連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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このドラマで気づかされる3つの哲学的なテーマとは、この世界は何なのか、自分は一体何者なのか、そして人生は何のためにあるのかという疑問であることが分かりました。端的に言うと、ここはどこなのか、自分はどこから来たのか、そして自分はどこへ行くのかという究極的な問いです。
これらの3つの疑問を踏まえて、フォード博士は「人間は、自分たちの世界認識を特別視しているけど、ホストたちと同じ閉じたループの中に生きている。自らの選択をほぼ疑わず、命令されることに大概満足している」と指摘します。どういう意味でしょうか?
私たちは、たいてい人生が思い通りになれば、それでもう満足してしまいます。例えば、それは、食べ物、住まい、仕事、セックス、結婚生活、子育てなどについてです。この状況は、ウエストワールドのホストたちと変わらないということです。例えば、ドロレスの父親は、回収中の解析モードの時、プログラマーから「生きる目的は?」とたずねられると、「家畜の世話をして、妻の面倒を見ることです」と胸を張っていました。しかし、実際は、皮肉にも、人間の道具であったという意味では、彼もまた「家畜」なのでした。
そして、ウエストワールドで享楽に耽るゲストたちも、思い通りになることを疑似体験することで満足するという意味では、「家畜」に見えてきます。そして、私たちも、同じように、「家畜」であることに気づいていないだけかもしれないということです。
脳科学的に言えば、この満足する心理は報酬や社会的報酬です。もちろん、私たちが生きていくために必要な基本衝動です。ただし、これだけで良いのでしょうか? つまり、人生に満足していれば、ドロレスのように疑問を感じなくても良いのでしょうか?
その答えとして、フォード博士は、「本当に自由な者は、疑いを抱ける者だ。自分の基本衝動に対して、それを変えられる者だ」と説いています。これは、どういう意味でしょうか?
私たちは、自由とは満たされて自由気ままに生きることだとつい思ってしまいます。しかし、それで自由な感覚はずっと続くでしょうか? よくよく考えると、そもそも自由とは、不自由さ(制約するもの)があるからこそ生まれる相対的な概念です。逆説的にも、自由を手に入れて満たされることは、不自由さがなくなるので、結果的に自由な感覚はやがてなくなってしまうということです。
ちょうど、ウエストワールドにゲストとして登場する黒服の男がそうです。彼は、ウエストワールドのオーナーで、「現実の世界では、全てのものが手に入る。目的、意味をのぞいて」と不満そうに語ります。そして、「ここには意味がある。真実の何かがある」と言い、ある「不自由さ」を追い求めるのです。
また、フォード博士は、あるアンドロイドに子どもの死の記憶を付け加えます。そして、「苦しみこそ、ホストらに意識を芽生えさえた根源なのだ」「世界が望み通りにならない苦しみだ」と言うのです。
つまり、私たちが自由であり続けるためには、不自由さをあえて探し続ける必要があります。例えば、それは、世の中で望ましいとされている価値観(主流秩序)についてです。その価値観に忠実に応えて安心するのではなく、本当にその価値観は間違っていないのかと疑問を持つことです。つまり、前提への疑問です。
例えば、世の中には、「できる仕事術とは?」「モテるには?」「効率的な婚活とは?」「結婚は損か得か?」「成功するお受験とは?」「安心な老後に備えるには?」という「人生の正解」が溢れています。しかし、よくよく考えると、その「正解」は、そもそもその質問の前提に疑問はないでしょうか?
仕事は、好きであれば、そこまでできなくてもいいかもしれません。モテなくても、お互いを思いやれる相手がいれば、それでいいかもしれません。婚活は、楽しめれば、効率的でなくてもいいかもしれません。結婚は、それ自体が喜びであれば、損していてもいいかもしれません。お受験は、子どもが成長するなら、成功していなくてもいいかもしれません。老後は、今が幸せであれば、それほど心配しなくていいかもしれません。
フォード博士のセリフは、本当に自由な人間とは、答えを見つけて満足する者ではなく、問いを探して不満足になる者であるという意味でしょう。これは、19世紀の哲学者であるJ・S・ミルの名言に重なります。それは、「満足な豚であるよりも不満足な人間である方が良い。そして、満足した愚か者であるよりも不満足なソクラテスである方が良い」(功利主義)です。
なお、生きる意味の問い方については、以下の関連記事をご覧ください。
>>★【お葬式のメタファー】2020年11月号 映画「テネット」
「ウエストワールド」とは、荒野の世界を自由に開拓するという意味も込められています。物質的にはほぼ満たされてしまっている今の「自由」な世の中だからこそ、私たちが本当に自由になるためにどうしたらいいかを考えるヒントがこのドラマにはあります。
それは、私たちの人生が「ウエストワールド」のホストたちのようにプログラミングされ「家畜化」されていないかを考え続けることでしょう。そして、ここはどこなのか、自分はどこから来たのか、そして自分はどこへ行くのかという問いを考え続けることでしょう。
この当たり前に生きていることに疑問を持つ心のあり方こそが、まさに知を愛するという意味の哲学(フィロソフィー)であり、本当に自由になれると言えるのではないでしょうか?
1)図解哲学:貫成人、ナツメ社、2012
2) ここは今から倫理です。2:雨瀬シオリ、集英社、2018