連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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・小学校受験
・インクルーシブ教育
・自己愛性パーソナリティ障害
・非認知能力
・ギャング・エイジ(仲間時代)
・ストレス関連成長(SRG)
・性格の機能
・「グッド・イナッフ・スクール」
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みなさんは、自分の子どもに小学校受験をさせたいですか? もちろん子どもがエリート学校に入学して、やがてエリート職に就けば、将来が輝かしく、それが子どもの幸せだと信じている親は多いでしょう。
そのベネフィットがある一方で、そのリスクはないでしょうか? ベネフィットばかりに目が向き、そのリスクについてはあまり気にしていない親が多いようです。
この答えを探るために、今回は、アニメ「ちびまる子ちゃん」のキャラクターを使います。このアニメのキャラクターたちは、以前の記事(以下)で、性格(パーソナリティ)の分類のために登場してもらいました。
今回は、ちびまる子ちゃんのクラスメートを選抜したエリート学校を想定し、そこからエリート教育のリスクを明らかにします。そして、その根拠を行動遺伝学的に掘り下げます。さらに、性格を「能力」としてとらえ直し、性格の機能を解き明かしてみましょう。
ちびまる子ちゃんのクラスメートは、まる子をはじめとするいろんなキャラクターがいました。その中で、エリート学校にいそうなキャラクターは誰でしょうか?
エリート学校に選ばれる基準は、その学校によって多少違うかもしれませんが、多くに共通するのは、最終的にエリート大学に入学するための学力(認知能力)と育ちの良さ(厳格な家庭環境)があることでしょう。なぜなら、そもそも親がそれを望み、学校がそれをウリにしているという利害関係があるからです。
それでは、ここから、男子と女子に分けて、誰が選ばれるかをいっしょに想像してみましょう。
①男子
男子として、まずあげられるのは、花輪クンです。セレブキャラで賢そうな彼が公立小学校にいることの方が不思議です。次にあげられるのが、丸尾くんです。生真面目キャラの彼は、エリート学校にも多くいるでしょう。
一方で、永沢、藤木、はまじは、セレブでも生真面目でもないので、その学校にはいないでしょう。サッカー少年の大野君やガキ大将キャラの杉山くんもいないでしょう。ましてや、おバカキャラの山田、口癖キャラのブー太郎、胃弱キャラの山根、食いしん坊キャラの小杉など変わったキャラは、エリート学校には決して選ばれないでしょう。
②女子
女子として、まずあげられるのは、城ヶ崎さんです。お嬢様キャラの彼女は、まる子のクラスではパーソナリティとして際立っていないですが、その育ちの良さからエリート学校には好まれるでしょう。次にあげられるのが、みぎわさんです。彼女は、思い込みキャラではありますが、丸尾くんと並んで学級委員を勤めあげている点で前に出ていく積極的なタイプであり、表向きは優等生です。
一方で、まる子、前田さん、野口さんは、お嬢様でも優等生でもないので、選ばれないでしょう。なお、しっかり者キャラのたまちゃんは、優等生ではあるのでエリート学校に好まれそうです。しかし、父親が変わり者であるため、親子面接の時点で落とされるでしょう。
エリート学校にいるキャラクターは、花輪クン、丸尾くん、城ヶ崎さん、みぎわさんとかなり限られていることが分かります。よくよく考えると、だからエリート(選ばれし者)なのです。
それでは、ここから、この4人のキャラクターたちばかりが30人いるエリート小学校のクラスをイメージしながら、エリート教育のリスクを大きく3つあげてみましょう。
①勉強以外が軽視される-消極性
そのクラスでは、もちろん勉強をすることが最優先されます。先取り学習や家庭学習も多いでしょう。競争意識を煽る仕組みもあるでしょう。そして、この4人のキャラクターならがんばって取り組んでいくでしょう。
