連載コラムシネマセラピー
私たちの身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション、メンタルヘルス、セクシャリティを見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。
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この映画の主人公のケビンには、23の人格が1つの体に宿り、それぞれが別々の名前を名乗っているというキャラ設定でした。そして、基本的にお互いの人格の記憶にはアクセスできません。この点で、彼は1つの人格からしたら記憶喪失になっているとも解釈できます。つまり、多重人格とは、それぞれの人格の記憶喪失であるとも言い換えられます。
記憶喪失(解離性健忘)では、自分の名前や生い立ち(エピソード記憶)をまったく思い出せないのに、一般常識(意味記憶)は覚えています。そのわけは、エピソード記憶は、意味記憶に比べて進化の歴史が浅い(発達の時期が遅い)ため、脆く失われやすいからと説明することができます。これは、約10万年前に進化した認知能力(概念化)が、約300万年前に進化した非認知能力(社会脳)よりも脆く失われやすいことと似ています。
なお、ある能力について進化の歴史が長い(発達の時期が早い)ほど身につきやすい理由については、嗜癖性の起源として、以下の記事をご覧ください。
情報化された現代でこそ、記憶喪失になると大騒ぎになります。しかし、よくよく考えると、20万年前よりも以前の原始の時代では、そもそもエピソード記憶の能力自体がはっきりあるわけではなく、その瞬間をその日暮らしで反射的に生きていました。これも、まさに夢を見ている時と同じです。私たちは、夢を見ているその瞬間に昔のことを思い出したり、先々のことを計画することはまずありません。
この点で、近代(産業革命)の合理主義の価値観が浸透するまでは、記憶喪失が起こったとしても、何も困らないどころか、記憶喪失のきっかけとなった重度ストレスを含んだすべてのエピソード記憶をいったん忘れることで、もう一度周りとうまくやっていくことができます。これは、記憶喪失の適応戦略であると考えることができます。
なお、記憶喪失の「記憶」は、エピソード記憶に限定されたものであり、失うのではなく思い出せないだけなので、厳密な表記は「エピソード記憶再生障害」とした方が誤解を招かないでしょう。
また、このエピソード記憶の脆さから、認知症では、出来事の記憶(エピソード記憶)を忘れやすく、一般常識(意味記憶)は忘れにくいことを説明することができます。つまり、認知症は、出来事を思い出すことがもうできなくなった記憶喪失、つまり不可逆的な「エピソード記憶再生障害」と言えそうです。
実際に、認知症の人に年齢を聞くと、認知症が進んでいる人ほどより若い年齢を答えます(若返り現象)。そのわけは、脳は持っている記憶に基づいて現実世界という意識をつくり出しているからです。もはや若い頃の記憶しか残っていなければ、若い頃の自分の「現実世界」しか認識できないわけです。
私たちも、昼寝して起きた時に「あれ、今いつだっけ?」と思ったり、旅行や出張などで自分のいつもの部屋ではない場所で朝起きた時に「あれ、ここどこだっけ?」とぼんやり思うことがあります。これは、一過性の見当識障害ですが、その後に周りを見ることですぐにそれ以前の記憶が蘇ってきて、それを頼りに自分の状況を認識できるので、困ることはありません。ただ、記憶に依存している点では、これは一時的な記憶喪失、つまり一過性の「エピソード記憶再生障害」とも言えそうです。
逆に、「エピソード記憶の過剰再生」は、PTSDのフラッシュバックです。なお、フラッシュバックは、もともと哺乳類が危険を回避するために進化させた記憶能力ですが、意味記憶やエピソード記憶などの記憶機能の原型とも言えるでしょう。また、これらの記憶の学習は夢を見ている時(レム睡眠時)に行われます。夢は記憶の学習の副産物にすぎないと同時に、その起源は哺乳類が生まれた約3億年前に遡ります。この点で、先ほど触れたように、夢は起きてしばらくすると思い出せなくなったり、夢を見ている瞬間は昔のことを思い出したり先々のことを計画したりすることはないわけです。なお、夢の詳細については、以下の記事をご覧ください。