連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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桜木先生は、全校生徒の前で「そういう世の中が気に入らねえんだったら、自分でルールをつくる側に回れ」と言い放ちます。彼が言う「ルール」とは、まさに学歴社会という文化そのものでもあります。「ルールをつくる側に回れ」とは、高い学歴を手に入れることであり、さらには学歴(知能)が高い人が高くない人から搾取しない新しい仕組みを作り直すことをほのめかしていると読み取ることもできます。
それでは、そのためには、どうすればいいでしょうか? 文化的に促進したものは文化的に抑制できるという文化進化の特性を踏まえて、学歴社会への国家的な真の対策を大きく3つあげてみましょう。
①収入格差そのものを縮める
1つ目の取り組みは、収入格差そのものを縮めることです。なぜなら、問題なのは、中編でもご説明しましたが、教育格差ではなく、収入格差そのものだからです。そのための税制などの社会政策を進め、収入格差をコントロールすることです。
実際に、高卒に対しての大卒の収入は、アメリカは1.7倍で、日本は1.4倍強でしたが、実はフィンランドは1.25倍です。フィンランドをはじめとする北欧諸国は、もともと福祉国家であり、収入格差が小さいことで有名です。
このように、社会政策として、シープスキン効果を働きにくくすれば、学生が高い学歴に選り好みをすることは減るでしょう。
②一般職の公務員は高卒者とする
2つ目の取り組みは、一般職(専門職を除く)の公務員は高卒者とすることです。すでに、大学における教育効果はとても限定的であるとご説明してきました。一般職の公務員が大卒者である必要がないのです。能力(知能)や適正(性格)を知りたいのであれば、能力テストや適正テストを適宜すれば良いです。もちろん、大学教育がない分、職場教育を充実させることができます。大学教授による目的が曖昧な授業よりも、職場教育に特化した講師による目的がはっきりした研修講義の方が、より実践的で教育効果が期待できるでしょう。
このように、まず公的機関において、高卒者の採用の促進とその後の職場教育のモデルを示せば、一般企業においても高い学歴に選り好みをすることは減るでしょう。
③大学教育への資金援助を減らす
3つ目の取り組みは、大学教育(研究を除く)への資金援助を減らすことです。これは、教育政策として教育政策をしないという仰天の逆説です。例えば、大学への助成金を段階的に減らしていくことです。また、学生への大学無償化などの政策はしないことです。結果的に、少子化のなか、大学はダウンサイジングを迫られるでしょう。しかし、これは、一般企業としてはごく当たり前のことです。効果が期待できないことに、投資することはできないからです。ただし、奨学金制度はむしろ充実させる必要があります。なぜなら、奨学金の対象は、もともと学力が高くて真面目な学生であるため、専門職や研究職においての教育の効果が期待できるからです。一方で、大学無償化の対象は、学力が高くて真面目な学生であるとは限らなくなるため、経営難の大学の延命に利用されるだけになってしまうからです。
このように、大学は、「淘汰」されることで、専門職と研究職のための教育に特化した本来のあるべき姿に戻ることができます。大学は、国立研究所として位置づけられ、浮いた大学助成金は研究予算に回すことができます。そして、大卒者が減り、世の中の大半の人が高卒者になれば、社会において高い学歴に選り好みをすることは減るでしょう。
すでに中編で、一般教養を学ぶ場が大学である必要がないことをご説明しました。そもそも大学の教育関係者は、実は研究職が専門で、教職を専門とはしておらず、教えることには実は長けているわけではないという現実もあります(*7)。もちろん、高校教育までは、職業訓練をしたり、社会性(社会適応能力)を高める場所として必要です。
