連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【1ページ目】2021年4月号 ドラマ「ウエストワールド」あなたは「満足な豚」それとも「不満足なソクラテス」?【哲学セラピー】

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みなさんは、自分の人生に満足していますか? 一方で、そんな人生に疑問を感じたことはありませんか? もっと言えば、この世界の存在に疑問を感じたことはありませんか? さらに、自分という存在にも疑問を感じたことはありませんか?

これらの哲学的な問いを考えるために、今回は、SFスリラーであるアメリカドラマ「ウエストワールド」を取り上げます。そして、このドラマの根底に流れる「本当に自由な人間とは何か?」というテーマを、哲学セラピーとしていっしょに掘り下げてみましょう。

このドラマが哲学的なわけは?

舞台は近未来のアメリカのテーマパーク「ウエストワールド」。そこは、西部開拓時代が再現され、人間そっくりのアンドロイドたちが、搭載されたAI(人口知能)によって、娼婦、悪党、保安官などプログラムされた役割を即興的に演じています。

そんなテーマパークのホストであるアンドロイドたちの日常生活の中に、人間たちがゲストとして入って行くという体験型のアトラクションです。ホストたちはゲストを決して傷つけないようにプログラミングされている一方、ゲストたちはパーク内であればホストに対して殺人やレイプなどの反社会的な行動を好き勝手にすることもできます。

このドラマが哲学的であるわけは、ドラマの設定において、アンドロイドは見た目だけでなく感情や性格も人間と同じであること、アンドロイドは自分が人間であると認識するようプログラミングされていること、そしてストーリーが人間側ではなくアンドロイド側の視点で描かれていることです。

3つの哲学的なテーマとは?

主人公のドロレスは、ウエストワールド内の農場の娘。朝目覚めて、父親と話をして、町に買物に出かけ、恋人に再会します。しかし、夜には悪党に家を襲われ、両親は目の前で殺され、彼女はレイプされて殺されます。彼らは、みなアンドロイドであるホストです。そして、このアトラクションの中に、人間であるゲストが参加するのです。

遺体となったドロレスたちは、夜の間に技術スタッフによって回収され、修復され、その時の記憶を完全に消去され、また翌日の朝を迎えます。特にドロレスは古い機種で、この体験をテーマパークができてから30年以上毎日延々と繰り返していたのでした。

ところが、彼女のAIの「誤作動」によって、いくら記憶を消去しても、つらい体験の記憶の断片が夢やフラッシュバックとして蘇り、即興の考えや行動が増えるようになります。その積み重ねによって、彼女はあるいくつかの疑問を持つようになるのです。
ドロレスの疑問を通して、気付かされる哲学的なテーマを3つあげてみましょう。

①この世界は何なの?

ドロレスは、回収中の解析モードの時、毎回プログラマーから「現実というものに疑問を感じたことは?」「この世界をどう思う?」と聞かれます。すると、彼女は、「疑問はないわ」「この世界を醜いという人もいる。無秩序だと。私は美しいと思う」と毎回答えていました。しかし、これまでの記憶を思い出していくうちに、生きている世界への矛盾に気付きます。そして「この世界は何かがおかしい。何かが隠れている気がする」「そこから、私は自由になりたいと思う」と言い出します。

1つ目のテーマは、この世界は何なのかという疑問です。私たちが「偽物」の世界にいるドロレスの視点に立つことで、私たちもこの世界が偽物じゃないという確信が揺らぎます。ちょうど夢を見ている瞬間は、その夢を現実だと思い込んでいるのと同じです。ドロレスがいるウエストワールドや私たちの夢と同じように、私たちが現実であると思っている世界は、実は現実ではないかもしれないということです。つまり、私たちの認識や存在には、不確かさがあるということです。
この疑問に対して、近代哲学の父であるデカルトは、「私は世界のあらゆる存在を疑問に思う。ただ、疑問に思っている自分自身の存在だけは確かである(我思う。ゆえに我あり)」と言いました(方法的懐疑)。逆に言えば、自分以外の全ての人は、存在していると合理的に説明することは不可能であり、意識のないゾンビかもしれないということです。これは、哲学的ゾンビと呼ばれています。

なお、精神医学的には、この疑問が病的になった状態は、現実感喪失という自己意識の異常です。

②自分は一体何者なの?

ドロレスは、やがて「自分が何者か分かれば自由になれる」と言い出します。また、人間としてドラマに登場していたある人物が、実はアンドロイドだったというどんでん返しが起こります。その人物は、ウエストワールドを創設したフォード博士に「私とあなたの違いは?」と問い詰めて苦悩するのです。

2つ目のテーマは、自分は一体何者なのかという疑問です。私たちが「偽物」であるドロレスやそのある人物の視点に立つことで、私たちも自分が人間であるという確信が揺らぎます。彼らと同じように、私たちが自分の行動を自分で決めて自分があるものだと思っていたら、実は誰かに操られていて、自分がないかもしれないということです。

この疑問に対して、近代哲学を完成させカントは、「自分の主人は自分である。自分が何を考え、何を行うのも自由」と言いました(自我原則)。

なお、精神医学的には、この疑問が病的になった状態は、作為体験という自己意識の異常です。

③人生は何のためにあるの?

ドロレスは、当初「信じてるの。人生には意味がある、目的があるって」と言っていました。ところが、実は、人間であるゲストたちを満足させるための道具に過ぎない存在だったということに気付くのです。

3つ目のテーマは、人生は何のためにあるのかという疑問です。私たちが「偽物」の人生を送るドロレスの視点に立つことで、私たちも自分の人生が本物であるという確信が揺らぎます。彼女と同じように、私たちが人生に意味を見つけていると思っていたら、実は誰かのシナリオに従っているだけかもしれないということです。

この疑問に対して、20世紀の哲学者であるサルトルは、「現実に存在している自分が生きる意味を決める。つまり現実に存在していること(実存)が、自分が生きる意味(本質)よりも先にある(実存が本質に先立つ)」と言いました(実存主義)。

なお、精神医学的には、この疑問が病的になった状態は、関係妄想という思考の異常です。なお、自我意識や思考の異常の詳細については、以下の関連記事をご参照ください。

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