価な持ち物(玉手箱)を、再入国のための「通行証」として受け取った。

・しかし、帰国してみると丹後国は衰退しており、再び妻のもとへ行くことができないと悟ったその王族はやけになり、その「通行証」を無効にした(玉手箱を開けた)。

つまり、乙姫が玉手箱を開けてはいけませんと言ったのは、厳封された通行証の役割を果たしていたからです。当時、写真は当然なく、文字(漢字)もまだ十分に伝わっていないとしたら真の通行証はないわけで、自分が何者で誰と関係があるかは持ち物(匂いを含む)で証明するしかなかったでしょう。

最後に出てきた煙は、化粧箱(玉手箱)から舞い上がった化粧の粉であり、その匂いがその王族に妻を思い出させ、煙が妻の姿のように見えただけ(フラッシュバック)だったと解釈すれば、極めて現実的です。

なお、当時に伝わった神仙思想を踏まえると、玉手箱は開けたら壊れる魔法の道具で、最後に出てきた煙は乙姫の分身で、浦島太郎が竜宮城に戻りたいと願った時にその分身が何らかの方法で浦島太郎を導くはずだったとも解釈できます。

けっきょく、開けない理由が抜け落ちた不可解なセリフが後世に伝わったことで、乙姫のキャラクター自体もますますファンタジックになってしまったのでした。