第1シリーズのラストシーン。桜木先生は、最後に東大特進クラスの生徒たちに言い残します。「入学試験の問題にはな、正解は常に1つしかない。その1つにたどり着けなかったら、不合格。こりゃ厳しいもんだ。だがな、人生は違う。人生には、正解はいくつもある。大学に進学するのも正解。行かないのも正解だ。スポーツに夢中になるのも、音楽に夢中になるのも、友達ととことん遊び尽くすのも、そして誰かのためにあえて遠回りするのも、これすべて正解だ。だからよ、おまえら生きることに臆病になるな」「おまえら、自分の可能性を否定するなよ。受かったやつも、落ちたやつもだ。おまえら、胸を張って堂々と生きろ」と。
あれだけ最初に「東大に行け」と言っておきながら、最後は「(東大に)行かないのも正解だ」と言い切っています。また、彼自身が弁護士であり受験コンサルタントとして知能が高い側にいるはずなのに、「自分でルール(学歴社会にならない仕組み)をつくる側に回れ」と言っていました。この点で、彼はトリックスターとも言えます。それを物語るのは、元暴走族上がりで東大に合格しながら進学しなかったという異色の経歴であり、弁護士として王道を歩まない彼自身の不器用な生き様であり、彼らしい世の中への反逆精神でしょう。
しかし、現実的には、官僚や教育関係者など学歴(知能)が高い人たちは、その恩恵を受ける側なので、学歴社会の不公平さをうすうす分かっていたとしても、桜木先生のようにあえてその立場が危うくなることは言わないですし、あまり知りたいとも思わないでしょう。政治家も、今まで通り教育政策を充実させると言っておいた方が聞こえが良くて支持が集まるので、その反対のことは言えないでしょう。
では、このままの学歴社会でいいんでしょうか? 知能における「遺伝格差」によって、本人の努力ではどうしようもなく搾取される側になってしまっていいんでしょうか? その「遺伝格差」によって、親の「努力」(教育費をかけること)でもどうしようもなく自分の子どもが搾取される側になってしまっていいんでしょうか?
もちろん、どんな社会にするかは政治が決めることです。しかし、政治をする政治家を決めるのは、やはり私たちです。となると、私たち一人一人がまず暴走(ランナウェイ)しつつある学歴社会という文化進化の危うさを理解することです。そして、逆にその文化(環境)を変えていくことで、知能における「遺伝格差」を広げないようにする必要があることを理解することです。すると、遺伝自体は変えられなくても、その遺伝と相互作用して顕在化させるかを左右する環境を変えることができます。これは、逆転の発想です。
実際に福祉国家であるスウェーデンは、収入への遺伝の影響が小さいことが分かっています。つまり、収入格差の抑制が知能における「遺伝格差」の抑制につながっているというわけです。このような社会を実現するために、私たちは、遺伝と真摯に向き合う時期に来ています。貧富の差(収入格差)があるのは、「努力が足りなかったからだ」という自己責任論ばかりを唱えるのをそろそろやめる時期に来ています。 遺伝の影響力はないとする考え方が逆に遺伝の影響力を強める結果を招いているという逆説にそろそろ気づく時期に来ています。そして、遺伝の価値は、私たちの文化(環境)が決めているという側面に気づくことです。
なぜなら、進化心理学の視点で考えれば、私たちの心は、学歴などによる不平等で不公平な社会ではなく、助け合いによるある程度平等で公平な社会をもともと望むからです。それは、私たちの心の原型が形づくられた原始の時代の部族社会をイメージすれば、分かるでしょう。もちろん、まったくの平等社会にはしないことです。なぜなら、旧ソ連がそうだったように、そんな社会は、こんどは努力をしなくなるという負の側面が出てくるからです。
以上を踏まえて、桜木先生が最後に言い残したように、正解を求める生き方ではなく、どんな生き方でも正解と思えることが望ましいでしょう。そのために、私たち一人一人が、学歴という体裁ではなく、相性という中身によって、仕事もパートナー(結婚相手)も選んでいける時代にしていくことではないでしょうか? そんな心のあり方を育むことこそがこれからの教育であり、そんな生き方を促すことこそがこれからの社会と言えるのではないでしょうか?
●参考文献
*5 「進化と人間行動」P235:長谷川寿一ほか、東京大学出版会、2022
*6 「文化がヒトを進化させた」P22:ジョセフ・ヘンリック、2019
*7 「大学の常識は、世間の非常識」P119、P181:塚崎公義、祥伝社新書、2022