連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【3ページ目】2024年7月号 昔話「うらしまたろう」【その1】なんでおじいさんにならなければならなかったの?なんで数百年経っていたの?-伝承の心理


③なんで帰ってきたら数百年経っていたの?

先ほどご紹介した丹後国風土記は、もともと実際の話の言い伝えであることが分かったわけですが、まだ謎が残っています。それは、やはり帰ってきたら300年経っていたことです。

1つの解釈としては、「雄略天皇の御代」(5世紀)から丹後国風土記の完成時期(8世紀)までちょうど300年であり、作者がつじつまを合わせている可能性です。ちなみに、さらに時代が進んだ御伽草子では、「300年後」ではなく「700年後」に書き換えられており、当時の作者が計算してつじつまを合わせようとしていることがうかがえます。

しかし、正史なら歴史書の改変は理解できますが、丹後国風土記は史実の記録であるはずです。わざわざ「300年後」と書いてあることには意味があるのではないでしょうか?

この謎のヒントが、さらに遡って2~3世紀頃の弥生時代末期に書かれた「魏志倭人伝」にありました(*1)。

・「・・・東南方向に百里行った場所の奴国(北九州)に、官名を『シマコ(兕馬觚)』と呼び・・・」

この一文から分かるのは、「シマコ」と呼ばれる官名(役職名)があったことです。そして、この官名は、当時のヤマト王権が海外との交易のために設置した地方官の1つと考えられています(*4)。つまり、神官や武官と同じように、「シマコ」官は、当時から丹後国にもいた可能性が十分に考えられ、浦嶋子(浦島太郎)につながります。そして、「シマコ」官は、丹後国で代々引き継がれていたでしょう。

つまり、「シマコ」(浦島太郎)とは1人の人物ではなく丹後国を代表する組織の隠喩であった、そして浦島太郎のストーリーとは丹後国の繁栄と衰退の壮大な歴史(史実)を潜ませた隠喩であったことが示唆されます。これが、帰ってきたら数百年経っていた理由です。そして、最初に触れた浦島太郎に隠されたメッセージです。だからこそ、浦島太郎が300年後に帰ってきて、その名前を憶えていた村人(後世の人)がいたという設定が成り立つのです。文字(漢字)の普及がままならない当時に、数百年前の1人の人物の名前、ましてやただの漁師の行方不明を憶えているわけがありません。

以上より、「雄略天皇の御代」(5世紀)とは、浦島太郎が船出した時期ではなく、帰ってきた時期だったことになります。つまり、 丹後国風土記の「300年」とは、5世紀から8世紀ではなく、2世紀から5世紀であったということです。

なお、古墳などの調査による考古学的な視点からも、2世紀から5世紀までは丹後国が王国として存在していた時期であり、一致します。実際に、当時の中国からの交易の品として、ガラス細工などが古墳から出土しています。これらの隠喩が「玉手箱」とも言えそうです。そして、交易の相手(パートナーシップ)の隠喩が「竜宮城の乙姫」とも言えそうです。

★表1 浦島太郎の起源


>>【その2】隠された陰謀とは? そして精神医学的に解釈するなら?-シン浦島太郎

参考文献

*1 「仮面をとった浦島太郎」P89、P106、P147、P187、P230:高橋大輔、朝日文庫、2022
*2 「浦島太郎はどこへ行ったのか」P24、P135:高橋大輔、新潮社、2005
*3 「よみがえる浦島伝説」P31:坂田千鶴子、新潮社、2001
*4 「桃太郎と邪馬台国」P201:前田晴人、講談社現代新書、2004