連載コラムシネマセラピー

私達の身近にある映画、ドラマ、CMなどの映像作品(シネマ)のご紹介を通して、コミュニケーション(心理学)メンタルヘルス(精神医学)婚活(恋愛心理学)を見つめ直し、心の癒し(セラピー)をご提供します。

【1ページ目】2020年6月号 テレビ番組「M1グランプリ」-【続編・その2】ツッコミから学ぶこれからのセラピーとは?

********
・文化心理学
・主流秩序
・上下関係
・裏メッセージ
・「セラピーハラスメント」
・「癒畜」
********

その1では、なぜツッコミするのかという疑問にお答えしました。それでは、なぜツッコミは日本にあって欧米にないのでしょうか? そして、ツッコミから何を学べるでしょうか? その2では、ツッコミを歴史的に、そして文化心理学的に掘り下げ、これからのセラピーのあり方をいっしょに考えていきましょう。

なぜツッコミは「ある」の?

それでは、そもそも、なぜツッコミは「ある」のでしょうか? すでに笑う心理の起源については、前回(2020年3月号)に進化心理学的に探りました。さらに、ここからは、ツッコミの起源を、3つの段階に分けて、歴史的に探ってみましょう。

①笑い話
約20万年前に現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生し、喉の進化によって、複雑な発声ができるようになり、言葉が誕生しました。やがて、生活の知恵や戒めを神話などのストーリーとして次世代に語り継ぎました。紀元前8世紀以降に、宗教的祭祀から演劇が誕生し、古代ギリシアでは悲劇と並んで喜劇も発展しました。これが、世界の笑い話の起源と言われています。

一方、日本では、8世紀にできた古事記に、女神が全裸で滑稽な踊りを披露するという記載が残っており、これが日本の笑い話の起源と言われています。

1つ目の段階は、笑い話です。この段階で、笑いの構造ができましたが、まだはっきりとしたツッコミは存在しません。ツッコミは見る人や読む人に委ねられています。

②落語
14世紀以降に、中世ヨーロッパの王様が小人症、奇形、知的障害などの障害者を魔除け目的に抱えるようになりました。彼らは、その特性から何をしても何を言っても許される存在でした。逆に、彼らを演じることで、民衆の真実を笑いに包んでうまく王様に伝える人が現れるようになりました。これが、ピエロの起源と考えられます。

一方、日本では、16世紀の室町時代に、おとぎ衆と呼ばれる人たちが、戦国大名に仕え、滑稽なオチのつく世情を伝えるようになりました。これが、落語の起源と言われています。

2つ目は、落語です。この段階で、ピエロやおとぎ衆がボケとツッコミを同時に演じています。

③漫才
20世紀以降に、欧米では、1人舞台(スタンダップ・コメディ)やお笑いドラマ(シチュエーション・コメディ)が主流になっていきました。なお、20世紀前半のアメリカでは、一時期にコンビによる漫才(ダブルアクト)が流行りました。しかし、現在は廃れています。

一方、日本では、江戸時代以降、特に商業が栄えた大阪では笑い(同調)を商売に利用するようになりました(商人文化)。また、寄席も誕生しました。やがて、昭和初期以降に、おどけ役(ボケ)が鼓を打ち、語り部(ツッコミ)が歌を歌いながら舞うコンビによる祝福芸が広がりました。これが、漫才の起源です。

3つ目は、まさに漫才です。この段階で、日本では、ボケとツッコミの役割が確立しました。

なぜツッコミは「ある」の?

これまで、なぜツッコミは「ある」のかという疑問を歴史的に探りました。しかし、厳密には、ツッコミは日本独特のものです。一方の欧米には、はっきりとしたツッコミがないです。なぜツッコミは日本にあって欧米にないのでしょうか? その理由を文化心理学的に3つあげてみましょう。

①「なんでやねん」と見抜く―主流秩序
1つ目は、日本は主流秩序がはっきりしていることです。主流秩序とは、集団主義によって「こうあるべき」という多数派の価値観です(均一性)。その価値観から少しでも外れた振る舞いは、全てボケ(異常)として「なんでやねん」と鋭く見抜くツッコミをすることで、多くの人が気付かされて共感します。「あるあるネタ」とは、まさにその共感です。逆に言えば、政治などの社会派ネタは、政権という主流秩序へのツッコミ(批判)になるため、共感は得られず、ほとんどお笑いネタとして成り立たないというわけです。

一方、欧米は、個人主義によって「人それぞれ」という多様性の価値観です。移民政策による多民族国家が多く、人種や宗教などの価値観もさまざまです。よって、そもそも多数派(主流秩序)が形成しにくく、ツッコミをしても必ずしも多くの人が共感するわけではないので、ツッコミをする意味がないというわけです。代わりに、人種、宗教、階層、政党、セクシャリティなどのそれぞれのターゲット層に狙いを絞った社会派ネタや下ネタは多いです。このように、欧米のお笑い(コメディ)は、細分化されて成り立っています。

②「あほか」と見下す―上下関係
2つ目は、日本は上下関係がはっきりしていることです。上下関係とは、集団主義によって家庭での親子や兄弟、職場での上司・部下や師匠・弟子、学校での先輩・後輩という支配服従の関係を重んじる価値観です。その価値観に守られているため、「あほか」と見下すツッコミをしても、「愛がある」「いじりであっていじめではない」という言い訳が成り立ちます。

一方、欧米は、個人主義によって対等関係の価値観です。よって、ツッコミは、「偉そうだ」「ハラスメントだ」「かわいそうだ」という反感を買ってしまうので、ツッコミは逆効果になるというわけです。

③「もうええわ」と見限る―裏メッセージ
3つ目は、日本は裏メッセージが多いことです。裏メッセージとは、集団主義によって以心伝心しているからこそ否定的な表のメッセージを発しても真逆の肯定的な本心が伝わるという価値観です(ダブルバインド)。その価値観によって、たとえ「もうええわ」と相手を突き放して見限るツッコミをしても、それは本心ではないということを多くの人が理解できて、緊張緩和から共感する笑いが生まれます。先ほどの「あほか」というツッコミも、この裏メッセージとしてとらえることもできます。

一方、欧米は、個人主義によって表メッセージのみの価値観です。はっきりと言ったことのみがそのまま伝わります。逆に言えば、曖昧な表現や、否定表現に裏メッセージなどを込めても通じません。よって、「おもしろくていいね」という肯定的なツッコミをするとしても、それはそもそも観客に委ねることができるので、ツッコミは邪魔になるというわけです。

★グラフ1 ツッコミの起源