【3ページ目】2011年 ドラマ「僕の生きる道」自己成長とは?

ディグニティセラピー―自分の人生を尊厳あるものに

秀雄は、余命1年と言われてから、ビデオ日記をつけていました。その理由は、「(今までの)僕が歩いてきた道には、足跡が付いていないような気がしたから」でした。しかし、その後、途中でビデオ日記をつけるのをやめてしまいます。その理由は、彼は、教師として生徒たちに自分の精一杯の思いを伝えて、自分の「足跡」を残すことができていると確信したからでした。彼は主治医に「合唱を通じて生徒に伝えたいことがある」と言い、生徒たちに「高校生である君たちが、今、歩いている道にしっかりと足跡をつけてほしい」と呼びかけています。  また、秀雄は、みどりとの結婚式の写真を全く撮らないようにしました。その理由を「今、この瞬間の出来事が、いつか過去になってしまうと思いたくなかった」「今この瞬間を生きるほうが大事」と言っています。これは、自分が写真に残らないことで、みどりが再婚しやすくなるようにとの秀雄の配慮でもありました。  人の尊厳は、究極のところ、人生にどういう意味を見出すかということです。そして、多くの人は自分の何かが誰かに受け継がれ、生き続けることを望んでいます。秀雄は、写真などの媒体ではなく、教え子たちにすでに自分のありのままの思いを伝えていくことで、自分の生きる意味を彼なりに見出すことができていました。多くの人は、なかなか秀雄のように伝えることができる恵まれた立場にいるわけではないです。最近では、家族や親しい友人へのメッセージとして、「最も誇りに思っていること」「大切な人に伝えたいこと」について本人の生前のインタビューを編集して文書に残す取り組み(ディグニティセラピー)も行われるようになってきています。

死生観―つながっていた人への温かみ

死生観―つながっていた人への温かみ

いよいよ命の期限が近付いている中、みどりは秀雄に訊ねます。「(死後)どうしても秀雄さんに会いたくなったら、どうすればいいんだろう」と。秀雄は、「プロポーズした大きな木のある所に来てください」「必ず僕は会いに行きますから」と約束します。これは、亡くなった人との心を通わせる場の設定です。その場は、遺された人の心のよりどころとなります。秀雄は死に臨んで、死生観が研ぎ澄まされていたのです。この逝った人が遺された人たちを見守り続けるという守護霊の発想は、自分のつながっていた人やコミュニティ(地域や職場なの自分が属する集団)への温かみに溢れており、遺された人たちに安らぎを与えます。集団主義の強い日本人の多くが共感する死生観です。自分が天国に召されるかどうかに重きを置く西欧の個人主義の死生観とは対照的です。

自我統合感―人生は自分なりにやり尽くした

自我統合感―人生は自分なりにやり尽くした

そして、とうとう合唱コンクールの当日、「僕は最後まで生きたいんです」と言い、入院中の病院からの外出を願い出ます。しかし、主治医は心の中とは裏腹に、許可できないと言い張ります。秀雄は、「(コンクールを見届けないと)僕にとって生きたとは言えません」と言い、こっそり病院を抜け出し、みどりに支えられながら会場にぎりぎり駆けつけるのでした。 実際の臨床の現場では、ほぼ外出許可が出ると思われます。ターミナルケア(終末期医療)においては、命を縮めるリスクがあったとしても、現在ではQOL(人生の質)の方が重視されるからです。よくあるのが、「今生の思い出に海を見たい」という希望を叶えてあげることです。  会場で、教え子たちの歌声を聞き終えた秀雄は穏やかに言って息を引き取ります。「今では、後悔したはずの28年間が、とても愛おしく感じます」「ダメな人生だったんですけど、とても愛おしいです」と。彼は、みどりがいっしょにいてくれたかけがえのない、世界にひとつだけの人生を生き抜いたのでした。今を前向きに生きているからこそ、かつて悔んだ28年間の過去も愛おしくなります。彼は、人生は自分なりにやり尽くしたと感じていたのでした(自我統合感)。  実際に、このような感覚を研ぎ澄ます取り組みとして、回想法(ライフレビューインタビュー)があります。これは、高齢者や終末期がん患者に「人生で重要なこと」「印象深い思い出」「人生の分岐点」などを問うことで、現在の自分をより肯定的に受け入れるようになること(人生の再統合)で、デグニティセラピーに通じるものがあります。

生きた証―思いをつなぎ続けるリレー

秀雄が亡くなって5年後、学校に新任の生物教師がやってきました。それは、何とかつての秀雄の教え子だった吉田でした。彼は、かつて久保に「絶対に官僚にならなきゃいけないんです」と勉強一筋で張り詰めてしまい、秀雄のやり方を否定していました。久保から「へぇ。なりたいんじゃなくて、ならなきゃいけないんだ」と突っ込まれたこともありました。ちなみに、これは吉田に自分自身の心の声を聴くよう仕向けた問いかけ(ロジャースのクライエント中心療法)です。だからこそ、秀雄が内実、一番気に掛けていた生徒でもありました。秀雄が合唱をやろうと言い出したのも実は吉田がきっかけだったのでした。秀雄が指揮者をできなくなった後に、代わりの指揮に託したのも、吉田でした。そんな吉田が、初めての授業で生徒に伝えたのは、かつて秀雄が吉田たちに伝えたあの「読まなかった本」でした。こうして、彼は秀雄の思いを受け継いでいくのでした。そして、また新たな芽となって次の生徒たちの中で生き続け、そして、受け継がれていくことを予感させます。  人は、もちろん子どもを授かって自分の血が受け継がれていくこと強く望みます。しかし、同時に、もしかしたらそれ以上に、自分の思いが受け継がれることも望んでいるのではないでしょうか?人は、他の全ての動物とは違い、命を運ぶ単なる「器」ではなく、命と同時に思いをつなぎ続ける「リレー選手」なのです。その思いとは、人だからこそ持っている豊かな文化であり、進歩し続ける文明なのです。逆に、進化論的に言えば、思いをつなぐことを望まない遺伝子は、文化や文明を発展させることはないわけで、はるか昔に自然淘汰されてしまったのではないでしょうか。つまり、私たちがリレーする思いのバトンタッチは、科学的に言えば、遺伝子にプログラムされています。そして、文学的に言えば運命付けられており、宗教的に言えば神の思し召し通りということになります。そして、それが結果的に「足跡」としてその人の生きた証となり、つながれたバトンは遺された誰かのためになっていくのです。

シネマセラピー

秀雄にとっての「僕の生きる道」は「僕たちみんな人類の生きる道」の一部に確実になっていることに私たちは気付きます。そして、リレー選手として「僕の生きる道」を完走できた秀雄の喜びが最後に伝わってきます。 私たちが、秀雄の目を通して死を目の当たりにすることで、今生きているという当たり前なことを特別ことに感じることができれば、私たちも秀雄と同じように、より良い自己成長をしていくことができるのではないでしょうか?

参考文献

「僕の生きる道」(角川文庫) 橋部敦子
「精神腫瘍学クイックリファレンス」(創造出版)
「自己成長の心理学」(コスモスイブラリー) 諸富祥彦
「ナラティブアプローチ (勁草書房) 野口裕二
「ナラティブセラピー」(金剛出版) アリス・モーガン
「ディグニティセラピー」(金剛出版) 小森康永
「死生学」(東京大学出版会) 小佐野重利
「コンセンサス癌治療」(へるす出版)  小川朝生、内富康介