連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2016年12月号 ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」-契約結婚とは? アサーションとは?

契約結婚はなぜ注目される?-プラス面

それでは、なぜ最近に契約結婚が注目されるのでしょうか? まず、そのプラス面を整理してみましょう。プラス面は、主に3つあります。


①フラットな協力関係
2人の意識としては雇用主(夫)と従業員(妻)の関係です。しかし、律儀な平匡は「フラットな職場」を目指していて、限りなく対等なパートナーシップと言えます。そのわけは、契約という形によって役割意識が明確だからです。だからこそ、2人ともお互いに感謝と敬意をきっちり言葉にしています。このように、まず1つ目のプラス面としては、お互いを尊重するフラットな協力関係であることです。

一方、通常の結婚はどうでしょうか? もちろん契約がなくても、話し合いによってフラットな関係が築ける夫婦もいるでしょう。しかし、現実的には、亭主関白やかかあ天下などの言葉があるように、多くの夫婦に不安定な力関係が存在しています。ドラマで、みくりの兄嫁が兄の胸ぐらをつかんで壁に叩き付ける「壁ドン」で、兄を震え上がらせています。また、平匡の同僚の男性が「夫婦げんかは負けておけ。家庭ってのは、奥さんが機嫌が良いのが一番だから。お互いに力を誇示して、覇権の奪い合いになったら、どっちかが倒れるまで奪い合うことになるから」とアドバイスしています。

このシーンから気付くことは、実は、夫婦関係においてはものごとの決定の方法に明確なルールがない、もともと無法状態であるということです。このような状況では、感情的になった方が有利になるという力関係が生まれやすいです。「言ったもん勝ち」「騒いだもん勝ち」「ゴネ得」です。DV、モラハラなどのリスクもあり、雇用関係で言えば、それはブラック企業です。このような力関係に悩まされることに、男性も女性もうんざりしています。
だからこそ、夫婦になる前に、契約というルールを設けることが必要なのです。

②いっしょにいる目的が明確
2人は、会社と同じように、夫婦を運営するという視点を持っています。そして、会社に企業理念があるのと同じように、2人にはお互いのはっきりした目的があります。それは、みくりにとっては生活の保障、平匡にとっては家事の代行です。さらには2人には「僕たちの罪悪感は僕たちで背負う」という秘密を守る目的もできてしまっています。このように、2つ目のプラス面は、いっしょにいる目的が明確であることです。そして、目的以外のことでは、お互いを干渉しないということです。

一方、通常の結婚はどうでしょうか? 確かに、結婚式の誓いでは、お互いの幸せを誓います。これが目的となります。しかし、相手を幸せにするとはどういうことなのか具体的にしていない点では、何も言っていないのと同じです。自分が思うお互いの幸せが、必ずしも相手が思うお互いの幸せにならないかもしれないからです。特に、恋愛結婚では、いっしょにいること自体が目的となってしまい、結婚するというゴール(目的)にばかり目が向いてしまいます。その後にもともと生活背景の違う相手と共同生活をするという現実に目が向きにくくなります。また、お見合い結婚は、結婚生活がうまく行かなくても、親などの周りへの体裁を気にして我慢していっしょにいる傾向があります。しかし、それは、個人主義化した現代では、昔ほどではなくなったようです。
だからこそ、夫婦になる前に、夢や理想だけでなく、現実的で具体的な自分たちの未来像を描く必要があるのです。そして、事前に相手の考えや意見を知り、すり合わせ、形にする必要があるのです。


③自己決定への責任意識
平匡は、みくりに「話し合いたいことは遠慮せず何でも言ってください」と促します。そして、契約内容以外に「必要な項目はそのつど話し合って決めましょう」と言います。そして、平匡もみくりも、自分の提案について、相手に向かって「自由意志です」と言い、相手の判断に委ねます。とても冷静で穏やかな話し合いです。協力関係を維持するために、常に合意形成の段取りを踏む理性的な努力をしています。そして、相手の提案に対して自分が決めたことに責任を持ち、納得をしています。このように、3つ目のプラス面は、自己決定への責任意識が高いことです。そして、この意識によるルール作りの積み重ねが、お互いへの尊重となり、夫婦の信頼関係を育みます。

一方、通常の結婚はどうでしょうか? 特にお見合い結婚では、親などの周りからの強い勧めで結婚する場合、その決定への責任意識はとても低いものになります。結婚生活での話し合いは難航しそうです。なぜなら、受け身だからです。自分で努力して決めたわけではないので、その結婚生活は自分のせいではなくなるからです。

また、恋愛結婚では、愛があるから全て分かり合えるという発想になりやすくなります。このような心理により一方的に話を決めてしまったり、逆に気遣いから仕方なく折れてしまいます。やはり、決定への責任意識は低いものになります。なぜなら、理性的に決めたわけではないので、納得はしていないからです。また、結婚生活がうまく行かなくなったのは相手の愛が足りなくなったからだという論理のすり替えが起りやすくなります。こうして、男女がちょっとずつ疲れていくのです。

だからこそ、夫婦になった後も、お互いの自己決定を尊重して、責任意識を高めるのです。そして、お互いが納得することにより、理性的な結婚生活を維持するのです。契約結婚は、世間的には離婚した時にお互いの権利を守るという点に目が行きやすいです。しかし、最も大事な点は、契約をすることでお互いが結婚という決定に責任を持つこと、その結果として、結婚生活が維持されるのです。それは、雇用契約でも全く同じです。

結婚の方法の違い

契約結婚の課題は?-マイナス面


逆に、契約結婚の課題は何でしょうか? そのマイナス面を考えてみましょう。

みくりと平匡は、当初、恋人を演じるというスタンスで、「出しましょう親密感。かもしましょう新婚感」を合い言葉に、「毎週火曜日はハグの日」を決めるなど本人たちなりに努力します。契約結婚には、契約という言葉からも分かるように、水くさい、冷たいという無機的なイメージがあります。つまり、最初の信頼関係が乏しく、信頼関係を育む努力が必要になります。

その後に、2人は、いっしょに生活をする中、お互いの良さに気付き、だんだんと恋愛感情が芽生えていきます。しかし、契約という関係性が頭の中によぎり、「ハグの前借り」「ハグの貯金」などの形で感情が抑えられてしまい、「好きな時にハグしよう」というストレートな本音をなかなか言えません。そのもどかしくてぎこちなくも、お互いがお互いを思う気持ちは、ほのぼのとして牧歌的で、このドラマの魅力になっています。理性的な関係を保つということは、力関係を生むなど感情的になりにくいというプラス面がありますが、裏を返せば、自由にポジティブな感情も伝えにくいというマイナス面があります。

やがて、みくりは「平匡さんに何かあったら、私は平匡さんの味方です」と思いを告げます。また、平匡は最終的には「僕たちに必要なのは、・・・本当の気持ちを伝え合うこと」と気付きます。そこには、契約の関係を超えた連帯感があります。お見合い結婚であれ恋愛結婚であれ契約結婚であれ、結婚に必要なことは、愛と契約、つまり信頼関係と協力関係であることです。これは、心理学的に言えば、内発的動機付け外発的動機付けに当たります。愛があるから契約はいらないと思い込むのも、契約があるから愛はいらないと安心するのも危ういということです。どちらが先かの違いで、どちらも必要であるということです。そして、力関係は不要であるということです。