連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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絶対音感が実は言語能力である根拠は、そのトレーニング方法、その脳の活動部位、そしてその臨界期が言語能力に共通するからであることが分かりました。それでは、そもそも音感はいつ生まれたのでしょうか?
ここから、音感の起源を大きく2つに分けて迫ってみましょう。
①絶対音感
前編で約700万年前に人類が誕生して、やがて歌でコミュニケーションするようになったことをご説明しました。その歌のうまさは、小鳥のさえずりのように、音の高さの正確さによって評価されていたでしょう。
1つ目の起源は、絶対音感です。先ほど、絶対音感は言語能力であるとご説明しましたが、それは言語の能力を獲得した現代人がこの言語能力を使って音高を識別しているからです。原始の時代の人類は、まだ言語がないため音素(言語)の置き換え(連合学習)なしで、小鳥と同じようにそのまま音高を識別できていた可能性が考えられます。また、原始の時代の人類ももともと左脳で音高を調整していることが推定できることから、やはり歌(音高)が言語の土台(前適応)になっていたことを説明できます。
なお、現代の絶対音感を持つ人は1オクターブ内の12音(トーンクロマ)の識別が可能なだけで、オクターブの違い(トーンハイト)までは識別できません。一方で、小鳥は最大音域の7オクターブすべての音、つまり12音×7の84音のすべての識別ができることが分かっています(*8)。分かりやすく言えば、鳥はピアノのどの鍵盤の音を聞いても特定できるという「超」絶対音感の持ち主というわけです。
また、1オクターブ内がピアノの白鍵として7音に分けられているのは、虹が7色(欧米6色)であることや母音が7音前後(日本語5音~スウェーデン語9音)であることに共通していることが指摘されています(*8)。聴覚的にも視覚的にも、人間の識別能力は7つ程度に分けるのが限界であるようです。この点で、白鍵(7音)のみを識別できる部分的な絶対音感を持つ人は比較的多いのですが、黒鍵を含む12音すべてを識別できる完全な絶対音感を持つ人はかなり稀になってしまうわけです。
そもそも、私たち(おそらく他の哺乳類も)は、この識別能力に限界があるからこそ、聞こえる全ての音域については、周波数が倍になるごとに(倍音)、つまり1オクターブごとに同じドレミがまた聞こえるようにシステマチックに回帰していると考えられています(オクターブ等価性)。これは、虹が赤から始まり最後は紫という赤に近い色で終わって回帰していくことにも共通しています。ちょうど7オクターブまで聞こえるという事実も、7つという先ほどの識別の限界数に一致します。
ちなみに、赤ちゃんの泣き声は、普遍的にドレミの中のラ(440Hz)に相当します。この音を基準として音階が成り立っています。
②相対音感
約20万年前に人類が言葉を話すようになり、約10万年前に貝の首飾りを感謝の証にするなど、シンボル(抽象的思考)を使うようになりました。この抽象的思考によって、歌のうまさは、単なる1つ1つの音高の純粋な正確さではなく、複数の音高が複雑に変化する流れ(メロディ)によって評価されるようになったでしょう。こうして、約5万年前に人類最古の楽器である骨製のフルートが作られました。
2つ目の起源は、相対音感です。これは、音の流れの中で他の音との比較で音の高さが分かることです。これはちょうど、私たちが言葉を1つ1つの単語としてではなく、まとまった文章として認識しているのと同じです。このようにして、私たちは相手の話で一部聞き取れない単語があっても推測して理解することができます。
この相対音感によって、本来人間の識別能力の限界である1オクターブ内に7音(白鍵)を超えて12音(黒鍵を含む)までの音高の識別を可能にしていると考えられます。そして、絶対音感がなくても、この相対音感によって、聞いた曲を楽譜に書き起こすことを可能にしていると考えられます。
以上より、原始の時代の人類は、現代人よりも絶対音感があった可能性が考えられます。しかし、人類が相対音感を獲得したことで、もはや絶対音感に頼る必要がなくなったのでした。もっと言えば、言葉によってコミュニケーションができてしまうため、相対音感すら必ずしも必要なくなり、 音感が退化していっていると言えます。これが、いわゆる「音痴」です。