一方で、勉強以外のことはあまり好ましく思われなくなります。学業につながる習いごとには力を入れますが、友達と遊んだりスポーツや課外活動をすることにそこまで力を入れないでしょう。高学年にもなれば、異性のことが気になりますが、学業が疎かになるおそれがある点で、あまり好ましくは思われないでしょう。この点で、花輪クンラブのみぎわさんは不満を持つかもしれませんが。
エリート教育のリスクの1つ目は、勉強(認知能力)以外が軽視される、つまり勉強以外への消極性です。勉強に対しては意欲的または執着的になりますが、その他の活動には相対的に労力をかけなくなります。そもそも学校とは、勉強だけでなく、人間関係(社会性)を学ぶところです。それは、生身の人間関係で揉まれるという実体験です。この社会性を学ぶチャンスが減っていけば、それだけ深い人間関係を築く能力が高まらなくなるでしょう。
つまり、それだけ「世間慣れ」ができないリスクがあります。
②うまく行かない状況が軽視される-ストレス脆弱性
そのクラスでは、自分たちが選ばれし者であることが自覚され、うまく行っていることが当然とされます。エリートになるだけの家庭環境にも恵まれ、勉強ができるというアドバンテージがあり、経済的にも心理的にも困ることがないでしょう。
一方で、勉強以外の活動への消極性によって、うまく行かない経験を積むことが必然的に減ってしまい、ストレスがかかることに慣れていないでしょう。城ヶ崎さんは、良く言えば「育ちが良い」のですが、悪く言えば「苦労を知らない」と言えます。
エリート教育のリスクの2つ目は、うまく行かない状況が軽視される、つまりうまく行かない状況へのストレス脆弱性です。うまく行く状況においてはイケイケですが、うまく行かない状況においては実はビクビクです。うまく行っているのが当たり前になってしまうと、ちょっとでもうまく行かないことは恐怖でしかないのです。ひと言で言うと、攻めには強いが守りには弱いです。
つまり、「ストレス慣れ」ができないリスクがあります。
③自分たち以外が軽視される-排他性
そのクラスには、自分と似た恵まれた人しかいません。性格も家庭環境も近いために、とても仲良しになるでしょう。
一方で、先ほどあげた際立ったキャラはいません。火事で家を失った永沢に同情したり、卑怯なことをする藤木に怒ったり、ふざけてばかりのはまじに笑ったり、怒ってばかりの前田さんに反論したりする経験はありません。もちろん変わり者キャラもいません。おバカキャラの山田、口癖キャラのブー太郎、胃弱キャラの山根といっしょに過ごすことで、知的障害、チック症、心身症を見慣れることもありません。ちびまる子ちゃんのアニメのエピソードで毎回ワクワクしたりハラハラする展開はほぼ起こりません。
エリート教育のリスクの3つ目は、自分たち以外が軽視される、つまり自分たち以外への排他性です。自分たちとは結束(同調)を強めるために、それだけ自分たち以外の人とはあまりいっしょにいたくないと思いがちになります。なぜなら、多様な人たちのことを生身の体験としてよく知らないからです。苦労をしておらず、苦労をしている人を見ていないことは、それだけ苦労している人の気持ちが分かりにくくなってしまうからです。
もちろん、エリート学校も、表向きは教育カリキュラムに障害者・障害児、マイノリティへの理解を盛り込んでいます。しかし、現実的には、知識として知ったとしても、実感として受け入れるのは全くの別問題です。なぜなら、特に子どもにとっては、実際に触れ合うのと触れ合わないのとでは、感受性(嗜癖性)の点では、天と地の差だからです。そして、そもそもエリート教育は、多様性を受け入れるインクルーシブ教育とは真逆の理念だからです。
つまり、「弱者慣れ」ができないリスクがあります。ちなみに、先ほどの「ストレス慣れ」ができないとは、自分自身が弱者になるという意味での「弱者慣れ」ができないことであるとも言えます。
なお、以上のエリート教育のリスクである消極性、ストレス脆弱性、排他性は、自己愛性パーソナリティ障害の診断基準(DSM-5)である特権意識、万能感、共感性欠如にそれぞれ言い換えられます。また、これらに対になる言い回しとしてご紹介した「世間慣れ」「ストレス慣れ」「弱者慣れ」は、それぞれ自発性、セルフコントロール、共感性という非認知能力に言い換えられます。この詳細については、以下の記事をご覧ください。