【1ページ目】2011年 映画「私は『うつ依存症』の女」情緒不安定性パーソナリティ障害

毎日がジェットコースター


この映画は、もともと原作者の自伝的小説を映画化したもので、実話に基づいているだけに、主人公とその母親の暴力的なまでの心の揺れが生々しく痛々しく描かれており、見ている私たちはその迫真の演技に引き込まれていきます。主人公にとってはまさに毎日がジェットコースターであり生きるか死ぬかの極限にいるのです。そんな主人公が思春期を生き抜いた80年代をこの映画は忠実に再現しており、バックに流れる当時流行したメロディも感傷的です。

主人公の心の揺れは、情緒不安定性パーソナリティ障害によるもので、この映画はその特徴やメカニズムを忠実に分かりやすく描いています。今回は、この映画を通して、この障害の理解をみなさんといっしょに深めていきたいと思います。

逸脱行動―自分を大切にできない


主人公のリジーは、2歳の時に両親が離婚してから、その後は母親と2人で暮らしていました。教育熱心な母親は、子育てを一生懸命にやり抜き、そして、晴れてリジーを念願であったハーバード大に入学させることに成功しました。そして、リジーに言います。「あなたは自慢の娘よ」と。まさに理想の娘、優等生の良い子です。リジーも不安な面持ちを見せながらもまんざらでもない様子です。入学後、大学の授業に真面目に参加して、学生寮のルームメイトと親友になり、彼氏もできて、パーティではしゃぎ、そして音楽雑誌のジャーナリズム大賞を受賞するなど華やかで輝きのある有望な学生生活を送り、全てがうまく行っているかに見えました。しかし、彼女にはどこかしら陰がありました。

実は、すでに歯車は狂い始めていたのでした。4年ぶりに突然父親が訪問にやってきて心が乱れたのをきっかけに、恋人と初めて夜を共にしたことをネタにパーティを開き、遊び半分のはずだったドラッグを眠気覚ましに乱用し、人の話を聞き入れず徹夜を続けて生活が乱れ、自分の誕生日会では母親や祖父母に悪態を付くなど逸脱行動が目立つようになります。さらには、かつてのパーティで酔った勢いで親友の彼氏を誘惑して関係を持っていたのでした。これは性的逸脱です。そして、悪びれもせず開き直ってしまいます。まるでもともと彼女の中に潜んでいた「悪魔」が目覚め始めたようです。自分が自分であるという一体感が揺らぎ、自分を大切にできなくなっています。

情緒不安定―繊細なあまりに傷付きやすい心


自分の誕生日会を自分自身でメチャクチャにした翌日のリジーの様子が強烈です。母親との口論の末、「私が悪かったわ」「私を愛してくれる家族を傷付けたわ」と涙を流して母親に抱きついたと思ったら、次の瞬間、「何が誕生日会よ」「あんたのペットじゃないわ!」と泣き叫びます。そして、その数秒後にはまた「私ったら何てひどいことを・・・。ごめんなさい、許して」と漏らし、また母親に抱き付く始末です。甘えと反抗が入り乱れています。もはや母親は、あまりにも精神的に不安定な娘に呆れて戸惑うばかりです。

このように、愛情、憎しみなどの感情が、些細なことで両極端に大きく揺れてしまう症状を情緒不安定と言います。「ペット」が引き合いに出されたのは、母親が「結婚後に妊娠するまで退屈で話し相手が欲しくて猿を飼っていたわ」と言っていたのを思い出し、自分がその猿と重なったからでしょう。真反対の感情がほとんど同時に湧き起こっているので、アンビバレンス(両価性)とも言えます。

情緒不安定はもろく傷付きやすいことですが、裏を返せば、繊細で感性が鋭いことでもあります。ストーリーのところどころで紹介される彼女の繊細な文章表現には納得がいきます。

空虚感―見捨てられ不安―愛が重すぎる


リジーは通い始めたセラピストに言います。「普通の人は傷付いても自分で治っていくものだけど、私は血が出たまま」「治ればいいの」「人生は先に進むしかないもの」と。人生を歩むことに対して冷めていて、満たされない空しさがにじみ出ている特徴的なセリフです。彼女を支配しているのは、この空虚感でした。これを「憂うつが徐々にそして突然にやって来た」と受け止めています。

そんな空虚感で落ち込んでいるリジーは、「レーフが救いの神に選ばれたのだ」と思い立ちます。かつてパーティでハメを外して男子トイレで出会ったレーフの登場です。レーフは会場の分からない演奏会に誘ってしまったのはまず君に会いたかったからだと素直に打ち明けるなど誠実味があります。どう見られるか表面的なことばかり気にするリジーとは対照的です。リジーが例えるようにまさに救世主で、新しい恋人となります。

しかし、情緒の揺れは止まりません。レーフとデートで踊りに行っても、ほんの少しの間、レーフが別の女性とカウンターでおしゃべりをしただけで、カッとなりその場を衝動的に立ち去ってしまいます。情緒不安定によりとても傷付きやすく、見捨てられたと思い込み、悲しみや怒りが抑えられないのでした。レーフが実家に帰っている時に、電話がつながらないことに不安を募らせ、ひっきりなしに10回も電話して、挙句の果てに遠方のその実家まで飛行機で乗り込んだのでした。見捨てられまいとして、付きまとい、すがり付くなどのなりふり構わない行動をとり、結果的に相手の自由を束縛してしまうのです。

この心理は、「電話魔」「メール魔」「ストーカー」などの現代の社会問題に通じるものがあります。良く言えば愛が深いのかもしれませんが、やはり愛が重いです。そして、相手はその重さに耐えられなくなってしまうのです。