連載コラムシネマセラピー

私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーションメンタルヘルスセクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【2ページ目】2022年11月号 映画「二つの真実、三つの嘘」【後編】重症のミュンヒハウゼン症候群とは?【ネタバレあり】

3つの嘘とは?

2つの真実とは、主人公の2人がそれぞれミュンヒハウゼン症候群であるということが分かりました。厳密に言えば、メラニーは精神症状をねつ造しており、エスターはけが(身体症状)をねつ造しているという違いはあります。エスターの方が体を張っている点で、より重症であると言えるでしょう。ちなみに、身体症状のねつ造で多いのが、採血や採尿の検体への異物混入、インスリン(血糖値を下げる薬)やワーファリン(血液を固まらせにくくする薬)などの過剰内服、瀉血(血を抜くこと)による貧血、意図的な外傷など、比較的手軽にできることです。

表1 作為症(虚偽性障害)の診断基準(DSM-5)

それでは、タイトル後半部分の「3つの嘘」とは何でしょうか? この映画には、たくさんの嘘があります。その中で、一大事である殺しについての嘘がちょうど3つあります。その嘘を1つずつあげてみましょう。

①エスターの胎児を殺したのは通り魔であるという嘘

エスターは、刑事から「こういう犯罪は身近な人が犯人である可能性が高い」「通り魔とは考えにくい」「恨まれてる人は?」と聞かれても、「麻薬中毒者やホームレスじゃないの?」「赤ちゃんを殺されるほど恨まれたことはない」と言っていました。

1つ目は、エスターの胎児を殺したのは通り魔であるという嘘です。実は、エスターがアニカにお願いして仕組んだものでした。

②メラニーは息子が殺されて悲しんでいるという嘘

メラニーは、息子を失い、悲しみにくれているように見えました。しかし、1か月経つと、うつ状態になっている夫に「子どもはまたつくれるわ」と笑顔で言うのです。また、息子が殺されたことを報道するニュースを録画しており、その中でリポーターが「子どもの母親はひどくショックを受けて、今は話をできる状態ではないということです」とコメントする映像をうっとりとした表情で見ています。

ここで、メラニーが以前に言っていた不可解なセリフにつながります。それは、「自助グループで知ったけど、母親にとって最悪なのは誘拐よ。誘拐は、生きてるかどうかずっと分からないから一番つらいそうよ。でも、私だったら、つらすぎていっそのこと殺されてしまった方がいいと思うかも。親なら当然子どもが無事に戻ってくてほしいと思うんだろうけど」というセリフです。メラニーは、エスターほど子どもに死んでほしいと積極的には思っていませんが、殺されたらそれはそれで同情されるという「ご褒美」があるので構わないくらいの感覚でしょう。「同類」であるエスターは、この心理については的確に読み取っていたのでした。

2つ目は、メラニーは息子が殺されて悲しんでいるという嘘です。つまり、なんと彼女が悲しむのは、悲しいからではなく、注目されたいからであったということです。自分本位であり、息子が死んだことを心から残念に思っているのではなかったのでした。

③メラニーの夫はアニカに殺され、メラニーは正当防衛でアニカを殺したという嘘

アニカは、エスターがメラニーの夫に射殺されたと知って、その敵討ちのために、メラニーの家に押しかけます。アニカはメラニーを縛りますが、直後になんと今度はメラニーの夫が射殺されているのを発見します。そのわけは、メラニーの夫が、息子が死んで1か月経って自助グループに始めて参加したところ、実はメラニーは数年前から来ていたことを知り、メラニーに問いただし、出て行こうとしたからでした。アニカがメラニーの夫を発見した直後、メラニーは縛られていた紐をほどき、ショットガンをアニカに向けて構えるシーンでこの映画は終わります。

3つ目は、メラニーの夫はアニカに殺され、メラニーは正当防衛でアニカを殺したという嘘です。厳密には、アニカも金槌を持って反撃しようとしており、そこで映画が終わり、決着はついていませんが、メラニーにとってとても都合の良い展開で、見ている私たちをハラハラさせます。

この映画のタイトル伏線とは?

この映画のもともとの英語タイトルは”PROXY”です。これは「身代わり」という意味で、実はタイトル伏線になっています。何が何の身代わりかと言うと、胎児殺しについては通り魔(実際はアニカ)がエスターの身代わり、息子殺しについてはエスターがメラニーの身代わり、夫殺しについてはアニカがメラニーの身代わりであるということです。これは、先ほどの3つの嘘に重なります。この3つの嘘によって、「身代わり」の意味の伏線を回収しています。

なお、この”PROXY”は、代理ミュンヒハウゼン症候群の「代理」(by proxy)を連想します。前編でもご説明した通り、自分の代理として誰かの症状をねつ造しているわけではないため、代理ミュンヒハウゼン症候群の伏線ではありません。

この映画の唯一惜しかった点は、メラニーの夫はエスターを射殺したのですが、彼の恨みからの空想として、その数日後に地下室でエスターを拷問していることをほのめかすシーンがあります。これは、私たちから見ると、空想なのか現実なのかがそのシーンの時点では分かりにくく、混乱を招いていたと思われます。

ただ、ミュンヒハウゼン症候群をより深く理解していると、この映画のキャラ設定、展開、そして謎解きがとても楽しめます。もっと高い評価がつけられても良い映画であると思われました。

参考文献

・病気志願者―「死ぬほど」病気になりたがる人たち:マーク・D・フェルドマン、原書房、1998
・うその心理学:こころの科学、日本評論社、2011
・特集「うそと脳」:臨床精神医学、アークメディア、2009年11月号
・「隠す」心理を科学する:太幡直也/佐藤拓/菊池史倫、北大路書房、2021
・平気でうそをつく人たち:M・スコット・ペック、1996