連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【1ページ目】2024年7月号 昔話「うらしまたろう」【その1】なんでおじいさんにならなければならなかったの?なんで数百年経っていたの?-伝承の心理

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・伝承
・訓話(説教)
・ラブストーリー
・ファンタジー
・言い伝え(伝説)
・隠喩
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浦島太郎と言えば、日本人の誰もが知っている昔話ですよね。ただ、他の昔話と違って、エンディングが理不尽すぎて奇妙に思ったことはありませんか? なぜおじいさんにならなければならなかったのでしょうか? なぜ乙姫は開けてはいけない玉手箱をわざわざ渡したのでしょうか? そして、なぜ帰ってきたら数百年という途方もない年月が経っていたのでしょうか? 仮に数百年経っていたとして、なぜ後世の人がただの村人の行方不明を覚えていたのでしょうか? このストーリーには何かが隠されていないでしょうか?

今回は昔話「浦島太郎」を取り上げ、伝承の心理の視点から、これらの謎を解き明かします。

浦島太郎の3つの謎とは?

実は浦島太郎のストーリーは、時代の流れによって何度も作り変えられてきました。まず、それぞれの時代背景から、3つの謎を紐解いてみましょう。

①なんでおじいさんになっちゃったの?

現在の浦島太郎は、19世紀末の明治時代に作られた「日本昔話」がもとになっています。これが当時に小学校の国語の教科書に採用されたことでほぼすべての国民に広まりました。さらに遡ると、「日本昔話」のもとになったのは、14世紀頃の室町時代から続く「御伽草子」(*1)です。まずは、「日本昔話」←「御伽草子」として、その明らかな変化を具体的にあげてみましょう。

・「浦島太郎が子どもたちにいじめられていた亀を助けた」

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「浦島太郎が釣り上げた亀を逃がした」

・「戻ってきた亀が恩返しとして浦島太郎を背に乗せて海底の竜宮城に案内した」

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「海で遭難したとの口実で乙姫(後で正体が助けられた亀だと明かす)が近づいてきて助けを求め、浦島太郎に故郷(竜宮城)まで連れて帰ってもらった」

・「竜宮城で宴を楽しんだ」

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「乙姫と夫婦の契りを交わした(セックスした)」

・「乙姫から『開けてはいけません』とだけ言われて玉手箱をお土産として渡された」

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「乙姫から『私だと思って受け取って。でも開けてはいけません』と言われて玉手箱を乙姫の形見として渡された」

・「浦島太郎が玉手箱をつい開けると老人になり絶望した」

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「実は玉手箱には浦島太郎の年齢が詰め込まれており、浦島太郎は老人になったあと、鶴になり蓬莱山(不老不死の世界)に飛び立ち、亀になった乙姫と再び結ばれた」

以上の変化から分かるのは、実はおじいさんになったあとの続きがあったことです。そして、子ども向けのバッドエンドな訓話(説教)は、もともと大人向けのハッピーエンドなラブストーリーから意図的に作り変えられたものだったということです。あの封建的な明治の国定教科書に採用されるほど道徳的な要素を取り入れ、逆に恋愛の要素をすべて取り除いているので、つじつまが合わなくなり、はっきり言えば話の展開としては破綻しています。しかし、もともとの知名度とあいまって、その不可解さ、シュールさが結果的に多くの人の心をさらにつかむという奇跡を起こしています。

つまり、浦島太郎がおじいさんになったのは、平民が目上のお姫様の言いつけを守らなかった罰ではなく、対等な夫婦として不老不死の世界に行くために仙人に姿形を変える演出であったということです。これは、もともと中国からの神仙思想が色濃く反映されています。