連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2021年7月号 映画「そして父になる」【その1】もしも自分の子じゃなかったら!?【親子観】

子どもにとっての親子の絆とは?

親子の絆とは、血のつながり(血縁の心理)と情(子育ての心理)があることが分かりました。しかし、実は、これは親にとっての親子観です。それでは、子どもにとっての親子の絆とは何でしょうか?

慶多と琉晴は、事情を知らされず、言われるままに、休日に野々宮家と斎木家を交換して外泊が始まります。そして、やがて交換したままになるのです。

ここから、彼らの親子観を同じく2つに分けて考えてみましょう。

①情-愛着の心理

野々宮家でずっと暮らすことになった琉晴は、良多がつくった野々宮家のルールのリストを読まされます。そして、納得が行かず、「なんで?」と良多に繰り返し聞き続けるのです。そして、けっきょく家出をして、斎木家に帰ってしまいます。

一方、斎木家で暮らしている慶多は、琉晴ほどはっきり抵抗しませんが、元気がなくなっていきます。

子どもにとっての親子観として、1つ目は、です。これは、血がつながっていてもいなくても、特別な誰かといっしょにいたいと思う愛着の心理です。この愛着は、生後半年から2歳までの間(臨界期)に形成されます。この時期に一番長くいっしょにいた人が親(愛着対象)として刷り込まれます(親プリンティング)。そして、その親から離れることは、アルコール依存性や薬物依存症と同じように、「禁断症状」を引き起こします。つまり、愛着とは、依存行動(嗜癖)とも言えます。

逆に言えば、いくら血がつながっていても、その大切な時期(臨界期)にいっしょにいなければ、その親は「依存対象」(愛着対象)になりようがないので、その親から離れても「禁断症状」は出ません。実際に、琉晴がせっかく外泊に来ているのに、良多は仕事を優先してあまり構っていませんでした。慶多の生みの父親である雄大は、そんな良多を見かねて、「もっといっしょにいる時間つくった方がいいよ、子どもと」「おれ、この半年で、良多さんがいっしょにいた時間よりも、長く慶多といるよ」とたしなめています。

つまり、臨床的に考えれば、新生児取り違えのあとに交換で問題が起きないのは、親プリンティングが始まる前の半年までです。半年から2歳までがグレーゾーン、2歳以降は愛着の問題のリスクが高まるでしょう。この愛着の心理から、琉晴が良多やみどりに懐くことは簡単ではないことがよく分かります。取り違えは、子どもから見れば、「親の取り違え」です。親以上に、実は子どもにとって危機的状況なのです。

なお、愛着の心理の詳細については、以下の関連記事をご覧ください。

>>【愛着形成の臨界期】

②血のつながり-アイデンティティ

琉晴は、良多から「おじさんが本当のパパなんだ」と告げられます。しかし、無反応です。慶多は、良多から「(慶多が成長するための)ミッション」と遠回しに伝えられただけでしたが、はっきり告げられたとしてもリアクションはおそらく同じでしょう。6歳の子どもにとって、血がつながっているかどうかは、ぴんと来ないのです。つまり、子ども心に選ぶ親は「生みの親より育ての親」であるということです。ただし、彼らが思春期になっても、彼らの親子観はそのままでしょうか?

子どもにとっての親子観として、2つ目は、思春期になればやはり血のつながりです。思春期になると、より抽象的な思考ができるようになります。そして、自分のルーツや自分らしさなど、自分探しをするようになります。アイデンティティの確立です。この時に、育ての親しか知らない場合、生みの親を知りたくなるのです。これは、養子や生殖医療で生まれた子の心理でもあります。そして、これは、子どもの人権(出自を知る権利)として、すでにいくつかの先進国では制度化されており、日本でも制度化しようとする動きがあります。

つまり、アイデンティティの確立とは、血がつながっていることにこだわるスイッチが入ることとも言い換えられます。

なお、この真実告知のタイミングについては、愛着形成期である幼児期よりも後で、反抗期になる思春期よりも前、つまり小学校低学年の学童期が望ましいでしょう。

表1 親子観

>>【その2】なんで血のつながりにこだわるの?【血縁心理の起源】